あらえびすブログ

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結局、植芝盛平翁の一霊四魂三源八力になる。即ち全てが水の働きの身体内部での再現。

三力は、昨日の3つの力てはない。

昨日の「核変伝導」は、「動態整体伝導力」になる。

その前の段階である、「固態整体伝導力」ではまだまだ体を統一態までは、割っていないから、まだまだ固態の違いを前提にして整体した時に連鎖する力ゆえに、エネルギーのロスが生まれる。

ある部分は、意識が「意念」が先に、あるから必ず頭が理解出来てしまい、即ち野生エネルギーより遅くなる。

しかし、動態整体で動きを見つめると、一番は植芝盛平翁が行き着いた、「水」のの動きになる。

だから、体に取り入れた水で決まるし、出来るならば先ずは一致した水を体に取り入れた方々と、身体知での水を学習したい。

先には、取り入れた水の、違いで変わる「武術的身体エネルギー」を体感したい。

それは、其々の「お山」の、身体を通して知る、動きの質の違いという、身体学問になる。

其々は、同じ水を共有して研究したい。

湧き出る様を共に共有したり、水を創る野生の役者を全て理解して一致して、感覚で共有出来ていると身体ワークが変わるから。

たとえば、はじめて猫の生態を観察するのに、違う種類の猫でデータベースを吟味しても、それは種別内での違いになるから、先ずは身体知が知る「水」の学習からかけ離れてしまう。

体を「水」にしか出来ない八力で動かす事が可能ならば、社会全てを「水」の八力で創れるわけで、此れこそが地球が喜ぶ人類社会の形だろう。

否定的に捉えている「水商売」にこ、本質が隠されている。

金融から水融に変わるならば、今のようにハザール出が作り出した錬金術師を越えれる。

水だけが八種に自在に力の特質を変えれるのだから、イルミナテイーへの勝利は「水」を知り、「水」を体現し、「水」による人類社会システムの構築実現のみになる。

そのためには、あえて教材になる「伏流水」を更に皆様に役立て安くする為に、希望者にはワンウェイにて送る方法も始まります。

勿論、ゴミを出したくないアイデンティティーを大事にする方は、お代わり方式を基本にし続けて行きますからご安心を。

特に近隣県の方は、他郷に教材を汲みに来がてらワークを復習が当たり前になりだしている方々が、現れてますから、そんな方々にはお代わりが最高。

しかし沖縄に行き、「水」の悪さをフルーツや野菜でも体感したから、此れは「水」を知るから始めたく、沖縄などからワンウェイを始めなくてはとなりました。

そして、経済的にも大変な家庭にも、この貧困打破は、金融ゆえに起きてる格差であり、それを越えて「旧態依然国分けシステム」から脱却して、金融では実は出来ない地球のワンネスを、水融ならば可能と知るならば、必ず戦争経済から進化出来るわけで、教材として伏流水を届け。「身体知水」として水だけが持つ八変化を体か理解して、その体で新しい未來社会の「型」を皆様で共創作する為には、広くに生きた伏流水教材を届けたく、ワンウェイ方式も近々実現させるになりました。

ネット有料化配信ワーク始動ゆえに、決めたideaです。

まさか、伏流水が身体ワークの中心部にある、教材になろうとは。


さて、今日明日と二回目の身体ワーク録画ですが、今回のワークで重要な「一霊四魂三源八力」という故植芝盛平翁が行き着いた「水」の力をご説明致します。



 一霊四魂三元八力

合気道とは和合の道であり、即ち一霊四魂三元八力の生ける姿、宇宙経綸の姿、即ち高天原の姿である」といわれる。そしてまた「一霊四魂三元八力や呼吸、合気の理解なくして合気道を稽古しても合気道の本当の力は出てこないだろう。」とも言われ、「一霊四魂三元八力」を理解し、身につけることは合気道を修行するものにとって必須のことでもあるようだ。

まず文献を見てみると、古神道では『天上から下された四魂を一霊が統括して人体に宿り、霊止(ひと)になるという。四魂とは、荒魂・和魂・幸魂・奇魂である』。 また、明治時代の神道家である本田親徳(ほんだちかあつ)は、『霊には力無く、力には霊無し。霊、力相応じて、而して神と為り物と為るを得る也。』という。本田親徳古神道霊学では、万物の生成は「霊」、「力」、「体」の三大要素によって起こるとしている。そして、「体」として剛体、柔体、流体の3つを挙げ、これを三元とし、そして「力」として動、静、引、弛、凝、解、分、合の八つを挙げ、これを八力としている。

