あらえびすブログ

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明後日の四日市ピース小堀さんの可能性無限大ライヴに向けての準備で今blog。やはり人工知能に..

明後日の四日市のビーチ小堀さんの、無限大ライヴは二百名。

その方々へ届ける、生きた伏流水準備は先程終わり、明日出発に向けてのいない間の様々な作業を終わらせ、今blogタイム。

さてさて、一万名の前向きな方々が相互扶助で、未来を共に創るならば、必ず道は開かれます。

それは人工知能とも凄く関わりがあります。

人工知能が、人類を越すは目前。

既に越している分野も出始めています。

じゃあ!僕ら人類が伸ばせるのは、亜空間領域。

即ちアバンギャルドなアート思考が生まれでる、脳の隙間を開発するになる。

人工知能=イルミナ的な左脳。

結局イルミナちゃん方は、アバンギャルドアート思考力は皆無。

だから、シュールレアリズムアート以降、そんな最先端なアートを高額な値段で買い漁る。

アバンギャルド的な究極な対局アートは、更に彼らには神的な思考になるわけで、アラエビスはまさにそんなアバンギャルド的な究極な対局アートが常日頃発展したくなる『場』を、究極な資本主義形態のタオとして、発表し続けてここまで来ました。

まさに、此れから先は、イルミナちゃんが高額な値段をつけたくなる、未来型のシステムなんです。

絵画の世界で岡本太郎画伯が生きた世界は、まさに究極なアバンギャルドアートとしてのアートな庶民生活なんです。

だから、僕は究極なアバンギャルドダンスは、振付がない演出がない究極な世界ですから、それをなし得れた時にダンサーとも呼ばれないし、ダンスとも言われなく、ダンスが日常の所作に含まれてしまう、究極な生活アートスタイルなんです。

だから、アラエビスでは常に、一日全てがいかにアバンギャルドアートかを、スタッフ一同が求め悩み爆発して、昨日より今日が如何にアバンギャルドかに価値を見いだしています。

同じルーティンや思考は、一切合切拒否する勇気です。

そんなチャレンジが、ピース小堀さんの一万名ライヴ達成後には必ず必要な、現場です。

ピース小堀さんが、一万名にチャレンジするも、アバンギャルドへの扉です。

ルーティンでやるは進歩ですから、職工的なプロの世界です。

そしてその最高峰が、フリーメーソン〜イルミナちゃんへの流れ。

しかし、職工のプロの限界に一番気づいているのが、彼らそのもの。

だから、戦う必要なく勝てる可能性『大』なんです。

職工は人工知能に越えられて行きます。

だけど、アバンギャルドはプログラミング不可能なんです。

ロボットはロボットという人類が与えた使命を生きざるおえない。

後はその使命を、勝手に間違った解釈に働かないように、やはり監視するわけで、ロボットがロボットを辞めて猫や犬にはなれない。

しかし生命は、如何様にも、言い方を変えるならば命が永続する為には、今の人類を辞めて違う人類になるわけで、それを進化というのてすから、進化はアバンギャルドアートだから起きるのです。

即ち、人類は進歩に限界が来たのです。

随分進歩の為の左脳を発達させて来たのです。

だから、人工知能が登場出来た。

しかし、究極アバンギャルドアート知能は、完全右脳ですから、ロボット基板には不可能なんです。

そして、左脳的=職工的=イルミナ的な支配は終わるのです。

右脳が支配者ならば、体のメカニズムは破綻するのですから。

即ちモダニズムの終焉なんです。

モダニズム(近代主義者)が時代にあわせて、その時のセンスになぞらえて行くのに対して、本当の芸術家は常にその時のセンス(感覚)に批判的です。

惰性的なあり方に反抗して、それを乗り越えて行くという、反時代的な形で、自分の仕事を押し出していくのです。

誰もがそうしなかった時期に、新しいものを創造して行くからこそ行くからこそ、アバンギャルドなのです。

芸術における本当の新しさという事は、へんな言い方ですが、新しいという事になる以前にこそかあるのです。

新しいと言われたら、もう既に新しいのではないかも?

容易くは認められない表現。

人に先んじて、無理解とたたかいながら、問題を出して新しい美を発見していく。

その自らの中の猛烈なぶつかり合いが刺激になって世の中を進めて行くのです。

進化はそのようにしか、現れないのですから。

だから自らのなかでの、完全なイデオロギー思考の爆発です。

左脳のイデオロギーは、他者に対してですが、未来型の人類=アバンギャルドアートな右脳人類を生きるならば、それは自分内部でのイデオロギーの左脳と右脳の対決なんてす。

だから爆発が起きて、生きるエネルギーに変換される。

それが未来型の人類なんです。

だから全てにおいてタシャとの争いが地球から消えるのです。

そして、たたかいという本能も、なくならないのです。

まだまだスポーツはタシャと戦っていますが、最高峰レベルのみは自分との戦いですよぬ。

しかし、此れからは全ての人類が、戦いは己の中での事象になり、それは素晴らしい生き抜くエネルギーとなるのです。

岡本太郎画伯の言葉を借りるならば、『最初にその自己のイデオロギーの爆発によってつくられたものと、後で抵抗なくつくられたものとは、その中に籠った気配がどうしても違うのです。そもそも内容が違うのです。純粋な芸術的な発想(間違いなく此れからの人類の発想を指します 東出談)。大変な努力と精神力によって自分自身をうちひらいていった、苦悩によってだけ掴みとるなにものかであり、他方は、それを応用してつくった惰性的な気分でも受け入れられるようになったもの。』

ならば、政治の限界も、経済の限界も、人類生活の限界も、モダニズム自体が終わったからだけ。

さあ、アバンギャルドに駒を進めましょう。