カマキリ対愛猫幹太君遊んで響命してます。
カマキリと、幹太君が、マーシャルアーツで、お手合わせ。
カマキリの早さにたじたじの猫パンチでした。
それにしても、カッコいい構え。見とれてしまいました。そして九月、秋の気配がドンドン忍び寄って来ています。
ここは、もう雪が来るなと、冬の準備に心がせかされる始まりが、九月から。
僅な夏に咲き誇った、花たちです。
雑草と花たちが混食して、野生の庭です。
キナ臭い、人間の業による、シリア内戦への火蓋が切られるか否かとは、全く違う時間を自然界は生きています。
昨日は、関東大震災から、九十年。
相も変わらず、備えが出来ていない、大都会。
一昨日と昨日でNHKが特集していた、来るぞとの心構えを諭す化のような、首都圏直下と、東南海地震の、データでした。
ぼくは、2015までは、もってほしいと、その期限に向けてこの活動で、一つの新しい《里山志本主義》としての雛形をつくって、そこに傷ついた大平洋側の人達が、家族を疎開させ、新しいビジョンの、大平洋側の再建という気の遠くなるような、スタートを、前向きに切りはじめて行けるように、急いできました。
けれども、それよりも早く、来てしまうのではないだろうかとの、内容でした。
プレート移動のエネルギーが千葉から、富士山に向かって溜まりにたまっている。
此れを見て、富士山の成り立ちが、理解できました。
関東大震災で、ガス抜きが出来ないで、二百年以上のエネルギーが溜まっている、千葉が東京、神奈川、静岡北部に与える影響は、創造を絶する事でしょう。
このとき浜岡原発が倒れ、福一同様に放射能廃棄物が漏れ出したらと考えると、見栄はって東京オリンピック誘致所ではないはずだし、これだけ先が見えない原発をアジアに売り込む事も、本当におかしい。
けれども、不思議にエネルギー作用は、そちらにも拡大進行を、もたらします。
僕は、以前blogに載せましたが、東京でオリンピックが決まる予感がしていました。
きっと開催する事が、首都圏直下と東南海地震以降の、新しい世界の生き方を真剣に、世界にアピールする事になってしまうのかもしれないとも、感じていました。
東南海での、九州、四国、そして大阪、名古屋の崩壊、それが結果逆から富士山に違うエネルギーとして、集積しながら、千葉沖からのエネルギーと東南海からのエネルギーが、ぶつかり合い、その巨大なエネルギーの抜け道が、富士山なのではないかと、おもえて来ました。
だから左右均等で美しい。
そしてその山頂角度は、合掌造りと同じ、ほぼ60度。
即ち、地震大国日本の、プレート移動のエネルギーを抜いてくれる、煙突として存在してくれている。
有りがたい話です。
噴火できたら、エネルギーは、無事抜けた証拠。
問題はそこに到達する間に起きる被害を如何に減らすかでしょう。
それも東京、神奈川、名古屋、大阪という巨大な都市の地下を、富士山というエネルギー抜きの煙突まで、被害を最小限度に押さえながら、通過させれるかでしょう。
それが無事出来たとき、日本人が無意識に富士山に畏敬の念を抱く、無意識正体が
それが連動した場合、日本は二分割になる予感が、僕のなかでは、十六年前からドンドン育って来ているのです。
予測が当たった、宮崎駿さんの、実質的な引退。
そして、後付けで、納得するデータが、様々から出始めて、行くという繰り返しで、この活動にも意を決して、取組始めた。
宮崎駿さんや、自然界楢枯れの状況、地球の変化、幾何学の傾き変形、アートテンテクノロジーとの出会い、政治やその影の陰謀の紐解き、歴史認識、これなどが全て、細菌から素粒子レベルで、全てに影響を及ぼして、一見繋がらない情報が、僕のなかでは、ピタッと立体の世界地図を、ジグソーパズルで創るように、現実化しはじめている。
宮崎駿さんの映画を、《風たちぬ》から、逆におっていくと、《風の谷ナウシカ》は、未来の話のように感じてくる。
直感で、《風の谷ナウシカ》のような世界が、先に直感で降りてきて、そこから時間を巻き戻して、《風たちぬ》に行き着いたのではないだろうか。
《風》から始まって《風》で終わる。
間に《谷》そして、象徴としてのナウシカ。
僕がコンテンポラリーバレエ、三部作《かぐや姫》で三部目を創れなく、挫折したが、これは、一部が《死んだかぐや姫と帝の愛の パ.ドトウ》二部が《昭和に生まれ変わりマネーグローバル資本主義にのまれていくかぐや姫の魂》そして、三部目で停まってしまった。
未来は遠い過去にあったという、今の時間概念が、身についていたら、きっと創れたであろう。
結局、時間は回っている。
だから、真摯に過去に学ぶ。
未来として、把握して。
ナウシカにも、堀越次郎にも、共通するのが、風を聴く能力である。
風とは、マネー資本主義と里山志本主義の融合の声ではないだろうか。
家でナウシカを見て、その上でもう一度映画館に足を運ばなくてはならない。
景子が山形に帰ってくる、十三日辺りにに是非とも映画館に行き、この繋がりを把握したい。
36度の五芒星の増殖の角度。
実はカマキリの前足の角度も、猛禽類の嘴の角度もこれである。
これは、、堀越次郎が言うように、美しい。
僕らの何に引っ掛かって、美しいと感じるのか。
プレートの落ち込みも、36度から、エネルギー増大が始まる。
波が持ち上がり、浜に押し寄せる角度も36度。
沢の石も、流転する水によって、36度に磨かれていく。
そして、昔のblog、アラヤシキ考で、書いた筋交いの45度と屋根の60度の関係が、今日はみょうに気になる。
ここのように豪雪地帯で、雪が屋根で融けて、屋根から落ちないでギリギリ耐えるのも、36度。
その時に角度が浅い屋根だと簡単に、屋根ごと引っ張って剥がしていく壊さを、知りながらいつも家の回りの建家を作っているが、屋根が60度の角度では、剥がされる心配がない。
即ち、破壊再生のエネルギーを持つ、五芒星は36度。
しかし、再生するためには、六芒背が即ち正三角形60度の場が必要なのだ。
この60度の角度は、海にある、テトラポットも正三角形の正四面体である。
此れを繋げた六芒星にしたら、きっと津波のエネルギーを相当緩和出来るのかもしれない。
即ち金平糖を沢山袋にいれた、36度のエネルギーだけが抜けていく何かが、一つのヒントになり始めている。
インフルエンザや、楢ガレの虫食いも、この素粒子レベル形が、食い止めたりして、バランスを整えているように感じられて来ました。
有り難うカマキリさん。
あなたは、36度の構えをしたとき、真上から見ると、確かに蓮の華のように、六芒星で体を維持していましたね。
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