あらえびすブログ

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予定調和を望む人と連鎖著和へ移行しようと羽ばたく人の隙間が、ドンドン広がり出した

大晦日です。

このblogも月間三万まで僅かになってきました。

自分の予定調和という姿勢から、連鎖調和への軌跡を書き記すことが、一番の理由でblogを始めました。

だから矛盾だらけ。

そもそも人は、骨盤という連鎖調和思考と、頭での予定調和思考の狭間に、肋骨という市を配置した体を持たされてしまった。

好む好まざるに関わらず。

それが二足方向に移行した、ホモサピエンスサピエンスには、この相反する身体の機能ゆえに、悩むという《場》を持つことを通過せざるおえないような身体の形を、与えられた。

破壊してだからこそ生まれる次に、やっと行ける場という身体を決定づけてしまった。

体の使い方を研究して教授することを生業にしてきた僕には、今生向き合わなくてはならない大きな課題である。


アベノミクスによって、株価が上がる。

しかし連鎖調和では、絶対になにかが何処かで失われている。

地球は全体で完璧な状態に作られているから、ある一つの生命体の行きすぎた行為を、容認するほど優しくはない。

必ず僕らの無意識世界の何処かで、変化が始まっている。

温暖化も人からみれば、人間が排出する二酸化炭素が原因となっていたが、現状は地球が12000年周期での一年のなかでの冬に入った事で、人間の慣れ親しんだ生きる方法論にズレが起きてきた。

もう確実に寒冷化に地球は向かっている。

寒冷化ではとくに、予定調和はあまり賢い生き方ではない。

あくまでも地球の上で生きたいのならば。

僕は地球の変化に、寄り添って生きることが、一番素直な生き物の道と捉える。


冬場の水源地への道は、今の時期スキー客のラッシュとブツカル。

ラッシュになる理由は、安易な2WDでの御所山への、登坂である。

昨日も滑って動けない車を四台救出して、水源地まで三〇分なのに、二時間もかかってたどり着いた。

標高の割りに急な常磁力性の巨大石を山頂に配備する山は、一分で気象も路面の状況も一辺する。

だから、折角車でスキーに来ても、登坂を諦めなくてはならなくなる。

予定が見事に狂う。

しかし雪ぶかい里山では、地球の今日を見て、始めて今日の予定が決めれる。

それも、午前と午後では全く違う。

そして里山独特の風習である、地域の神社の参道作りやら(今年の年末は二ヶ所も当番である)も、年末には含まれて来る。

今朝は雪が降っていない、それだけで有りがたい。

多いときは五時間かかる除雪を休めるから。

だから明日になるまで解らないから、夜はサッサと早く床につく。

イヌゾリ訓練も、一週間に一回出来るかも殆ど危うい。

そして、四時半には、もうスッカリ外は夜である。

だから、実は都会よりも時間と季節に追われている。

雪も溶け始める頃から、来年の薪の準備。

家の回りに来訪者を喜ばせる掘っ立て小屋や、露天風呂を製作するのでさえ、冬のイメージを頼りに創るしかない。

今回夏場のお水の出荷場所にと、ダンボール箱を積んで運送業者さんが来る為の格納場所に作った、下屋も今年の雪では一部心配な梁がある。

だからその前に、屋根の雪降ろしという作業と心配を、未熟な自分は生み出してしまった。

こうやって、些細な事も全てが自分に帰って来る。

そして、痛い想いを体験して学ぶ。

今まで何軒の小屋を作っては壊したか。

材は、殆ど廃材の古材だから再利用出来るが、タンカン等で骨組みして曲がったら、もうゴミにしかならない。

だから、本当に鉄は使わなくなった。

ひんまがった鉄の造作物を片付ける手間は、半端でない事を悟って、鉄への信頼度が僕の中で、身体を通して破壊されたから。

だから、近くの温泉さえも行かなくなる。

買い物に町に下るのも、ある意味面倒になる。

帰って来てから、やることが増えるから。

地球と一緒に生きるって、本当に厄介である。

けれども、一番逆らえないし、だからこそ一番素直な自分に、やっと逢える。

此れがご褒美だ。

だから水汲みも手で汲むに拘る。




このような体験が、マクロで社会を見たとき、鉄への信頼度が薄れる。

そして、鉄が丈夫という、錯覚に陥る人の身体にも特徴がある事も知る。

勿論思考にも。

予定調和で進めるから。

言い換えれば、暇がある。

それが僕にとっては、アベノミクスでしかない。

株価が上がろうが、地球には全く恩恵等ない。

上がった事で、無意味な公共事業をすれば、自ずと水が枯れていく。

自分のお肌の保湿には一生懸命で、立たせてくれている大地の保湿は気にもしない。

此れがアタマの限界だと思う。


何故、ブッタでさえ、出家したのか。

家を出るって、前の価値の自分をスッカリ壊すため。

次に進化するから、前を振り替えれる。

蝶が芋虫を懐かしいと思うのだろうか。

より今を生きる。

それが地球と生きることで、出家とは一にも二にもまずは、地球と生きるを決めることなのだろうか。

家族が先ではない、地球が先である。

地球や自然界というマクロに、翼を広げて見ないことには、新しい家族というイメージさえも解らないであろう。

きっと蝶は、今の羽を羽ばたくことで、芋虫を思い出している暇はない。

風に飛ばされてしまう。

そして、始めて見える空中からの感覚が作り出す、景色を謳歌することで、芋虫を思い出してセンチメンタルな気分に浸るほど、余裕はない。

地球に生きる以上、そこには区切りも卒業もない。

この区切りを持たない、肚の思考が連鎖調和への入り口である。



さてさて昨日もアートテン作物の購入希望の四国の方から、このアートテン化されたお山が作り出す、伏流水サポーター申し込みを受けました。

昨日の時点で、今月は72名の新規サポーター登録を頂きました。

僕の仕事は、地球と歩調を合わせれる生き方で繋がる、地球人の生きる場の創出です。

そこで始めて生まれる新しい経済の、創出と実践です。

この呼び掛けに、いよいよ一月の新潟から始まります。

東京在住の組合員の中戸川君に助けられて、写真を導入して、チラシを作ったものの、パソコン苦手で、新潟に送れませんでしたが、何故か再度のチャレンジで送れました。

今年中に送れて良かったです。


では、又来年も、この活動もblogも、宜しくご贔屓くださいませ。

そして、来年出版予定の本も、楽しみにしていてくださいませ。

今年も本当にお世話になりました。

とにかく忙しく、年賀状を書く暇もありません。

blogで失礼致します。

連鎖調和の更なる広がりをつくり、皆様でよい年にしましょう。

もう自分達で創る時代です。

必要なのは、自由な創造力です。














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