あらえびすブログ

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第4章 融ちゃんが体の内面で掴んだ図式から社会環境に今新たに描き始める最初の広場 その1-1

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融ちゃんが大きな怪我をしたときに解剖学の成田先生がお書きになられた本と出逢うのだけれども、
其の本にはね、「人は自分の体と同じように町を作っていく」って書いてあったのよ。
当然と言えば当然よね。

言われてみれば「なるほど~!」と普通では見落としてしまうけれどもね。
受け身で説明を受けてやっと感じれることだから普通は見落としてしまうわよね。
それこそが目から鱗状態よね。
其が哲学を生んだのだろうかしらん。
だって体一つで生まれてきた人間がその体を通して道具を作り果ては重機までつくるでしょう。

融ちゃんのライフワーク工房ではユンボ(ショベルカー)の体験までやる事もあるのよ。
指導してくれる林業のYさんに「好きな女性をそっと引き寄せて、ぐっと抱き締めるように操作しろ」と言われるんだけれども、見かけとは違って繊細な意識を必要とするのよね。

「花」は子犬だったから逆によく判ったのよね。
だって危ないときにママが仔犬をくわえて守ろうとするとき同じような感じよ。
だから見掛けはいかつい機械だって手仕事の感性がなければ出来ないんだよって言いたいのよ。

子供では当たり前なアシンメトリー脳が外部からの刺激にまだ犯されやすいうちに、社会性で必要なシンメトリーな脳を強引に早く仕込むから根無し草の浅い思考人間を世の中に溢れさせてしまうのよね。

何を言いたいかってと言うとね、そうやって体から道具を作り出すのだから、当然街並みもそうだって言うことを「花」は言いたいのよ。
解るでしょう。

だから世界はあなたが創っているって言うこと。
だからこそ変えていけるっていうこと。
だからあのつまらない真四角な無機質なビルや道路はそんなシンメトリーな一人一人の脳が作り出したって言うことよ。

同じく、その景観ではアシンメトリーな脳を音楽やお絵描きで鍛えてもまたもや簡単に犯してしまうって言う事よ。

知らないふりはもう出来ない時代にいよいよに入ってきたわよ。
だってまだまだ予測される天変地異や温暖化からミニ氷河期への移行等越えなくてはならない壁がすぐそこまで来ているのだから。
ヨーロッパでは景観が人の脳を犯すことが解ってから街並みを昔のように戻していったのよ。
此処でもしつこく叫ぶわよ。
温故知新!温故知新!温故知新!
日本の駅ビルや郊外のショピングゾーンのような無機質は皆無よね。
中国は凄く今もったいない方向に向かってしまっている流れと、上海の原宿「タコボウ」のように其れを生かそうと言う動きが重なっているわよね。
でもあくまでも其に気付いた他国の人が音頭とっているだけなんだけれども。
シンメトリーな脳が作る街並みとアシンメトリーな脳が描く世界がうまく共存共栄したら凄く美しい町になっていく可能性も一方では秘めているけれどもね。

例えばねヨーロッパであれだけサッカーが広まる背景にはね、凄く重要なポイントが思考の地中に埋め込まれているのよね。
動物が当たり前に持っている闘争本能を、悪者にしないで消化出来る街並みこそが成熟した大人の社会だって位置付けたのね。
カトリックで欲を弾圧し過ぎてしっぺ返しが来たのよね。
其から暴力事件や落書きなど急速に減って行ったのよ。
カトリック的な思考は犬族にも子供にも凄く行きすぎな位スパルタだったものね。
けれども其に反発して出来上がったプロテスタントが作ったグローバル資本主義も今行きすぎて崖っぷち。

イデオロギーでは限界に達したのよね。
此れからは零から有るもので動かしていく力よね。
そうホルモン流儀のやり方ね。

アメリカ北方ネイテイブインデイアンは全部自然界に有るものでカヤックを組み立てるから、旅の途中で壊れても直しながら旅を遂行させていける柔軟性思考による「大丈夫なんとかなるから」的な強さを保持しているのよ。
その思考をいよいよ今、人間族は身に付けないとならなくなってきたの。
その体験でしか手に出来ない身体知をライフワーク工房あらえびすでは提供していきたいって思っているのよ。

融ちゃんが取りつかれたように古民家再生していくのも使わない材を工夫して利用していく事を求めている脳が喜んでいるのよ。
それも不思議でお金に余裕があるときは気付かなかったりしてしまうのよね。

だって此処にはその使われなくなった材が林業のYさんのご協力で、家の周りで陽の目を見る時を今か今かと待ち望んでいるの。
そんな未来のヒーローの材をを普段から目にしているからこそ思い付くのよね。
家の周りが無償のホームセンターになっているのよ。
都会では絶対に無理よね。

融ちゃんも此処に引っ越して来たときはゴミだと思っていた様々なものが、自分が使うようになって始めて、此処で以前に暮らしていたおじいちゃんにとっては宝物だったって気付いたのよね。
だから此処の古民家工房はそんな暮らしのモデルハウスなのよ。
都会ではちょっと日曜大工するんでも買いに行くとこらから始めるしかないし、なんと言っても真っ直ぐな部材しかないでしょう。
此れではアシンメトリーな脳は鍛えられないわ。

本当にもうすぐ、今までのように人任せにすることで専門職で分断しあってどうにか食べて来れていた時代は終わって、捨ててあるものでお洒落にリニューアルした家を素人が建てる位の事が普通に出来なくてはならない時代のスタートに入ったんだから。

