あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

アラエビスは今、十和田湖planを通して森と水源地の縄文トラストでの創業定款を、更に先に進めます

映画『海賊とよばれた男』=出光興産の創業者からの意思を、アラエビスへの応援歌と捉え更なる基礎力をスタッフと共に創造しています。

例えばこれ。


【出光は石油業というような些事をやっているのではない、出光の真の目的は人間が真に働く姿を現して、国家社会に示唆を与えよ。

私は石油配給を些事と言っておる。社内からも『些事とはなんですか、大事業をやっているじゃないですか』という抗議が出たくらいだ。けれども私は『石油配給なんてものはちっぽけなものじゃないか。私がやっているのは、人間というものはこうあるべきだということを実際に示すことだ。政治・教育すべてに人間のあり方を示すことをやっておるのだ』と言った】


まさに東出融が、人生を賭けて作り上げたい基本。

それはそのまま、未来の日本を作り上げる基本になっていく。

即ち人間創造。


十和田湖起業シェアハウスplanも山形泉郷起業ログplanも、テーマを定めた。

『父なる空と母なる大地と共に創造する モンド ビベンデイー(蘇る世界)』

此れが、アラエビスの定款。

その基本を生きざまで創って下さった、出光佐三先生。

今年、此れが映画化された意味は、アラエビスにとってとてつもなく大きい。

 

例えば此れも、僕が自分にスタッフにサポーターさんに賛同を求める考え。

今こそ、ミャクソンさんとも一致する、1000万人の消費者バンドが商人(アキンド)になって、世界を変えていく家族になっていく必要がある。

その為には、全員が経営者たれである。

国を創り直すとの気運を持つ仲間がタッグを組む。

 

【仕事の上ではお互いに独立して、ぼくはぼくなりの仕事をしておるし、従業員は従業員なりの仕事をしておる。

言い換えれば、各自の受持の仕事の上では、お互いに自主独立の経営者だということだ。

出光の若い人が「私は経営者です」といっているそうだが、それはみなが権限の規定もなく、自由に働いているということであって、ぼくはこういう形が理想だと思う。】

 

僕が世界を甦らすと決めた以上、大風呂敷を広げるのにも意味がある。

それを、佐三先生もおっしゃっている。

 


【空理空論ではだめだということだ。

だから実行しなければだめだということは一般の通論になっている。
逆に言えば”有言不実行”ということは、何もせんということだ。
理屈ばっかり言って実行できない人もいる。

”有言不実行”の次に、黙って実行せよというのが”不言実行”だ。
実行に重きをおいたのだ。一般社会の人は、黙って実行せよということになっている。

ところが出光は”不言実行”で黙っておってはいかん。実行して、それでもって人に示唆を与えるのだ。

これが”実行有言”じゃないか。実行して、人にこうしなさいと言えるのが出光じゃないか。示唆を与えるのだ。】

 

此処からは、佐三先生の名言をあげてみたい。


失敗は授業料

人間なら誰だってあやまちがある。ぼくがあやまちをやってもとがめられず、社員がやるととがめられる、ていう法はないと思う。

それだから人間らしいあやまちはとがめない。

ただ、そこで忘れてはならないのは、あとで自己を反省する心のあり方だ、反省する心の積み重ねがあって、はじめて失敗は尊い経験となって生きてくる。

したがって、失敗はその人にとって尊い授業料となりうる。そこに進歩がある。


徹底的な親切心

即ち、今後の店員指導は如何にするや、ただ
 一、店員に対し、徹底的な親切なる心をゆうすること
 一、身を以って範をしめすこと
に尽きるのであります。


付焼刃の親切や、鍍金の親切では駄目である。親切は徹底せねばならぬ。
上下、又は同僚間に、気兼や遠慮がある様では、親切は決して徹底していない。肉親の兄弟を鞭打つ以上の打解けたる親切であらねばならぬ。誤解を恐れたり、自分の立場を考える様では、人に親切は出来ぬ。


生半じゃくな親切ならばせねばよい、却って威厳を損し、秩序を乱して、相手に不親切なる結果を来すこととなる。寧ろ不徹底な親切は止めて、高圧的に圧迫した方が未だ結果がよいと思う。


自問自答


去年の若い社員の教育によって、若い社員が出光人というのはどういうものであるかということを自発的に自問自答し始めたから、もう大丈夫です。


いわゆる自問自答会ができたごとく、自分に質問して自分に答える。

これは自分のものになるということです。本を読んだり、人に教えられたりしたものは自分のものにならない。


この続きは又明日。