聖書は、旧ヘブライ語で意味を決して伝えようとしない、句読点ゼロの書物で、口承伝承でした。
日本語は、漢字から平仮名、カタカナ、英字など、表音文字と表韻文字の両方が絡まった文体構成で、右脳と左脳を両方駆使して読む、グローバル資本主義化の中では、良くぞ残ったナィティブ型の言葉です。
それは、西欧諸国では既に失われた、言葉の濃密さを示しているのです。
そして、当時いた預言者とは、意味を解析する方々ではなく、すなわちセンテンスではなく、非ー意味=ノンセンスの場に踏み込んだアーティスト的な方々を指したのです。
今は、意味づけばかりが、横行していますが、まさにグローバル資本主義化に呑まれ出している現象です。
だから、物語で書いたわけですね。
聖書研究家の、気仙沼の有名な癌専門のお医者さんがおられますが、彼は始め標準語で診察すると癌が大きくなり、東京出身の方ですが、気仙沼語で診察すると癌が小さくなるを発見します。
そして、笑うが一番免疫力が上がるを、発見して病院内に寄席の会場を作られます。
勿論、診察も方言を多用する。
その結果、クリスチャンのこのお医者さんは、気仙沼語で聖書を英語から訳します。
学会で沖縄のクリスチャンであるお医者さんと、聖書の翻訳の話になり、沖縄のお医者さんが、聖書は、旧ヘブライ語から翻訳しなくては、真意が掴めないよといわれます。
今の聖書は、グローバル資本主義化に、貢献しやすく誘導するように、意味づけセンテンスで仕上げられている、英語の翻訳なんですから、気仙沼のお医者さんが一生懸命旧ヘブライ語を勉強して翻訳すると、全く違う内容だったわけです。
まさに、聖書の舞台は気仙沼東北のように、非ー意味なホログラム文体だったのです。
だから、声を出して読んで貰い、その気息を通して理解していったのです。
理解と言っても、意味を(効果を直に早く知りたいような形態での理解)知るだけに終わる理解ではなく、例えばその言い回しによる「例」から、新しいモノの考え方を見いだしていくような、言葉の無限な運動性の可能性を理解していったのですね。
ですから、当時の預言者は、解説者ではないのです。
聖書のような句読点もない、ホログラムな文体を、コード化された引用句をタイプアウトしてくるのではなく、渦を巻き呼吸しているような脈動体としての、聖書ホログラムを、丸々マンマ預けられたものとして、預言者が
いたのです。
だから、権力者は預言者の登場を恐れたのです。
聖書の解説は意味がなく、聖書による(他の本でも同じ)運動性こそを取り戻し、生気を帯びた有機体に変え、新しいメッセージを引き出してくる事が可能な存在の出現が、イエスの復活ではないかと、僕は察しています。
レビィナス先生の「ブーバーの思想と今日のユダヤ主義」には、
ヘブライ語のシンタックスには、ラテン語やフランス語やドイツ語におけるような一義的な文節と言うものがありません。
くっきりした文節ではなく語と語の接合の方に向かう事の傾向は、けっしてそれが劣った表現段階にあることを意味しません。
それどころか、我々のヘブライ語が明晰や定義などというものにたどり着かず、すなおな接近や非ー分節化への傾向を持っているという事実には、それが西欧諸国言語から既に失われてしまった言葉の持つ濃密さが示されているのです。
「ダブィドバノン【天国書簡】」にも、
おまけに初期のヘブライ語聖書には、今日のような章立ても、節への区切りもなかった。
このテクストには句読点が一つもなく、いつ始まったともなく始まり、いつ終わるともなく文字がなくなっていく、文字通り「前も後ろもない」テクストだったのである。
それどころか七世紀に至るまで、子音表記の組織が確立していなかった為に、口承伝承を憶え書きするための
記号のように、子音だけが表記され、母音は暗黙の合意のもとに表記される事がなかった。
当時、聖書を読めた人々は、必ず声に出して、句読点が一切ない、渦だらけのホログラムな文字の流れの中に、気息のリズムのみで区切りを入れていた。
聞き取る側も、まるで詩や唄に託した、神話のように、解説者とは無縁な想像力が必須であった。
預言者は、意味づけ解説者からの逃走者でなくてはならないのです。
意味の構造からも、
存在の囲い込みからも、
直線的な二項対立イデオロギー思考からも、
三次元的な空間性からも、
逃れ出ていく運動線思考でなくてはならない。
そして、そもそも階級社会が縦列に存在していない思考しか持ち合わせていない日本人は、誰もが預言者にはなれなくても、それを聞き取る事には天才であった。
だから、この日本の辺境に張り付いて生きてきた、爺様婆様は、まさにグローバル資本主義化の
中で稀有な、預言者集団であります。
今、アラエビスの活動がまだまだ弱小ながら出来上がって来ているのは、彼ら預言者がアラエビス的な活動を、預言していて下さったから。
まさに、水源に軽トラがどうにか入れるのも、三代前の地主さんが、何れアラエビス的な活動をしなければ、世界は立ちいかないくなると、自費で林道からの側道を引いて下さっていたからであります。