本田親徳は、出口王仁三郎の霊学の師匠の師匠という立場にある人といわれ、開祖は出口王仁三郎から霊的、精神的ことを学んだとされるので、開祖も本田親徳から間接的に影響を受けられたと考えられる。

この「一霊四魂三元八力」を如何に合気道の稽古にむすびつけるか、そして本当の力がでるようにするにはどうすればいいのかを研究しなければならない。

まず「一霊四魂」であるが、人間の心は四つの魂、四魂(荒魂、和魂、幸魂、奇魂)からできていて、この四魂を一つの霊、直霊(なおひ)が統括するとされる。「荒魂には勇、和魂には親、幸魂には愛、奇魂には智というそれぞれの魂の機能があり、それらを、直霊(なおひ)がコントロールしている。簡単に言えば、勇は前に進む力、親は人と親しく交わる力、愛は人を愛し育てる力、智は物事を観察し分析し、悟る力である。」(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

「直霊(なおひ)の機能を一語で表すと『省』(かえりみる)で、自分の行動の良し悪しを省みることで、四魂を磨いていく働きをする。直霊はものごとの善悪を判断して、人を誤らせないように導き、もしも誤ってしまった場合は、それらを反省し、自らを責め、悔い改めようとする。またこの直霊だけが、直接『天』につながり、四つの魂をコントロールすることで四つの魂を磨くという働きをする。」と言う。(出典:同上)

つまり、「天」の声を直霊で聴き、四魂がこれでいいのかを常に省み、四魂を磨いていかなければならないということだろう。従って、合気道の稽古においても、常にこれでいいのかと省みながら、精進しなければならないことになる。

次に、三元八力の三元である。一霊四魂は「霊」であり、それだけでは力はない。力を出すためには一霊四魂が「体」と相応じて働かなければならない。開祖はこれを、「人間は霊ばかりでは駄目で、肉体がなければ働けません。また肉体ばかりでは本当に働けません。肉と霊とが両々相まって働く時、真実の働きが出るのであります。」と言われている。(「武産合気」)

三元とは流(りゅう)、柔(じゅう)、剛(ごう)のことであるという。流体、柔体、固体である。(これに開祖は「気」を加えるが、複雑になるのでここでは省く)人間の体で言えば、流体は血液、リンパ液、体液などである。柔体は内臓や筋肉であり、固体は骨ということになろう。これらの体に霊(意識)を入れて体を練磨するわけである。流体はより流れるよう、柔体はより柔らかく、固体はより強固にするわけである。

三元がととのうと宇宙全体が出来上がるということは、身体が出来上がるということになるだろう。なぜならば、開祖は常々宇宙と身体は同じであると言われているし、一般に身体を小宇宙とも呼んでいる。身体ができるためにはそのための鍛錬が必要であり、剛、柔、流、そして気の身体をつくる稽古をしなければならないことになる。晩年の開祖は気の稽古に専念されておられたが、我々稽古人が気形の稽古などしようものなら怒鳴られた。まずは剛の稽古をして剛の身体をつくれ、ということだったのである。しっかりした剛健な身体ができたら、その剛の身体を柔らかくし、剛で柔軟な体にならなければならないということだったのだろう。 八力とは、動、静、引、弛、凝、解、分、合の八つの力である。これらの力は動と静、引と弛、凝と解、分と合と対照的である。つまり八力とは対照力、対照力の総称ということができるだろう。三元の流体、柔体、固体に八力が相応じて、固体はただ固いだけでなく、柔らかくなる等の対照力をもち、合気の養成である引力が働くようになり、結びが出来ることになるだろう。

一霊四魂三元八力が整って身につけば大きな合気の力がでるはずである。弛まず練磨するしかない。



此れが成り立つ即ち八力が成り立つ一霊は、「水」しかないのです。

水滴として身体を捉える、身体内部意識をすれば「意念」という過ちを回避出来ます。



今日は更に「一霊四魂三源八力」解説引用を転載します。


一霊四魂三元八力

この言葉は、宗教語ではありません。宇宙の法則であります。

宗教に取りいれれば宗教語であり、武道に取り入れれば武道語で、何事にでも応用できる理念であります。

武道では、三元は三角(△)、丸(○)、四角(□)、「気体、液体、固体」の理念を応用する。
四魂は、奇魂、荒魂、和魂、幸魂、「光みがく、向進発展勇、無信親しみ、愛恵み」
八力は、対照力「動、静、解、凝、引、弛、合、分、」「9−1、8−2、7−3、6−4をいいます。

