辺境とは脊陵山脈の現県境が殆ど。グローバルワールドの先は助け合い。争わないは境程に大事にした!
全く気象条件が違う、脊陵山脈=今の山岳県境=辺境。
実は、一番戦闘の最前線だが、お上の言うとおりにしたら後先は、その『場』が拗れる。
だから、聞いたふりしながらも、後々代々がその地で生き抜けるように、気を使って生きたお互いに。
そして現都市部=中枢は、グローバルワールド=覇権中枢部です。
しかし、中枢部にいる民は、元を辿れば辺境出。
だからこそ、一番の違いを越えた唯物論にて、見えない観念の違いを創造出来る。
即ち、一番の助け合いを未来に実現出来る場こそが、未来のコスモポリタンだ。
昨夜は二時まで岡本太郎さんの、対極と爆発から、指揮者の違いをクラシックmusicで学ぶをやりましたが、まさにモダンからアバンギャルドへは、流石にマルクスからヘーゲルまで真剣に学び合いながら、芸術で世界の違いを越えて芸術という表現で、支配者家畜化世界を越えようとした当時のパリあっての、太郎さんの素晴らしさだろう。
その辺境コスモポリタンを遂に築いたが、ニューヨーク。
しかし、それは見事に9.11にて警告された。
だけど辺境の助け合いが融合が当たり前がなければ、アバンギャルドアートは進まない。
しかし今のグローバルマネーコスモポリタンでは、学び直すは今はなかなか難しい。
先ずは、本当の辺境が頑張らなきゃならん。
グローバルマネー経済が、邪魔をしないから。
山形の全ての県境に、雛形出来次第staffが分かれて、秋田県境、新潟県境、福島県境にある素晴らしい辺境にも、アラエビスを創ります。
それがあれば、此れからの県の在り方を、大変革出来るから。
その実験は、見事に現在の都市部の、大変革を行える雛形になるでしょうから。
さてさて、Facebookにはシェアして、コメントも書いた九州三部族。
まさに解体は、今回大失敗。
逆に辺境が目覚めた。
神を自分の中に戻すが、マルクスが唱える未来型の唯物論。
まさに、九州は取り戻し始まった。
ヨーロッパで言えば、キリストの死である。
宗教の、解体である。
そして、仙台のサポーターさんから、日高見国三部族の記事が。
まさに、山形の4つの、県境を刃物をように鍛錬すれば、健在な津軽や秋田は変わるから青森は変わる。
岩手はまだまだ手強い。
しかし津軽や宮城(気仙沼)が変われば、自ずと変わる。
山形は、最上が都市部中枢から、入り込んで見事に日高見国の砦としての山形を、一瞬に変えた。
だから未だに、山形中央を周りは好きでない方々が多い。
山形四ヶ所の辺境を、辺境ならではに戻すならば、山形中央も一気に変わる。
そこが変われば、栃木、埼玉も、大きく変わりだす。
九州からの波が、西日本を変え出すが、3.11以降まだまだ我々は、本来やらねばならない本質をやってはいない。
それはまさに、日高見国の復活に繋げなくてはならない。
では、津軽三部族を、このURLから。
http://mario.gnk.cc/tsugaru/sangunshi7.htm