自分のこととして受け入れること
12月10日に長野市のありがたり庵みつばちカフェで行われたお話会&身体ワークに参加された伏流水サポーターの林さんの感想をご紹介します。
<自分のこととして受け入れること>
東出融さんのお話し会と身体ワークから2 日経ちましたが、すでに生活の中のいろいろな場面で、目覚ましい進化が見られます。
今回体験したことの目玉に「自分のこととして受け入れる」ことで、骨のあり方が変わる(骨が寄る)、があります。
たとえば、重いものを持っても重く感じなかったり、赤子を長時間抱っこしても草臥れなかったりするのです。
わたしはさっそく、両手に約15リットルの水を下げて歩く際に、自分ごととして受け入れるのとそうでないのとでどう体感が変わるか実験してみました。
そして、自分はまだまだイメージの力をなめていたなーと思い知りました。それくらいに、自分ごとであるかそうでないかで、体感が全く異なるのです。
相手がある場合には、コミュニケーションの質も変わります。
たとえば、戦っている相手を「自分のこととして受け入れる」と、相手は自分に引き寄せられるので、戦うことができなくなる。これはまさに最強であるということだと思います。
そして、子育ての場面では、こどもが落ち着いて穏やかでいます。
私ごとですが、わたしは今年の7月に出産した際に、ご縁あって愛知県岡崎市の吉村医院で、自然分娩を体験しました。
自然分娩で生まれた赤ちゃんは、とても穏やかで育てやすいと言われるのですが、それは、自然分娩は医学的介助をほとんど受けずに、ただ助産師さんに寄り添われて「自分でやる」ので、出産を当たり前に「自分のこととして受け入れる」からではないかと思いました。
「自分のこととして受け入れる」というのは、ちっぽけな損得勘定だけで考えると、割が合わないとかめんどくさいとかになるのかもしれないけれど、
うじゃうじゃ考えているだけではどうにもならないことや、傍から見たらとてつもなく困難なことを、やすやすと、樂樂と、実現することなのだと思います。
今回、最初から最後まで同席した5歳の長男(おまけに、2日間みっちり融さんと遊ばせていただきました)が、何も言わないのに薪割りや家事を手伝うようになりました。
躾って、言い聞かせたり、規制を設けたりするのではなく、ただ、自分のこととして受け入れて接すればいいのだと思い知りました。
これから、どんな進化が起こっていくのか、とても樂しみです。
毎朝行われている肚国会でも、「有責」がテーマとして語られています。
皆が自分のこととして受け止め、
「引き受けること=喜び」となり
こぞって引き受けるようになれば
きっと世界はたちまち良い方向に大きく舵が切り替わるでしょうね。
子どもが喜んでお手伝いする時みたいな
それがいいことだからとか褒められるからとかじゃなく
僕もボクも!とこぞってやりたがる。
行為そのものを喜んで楽しむ。
そんな感覚を思い出したら
一歩踏み出せるんじゃないかな。