この理念を植芝盛平翁先生の弟子で高岡貞雄先生に学びました。私はこの理念を研究しながら、指導しております。
昭和49年2月10日の合気道新聞に翁先生の道文が掲載されています。その中に
"ある時ホチ一つ忽然として現れるこのホチこそ宇宙万有の根源なのである"と植芝盛平翁先生は申されています。
高岡貞雄先生はホチを受け止めたから宇宙が、誕生したと考え教えて頂きました。

高岡貞雄先生に教えて頂いた合気道は、受け止めてから、導いて技を掛ける稽古をいたします。

植芝翁先生は合気道には決まった、技がないと申され、歩けば技になると言って、ホイ

ホイと言いながら倒された。倒されても、痛くもなければ、如何にして倒れたかも分からない、

と高岡貞雄先生は申していました。

翁先生は日本の武道家は試合をせず、研究する事が大切であると申されました。私もそう思い研究稽古に励んでいます。

合気道の技は、リラックスであります。自然体であります。

合気道は、相手を倒すを、目的でなく、導く稽古を致しております、相手が、打ってくれば、気で受け止め、導き技を掛ける。

手を、陰陽に使う、水火に使う、対照力に使う。この理念を応用して、稽古すれば面白く楽しい合気道の目的の和合の道に通じます。

以下の道文は、昭和49年2月10日の合気道新聞に掲載されたものです。

一霊四魂三元八力の大元霊が、一つの大神の御姿である。
大神は、一つであり宇宙に満ちみて生ける無限大の弥栄である。
即ち天なく地なく宇宙もなく大虚空宇宙である。
その大虚空に、ある時ホチひとつ忽然として現る。
このホチこそ宇宙万有の根源なのである。
そこで始めゆげ、けむり、きりよりも微細なる神明の気を放射して円形の
圏を描き、ホチを包みて、始めてスの言霊が生まれた。

これが宇宙の最初、霊界の初めであります。
そこで宇大は、自然と呼吸を始めた。
神典には、数百億万年の昔とあります。
そして、常在(すみきり)すみきらいつつ即ち一杯に呼吸しつつ成長してゆく。
ゆくにしたがって声がでたのである。言霊がはじまったのである。
キリストが「はじめに言葉ありき」といったその言葉がそれで、
その言霊がスであります、これが言霊の始まりである。

このス声は、西洋にはこれに当てる字はなく、日本のみにある声である。
これが成長してス、ス即ち上下左右のス声となり丸く円形に大きく結ばれていって
呼吸をはじめるのである。

ス声が成長して、スーとウ声に変わってウ声が生まれる。
絶え間ないスの働きによってウの言霊が生じるのである。

ウは霊魂のもと物質のもとであります言霊が二つにわかれて働きかける。
みたまは両方をそなえている。一つは上に巡ってア声が生まれ、
下に大地に降ってオの言霊が生まれるのである。
上にア下にオ声と対照で気を結び、そこに引力が発生するのである。

高天原というのは、宇宙の姿である。
宇大の生きた経綸の姿、神つまります経綸の姿なのである。
一家族も一個人もそれぞれ高天原であり、そして呼吸して生々と
生きているのである。

高天原とは一口でいえば、全く至大天球成就おわるということになる。
これ増加開闢の極元なり。高天原の意をより理解して、神の分身分業を
なしてゆくところに合気道ができるのである。

宇宙の気、於能碁呂島の気、森羅万象の気、すべての霊素の道をつづめて、
そして呼吸を合わせて、その線を法則のようにして、万有の天の使命を
果させるのである。そしてその道それぞれについて行うところの大道を
合気道という。

合気道とは、いいかえれば、万有万身の条理を明示するところの神示で
あらねばならないのである。過去ー現在ー未来は宇宙生命の変化の道筋で、
すべて自己の体内にある。これらをすみ清めつつ顕幽神三界と和合して
守り、行ってゆくものが合気道であります。