一番最初に分断に走ったヨーロッパが一番最初にお手上げにたどり着いたわけ。
其処を協力しあって乗り越えて行こうと創ったEUで十分解決できる予定ではあったのにまだまだ問題が出てくるでしょう。
ヤッパリすごい創造性がまだまだ必要なのね。

まるでタイタニックよね。
戻ってなくなる人。 此処に行きすぎると武士道回帰、宗教的共同体と後退する道に進んで行くのよ。 
何人かが助かったかのように見えて其処になだれ込み下敷きになる人。
此れが今の中国がグローバル資本主義を一心に目指している様子よね。
そしてバーチャルな精神世界に行く方々は瞑想に走る。
今精神世界ビジネス大流行でしょう。

瞑想悪くないのですよ。
共同体も武士道も精神世界も全部素晴らしいのですよ。
でもシンメトリーな脳による映写機での画像の差し替えでは意味をなさないのよ。

3Dなのに再生機が3D対応でないと意味をなさないで、かえって見辛いでしょう。
偶然が創る様々が必然を生んで、無意識下に任せて人知を越えたものに身を任せて変革していく様に仕向けないとアシンメトリーの脳には繋がらないのよ。

アシンメトリーな脳でシンメトリーな脳によって安易に造られた社会の中に見本を提示 するのは、本気の体で体得していく以外に方法はないんだって思うのよ。

山伏や仏教修行などに苦行が入っているのは其のスイッチをいれるためね。
けれども今は其処にSPEEDも加味しないと地球がもたない所まで来ているのよ。

木も水もない砂漠で「花」は散歩したくないもの。
だからイラついたら其れを他者にあまり迷惑かけないで発散する「場」をサッカー場にヨーロッパは位置付けしたのよ。

イライラするって言うのは、アシンメトリーの脳がシンメトリーな脳で構築されて起きた現象に対して感じとり出てくる表現なのよ。
だからイラットしたら町中に、道路標識と共にあるサッカーボールのマークを見てサッカー観戦して、発散する。
ましてやSPEED感覚溢れるアシンメトリーな脳から繰り出される妙技の瞬間を人間は見せつけられると、イライラが解消されてクダラナイ悩みや不安はどうでも良くなるのよね。
そして「大丈夫なんとかなるから」って言葉が出て来るのよ。
此れが求められる前向きね。 なげやりでは駄目よ。
そんな「場」をサッカーボールの標識は示しているのよ。
飛行場やトイレのマークとかあるでしょう。
あれと同じレベルでそんな時はここだよって教えてくれているのよ。
ヤッパリいち早くグローバル資本主義のつけが体に現れて精神病がいち早く出てきたヨーロッパならではの先進性よね。

石畳とか古い建物とかカーブした道とかヨーロッパの街並みは飽きないでしょう。
これもシンメトリーな脳で町の景観を作ると脳が破壊されて創造性が発揮できずに結果様々な環境変化に人間がついて行けないって言う重大な事に気づいたからなのよ。

オランダでは、ヨーロッパ全体での自律神経発散国と言う位置付けだから、様々に合法な物が氾濫しているでしょう。
教会の裏口路地の真ん前に飾り窓が営業中だったり、昼から結構強い酒飲ます立呑屋があったり、合法麻薬のカフェが昼前から店開けていたりとね。
そしてポリスは行きすぎた人だけを取り締まるのよ。
そして現代美術建築の宝庫でもあるでしょう。

ヨーロッパは音楽だって120年前にシェンベルグがあのよくわからない現代音楽を発信したのだから凄いわよね。
融ちゃんも「花」も単純に日本もそうなって欲しいと行っているわけではないのよ。
アシンメトリーな脳には良いも悪いも常識も非常識も真っ二つに綺麗に分けるような単純で幼稚な働きはないんだって理解して貰いたいのよね。
常にいい塩梅な時が軸が整っているときなのよ。

アシンメトリーな脳は上手に凸凹でどうにか良い塩梅でバランスが取れるように、細心の注意で分けれる特質を持った思考なのよね。

身体では其処はアシンメトリーな形の横隔膜より下の内臓にあたるのよ。
此こを日本人の「肚」と言う感覚言葉は身体の抽象的な位置の存在を示しているのよ。
だから「肚を決める」って「保証されているから」とか「簡単だから」とか、理由があっての決定ではないのよ。
難題に対して「何としても越えてやろうじゃないか」って言う覚悟よね。

融ちゃんは大好きなインデイアンの首長の「其でも己の道を進め」と言う言葉を何時も思い出すんだって 。
そうして次は肚と他者をひとつに繋げて行ける肋骨内部よね。
ハートは胸で感じるでしょう。
アシンメトリーを社会に提示するためにはもっともっと肋骨を知らなくてはならないのよね。
其が「気付く」よね。
頭では気付けないのよね。
捨てられて要るものを創造性で息を吹き替えさせる凸凹アシンメトリーホルモン流儀は胸でしか感じ取れないハート無くては甦らせれないものよね。

其処に愛が生まれるって想うの。
古民家工房のトイレにおいてある日めくりのこの言葉はとっても脳の構造を知るためにヒントになるわ。
「常識で考えるのではなく、今こそ次の常識を考えよう」

融ちゃんは新しいことなんてこの世にないって感じているのよ。
発掘して発明して発見するだけよね。
常に凄いSPEEDで動いているのよ。
無意識なうちにキャッチしないと見えてからではchanceにはならないのよね。