あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

新潟から地震も取り上げられ、御用マスコミでも、見事なサインをだし始めました。

これが陰謀的な仕掛けでも、天変地異でも、いかに僕らが何を感じて生きるか?生きなおすかが問われられていると、他者のせいにしないで自分が地球の問いに対してどうするかで、殆どの次の一歩が決まる。

もう太平洋も日本海も来るのだから、自然摂理をそのまま受け取り、逃げないで共に生きる覚悟のみだけだと思うのです。

そして、地球よりの経済を、地球よりの国関係を構築する。


選民主義でなくて、やはり僕ら日本にし出来ない事のように、最近海外の動向は感じさせて下さる。

有りがたい事です。

その生み出す苦しみが、アジア共同体という今までの最大の市場を、いかせるか否かを決定する。

そしてその苦しみから、新しいマネーの創造が実は始まっている。

だから、今が一番大事なんですな。

実は、常に今ですね。

些細な事でも今が結果世界を創る。

だから、全てを自らしっかり意識して自らの素直な良心の決定で、今能動的に生きる事の積み重ねが、唯一大きな目標に行き着く。

対外的な社交辞令も、用を足さない。



僕は何処まで行っても個を貫く。

絶対に、団体の企業の官公の下でから始めるナニカからの、スタートは一切しないし、したくない。

自分が個で弱ちくても立っているしか、個で立とうとしている人とは出逢えないから。

そして、それこそが今始めて地球で起きようとしている、新たな個でしか繋がらない、oneとグローバルの融合だから。

それこそが、集団こそが創るoneな世界観。



新しいマネーは、シェアリングから生まれて欲しい。

ブツブツ交換の良さは、相手の今が感じられる事。

刺身でも同じだし、家を建てる事でも同じ。

問題はその人が感じられるか否か。

これがマネーになったときから、抜け落ちる。

信頼とはナニカ?

果たして信頼こそが資本なるときが来るのか。

ペットを純粋に飼おうとしてるときに、一番現れるかもですね。

信頼は片側では起きないし、信頼を装おう事は無理である。

僕にとって一番の信頼が、里山である。

だから、里山が毎年毎年生み出してくれる様々、数量の違いはあっても決して変わらずに裏切らない。

今起きている、土砂崩れは台風のせいではない。

人が山を裏切ったから。

山との信頼を一方的に裏切ったから。

経済優先で、里山資本よりもマネー資本を優先させたから。

ここに昔から張り付いていた人達は、お山はいつも変わらないと、言う。

僕にとっては、山形ではなく、里山こそが信頼資本なんです。

だってこの空気、山菜、ジビエ、皆様にお配りしている伏流水、このエコロジアは山にしか作れない。

それを、大々的に作ろうと農業を推し進めた。

そして、ただの区画で農地を仕切る。

一見農地でも北海道にある小高い丘には、大きな広葉樹を残すが、それが水を引っ張るから。

それだけでも引っ張るのだから、この人が殆ど入らない忘れ去られた、黒伏山の下の里山は恐ろしい程の水を蓄えている。

それが、僕らを潤す、

僕らの感性を枯らさない。

そこから、一回自分の当たり前や、人類の当たり前を捨てて、自然界が生み出してくれた感性で全く新しい仕組みを創造して、怖がらずに入り込み
実践するしかない。

現場からしか、生まれない。

残念ながら創造とは、直面して与えられる。

僕もそうでしたが、住む前に用意したプランは見事に、壊される、

今そこにあるものを発展させるしかない。

無いものから創ろうとしたから、ここまで紙切れだけの世界を生み出した。

有るものから描く。

そこには取り合えず、美味しい空気があり、安心で涌き出る水がある。

そこに住まわせていただく変わりに、自分を媒体にして、お山と他者に与えられるモノを見いだす。

その時に里山資本主義が見え出す。

マネー資本主義に生きながら里山を大切にしようと、里山資本主義生きるまるっきり逆な事。

例えば津波で財産失い、里に降りる上での生きれる可能性を選ぶか、お山の境界線に生きる可能性を観るかその違いである。