宇大の活動の根源として七十五声がある。
その一つ一つには三つのキソクがある。
イクムスビ(△)タルムスビ(○)タマツメムスビ(□)である。

八力がアオウエイの姿であり、国祖国常立命の御心のあらわれである。
豊雲野大神との交流により五つの神の働きが現れるのである。
かくて八大引力が対照交流し動くとき軽くすめるものは天に昇り、
にごれるものよごれものは下へ地へ降った。天と地が交流するたびに、
物化して下降、交流しては下降しだんだん大地化してきた。
これがタマツメムスビの大神の神業である。
イクムスビ、タルムスビ、タマツメムスビの三元がととのうと、
宇宙全体の姿が出来上がるのである。

合気とは、言霊の妙用であります。言霊の妙用は一霊四魂三元八力の
分霊分身であります。



さて、昨日まで書いたblogのなかにある、三力の最高「核変伝導力」=「動態整体伝導力」を体に身につけられていく武術身体知=最高のスピリチュアルと世直しの入口は、「逐帯伝導力」のようなためて、うねって、伝えてという、思考が認識できる距離と時間かけて力を大きくする発力機構ではなく(たかだかイルミナテイーさんは此れですよ)、かと言って「固態整体伝導力」という、弛緩と緊張の速度て生まれる力であり、弛緩から一気に緊張した時に一切のタイムラグ即ちアソビが一切ない身体全体の質量を力に変換する「逐帯伝導力」よりは、速く使えますが此れでもまだまだ思考が介入出来ます。

植芝盛平翁が言われた、かけた自分もかかった相手も、なぜこうなったかわからないこそが、最高の術の状態であるに示されるように、「核変伝導力」=「動態整体伝導力」は原始核の活動のように分解と合成の中から爆発的な力が瞬時に発生するわけで、化学と物質の融合であり、細胞1つひとつが力の源(一霊四魂三元であるが一霊四魂三源としたくなる理由もそこ)で、力の発生と伝達は同時にひとつの運動中にある!です。

此れが身体で解るならば、地球のオセロゲームは瞬時に、びっくり返りイルミナテイーさんも何でひっくり返されたかわからないから、腹も立たずにやり返すもないに収まり修まり治まり納まる。

悪はあったが、悪をつくったであろう支配層は、陰陽のBALANCeのなかの一部に戻るになり、まさに細胞化したイルミナテイーであり、その瞬間に正義も消えて、全ての人類の命が野生になり、地球の細胞に戻るに帰着します。

此れが、アラエビスでやりたい勝利であり、イルミナテイーさんも進化する共にです。

そして、地球で八変化力は、水にしか出来ない。

だから、先ずは研究教材を一致させたい。

だから、手グミで汲みに山に入る。

此れは、山が体そのモノだから。

身体を水滴まで、割って働かせ、各水滴の僅かな動きが繋がって全体になる。

後は、それが一瞬で体全体の繋がった水になる。

だから、思考が予測する、狙って準備する力とは、全く違うのです。

だから、身体操作が思考や精神の様と深く関わっていたになる。

準備せずに、現実にそのようになった時にその事が起きる(する)しかないになる。

今の地球人類の仕組みを変えるには、身体ワークが必須です。

運動への理解〜自分自身存在の理解が生まれる〜世界観の変化が起きる〜世界が変わる、そしてそれは観念ではなく体認体感を通し起こすのではなく起こるに帰着させる。

此れが、アラエビスの仕事です。

意拳でいうならば、身体に備わる構造の1つひとつは全体能力の1%、考える能力も1%、筋力も1%。

此れが我々が3%しか脳で知覚していないというか、出来ない証拠。

だから、自分は弱虫じゃないとか、強いとか、不安だとか、わかるはずもない。

ましてや3%では陰謀もスピリチュアルも。

羽生くん、メッシ レベルで多分7%。

それでも、世界はわからない。

しかし、そこから先は、思考では無理だから、思考が認知しているつもりの身体認知を、身体そのモノに委ねて見るから始まれば、即ち思考後回しならば思考から始めた限界値の3%や7%ではなく、一気に逆さまから理解が始まる。

ただし思考の理解ではないから、そうなるとわかったという理解だ。

理屈も屁理屈も要らない理解の境地。

即ち色即是空。

それは体認でしか出来ない。

そしてそれは水そのモノの特徴。

だから、身体にて水というエネルギーの動かし方を理解出来る庶民が、束なると世界は変わるになるのです。