あらえびすブログ

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出光佐三さんの訓 パート2

アラエビスの第二の定款である、モンド  ビベンデイー=甦る世界。

森を水源地を守るためには、そこで永続的に活動して護り労りそして、代わる代わるにでも住める仕組みなくしては、なし得れません。

都市部も、この崩壊に向かう山があっての、ギリギリの今です。

所謂、里山の全く新しい使用方法。

それが、私有林を救う1537900円での八角形ログであり、国が見放した再利用を天から任された同じく1537900円の十和田湖シェアリング共同住宅システムです。




即ち自然界あっての人類=新縄文人類を生み出すための、平成の(ソロソロ平成の次に行きそうですが)参勤交代の始まり始まり。

もう国が林野庁や辺境に予算を使う気がないし、都市部維持の為に売り買いの道具にしだしたのですから、モンドビベンデイーに行き着く、インデイアンの首長シアトルがワシントンの大頭領に宛てた手紙の想いを、僕はこのモンドビベンデイープロジェクトでなし得て行く時が、悠久の時を経て地球上にいた全ての先住民からも動かされ出したように感じるのです。

責任重大ですね。

霊的な役割を感じるのですから。

最近は、いよいよあの世に旅立たれた方々の未来への想いに直にcontactをとって、更なる次元のパブリックな自分に生きなくては、この活動は一万名のサポーターにも到達しないのだろうなと感じているのです。

きっと森と水源地の縄文トラストの伏流水活動が一万名サポーターに到達した時に、きっとそれに付随する全ての必要な今回のモンドビベンデイープロジェクト等全ての方面の形が、同時に出来上がっているのでしょう。

同時に、他方面の水源地も拓き出しながら、急速にマジな日本人がマジで動き出すのでしょう。

それまでは、昨日の天ちゃんの指摘のように、軽いのりの日和見の方々がネット上のように代表されるように、心のない、情のない、愛のない、薄っぺらなや友達を単純な繋がり増やしの為にしてしまうと、この活動は潰れかかってしまうのですから、ミャクソンさん同様に百人に一人の本気印の170万teamと繋がりたいのです。

此れに、僕は新しい想いをのせました。

それが、蘇る世界=モンド ビベンデイーです。

世界を甦らせるとは、本気の心の繋がりを甦らせるということ。

まだまだ発展途上の、新しい水道を庶民優先の民営化の元に甦らせる為の(一万名サポーターで始めて一ヶ所の水源地が。買い占められたり、マネー優先に陥っている国に売り物にされない唯一の指数)森と水源地の縄文トラスト活動ですが、それでも一つの雛形でしかなく、既に雛形完成後にお約束している水源が28ヶ所にも増えて、今の現状の打破には一ヶ所の雛形づくりでは間に合わないという地球の意思が、僕を休憩にお誘いしてくれる様子は一切ないようです*1

そうだから、このアラエビスに強力なスタッフが来てくれて、僕の代わりに地に足をつけて現実業務をスタッフのシゲチャン中心に回してくださっている、カミハカライが来ているのですから、僕は更に車で全国行脚していくことを、思いっきり楽しむしかない。

そして、日本中に増殖を見ないで死ぬわけにも行かない。

けれども、持ち時間も短い。

僕も自然界も経済の行き詰まりも。

そんな僕に重要な示唆を与えて下さる、出光佐三さんも霊的な繋がりを感じないわけにはおれないお一人です。

インデイアン首長シアトルのように。
 
 
魂家族 熊野 天女座 トンちゃん「シアトル」
シアトル酋長からのメッセージを受け取ってほしい

一部抜粋ですが、「父は空、母は大地」より

はるかな空は涙をぬぐい、今日は美しく晴れた
明日は雲が大地をおおうだろう
けれど、私の言葉は星のように変わらない
ワシントンの大首長が土地を買いたいと言ってきた
どうしたら空を買えるというのだろう
そして大地を
私にはわからない
風の匂いや水のきらめきを
あなたはいったいどうやって買おうというのだろう
すべてこの地上にあるものは
私たちにとって神聖なもの
松の葉の一本一本
岸部の砂の一粒一粒
深い森をみたす霧や、草原になびく草の葉
葉影で羽音を立てる虫の一匹一匹にいたるまで
すべては私たちの遠い記憶の中で神聖に輝くもの
私の体に血がめぐるように
木々の中を樹液が流れている
私はこの大地の一部で大地は私自身なのだ
〜〜〜
あらゆるものがつながっている
私たちが、この命の織物を織ったのではない
私たちはその中の一本の糸にすぎないのだ
生まれたばかりの赤ん坊が母親の胸の鼓動をしたうように
私たちはこの大地をしたっている
私たちが大地をしたうようにこの大地を大切にしてほしい
美しい大地の思い出を受け取ったときのままの姿で心に刻みつけておいてほしい
そしてあなたの子どもたちの そのまた子どもたちのために
この大地を守り続け 私たちが愛したように愛してほしい
いつまでも
〜〜〜〜〜

 

無我無私


外国ではこの無ということは、何もないということです。

ところが日本の無我無私ということは、最大ということなのです。自分をはなれ、自分をなくしたときに、そこに社会的に一番大きなものが出てくるのです。

自分にとらわれているときは小さい。しかも、その自分は人格、学問、技術すべての点において人に負けない強いものであることが無の前提である。
その強いものを自分のためにのみ使わず、お互いのために使うということが無、無我無私のあり方です。

 


互譲互助


個人主義は利己主義になって、自分さえ良ければいい、自分が金を儲ければ人はどうでもいい、人を搾取しても自分が儲ければいいということになっている。


ところが本当の個人主義というのは、そうではなくてお互いに良くなるという個人主義でなければならない。それから自由主義はわがまま勝手をするということになってしまった。


それに権利思想は、利己、わがままを主張するための手段として人権を主張する。
この立派な個人主義自由主義、権利思想というものが悪用されているのが今の時代で、行き詰っている。


それで私はよく会議で言うんだが、
「お互いという傘をかぶせてみたまえ。個人主義も結構じゃないか。個人が立派に力強くなっておって、そしてお互いのために尽くすというのが、日本の無我無私の道徳の根源である。自由に働いて能率を上げて、お互いのために尽くすというならこれまた結構である。それから自分が人間としてしっかり権利をもって、お互いのために尽くすというなら結構だ。」
と言うんです。


互譲互助、無我無私、義理人情、犠牲とかはみんな「お互い」からでてきている。
大家族主義なんていうのも「お互い」からでてきている。
その「お互い」ということを世界が探しているということなんだ。

 


アラエビスもこの狭いボロや屋に、現代では珍しい大家族主義で暮らして、その基礎から8自然界も家族、地球の住人やメジャーまで家族と捉え、闘わないで戦うを実践しているのです。

だからこそ首長シアトルの言葉は、既に無限の星になっている言葉です。

出光佐三さんは、又明日。

*1: