あらえびすブログ

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ハイデッガーと和辻哲朗から、日本が何処を目指し生きて行くべきかを追求したリーダーバッハは凄いよ!

今朝は、早朝ミーティング録音しませんでした。

溜まりすぎてしまうからですが、明日はこの中にみる、本当の日本のアィデンティーとは、「世界に秀でた翻訳文化」そして、そこを追求すれば地球の役割を果たせるを、皆で勉強したいと思います。

その前に、少しだけ、予告で取り上げてみますね。

この一章の中の始めのタイトルから、たかだか二ページで、僕にしたら凄く有意義に時代を生きていく事が出来ます。

そのタイトルとは、「日本思想」か、それとも「日本の思想」か!です。


日本思想は、日本に流入した異他的な思想を踏まえる事によってしか、視野に入れる事が出来ない。
この場合に有益なのは、広く知られている日本文化のある特性描写から話を始めることである。
つまり、日本は繰返し「翻訳文化」として特徴づけられてきたのである。
中略
これに従えば、思想の分野についても次のように言うことができる。
つまり日本思想とは、翻訳された異他的な思想である。


だから、西洋と東洋とアニミズムのどれもに属さずに、全てがあるのですが、短絡的に言えば、一番精神のグローバル化が進んでいる、受容構造のワイルドさに僕はどうしても着目してしまうんですよ。

合気道植芝盛平翁にしても、宇宙と向き合う他者をひっつけ結びつける、ボンド役に徹する受容構造のワイルドさゆえに、身に付いたモノが合気と言う概念になっていったが、僕にはしっくりなんです。

だから、身体ワークにしも、自らの民俗身体学における特徴を踏まえるならば、自ずと起きる事象に向かいながら向かう道を知ることが出きると信じています。

様々を理屈抜きに受容出きる特質を、ブラスに使えるならば、この日本で日本人が出きる限り良い状態で生きていく、ベースがハッキリして来ると。

又々、下らない妄想(誰だか解らない同士が妄想遊びをしてます)が、継ぎはぎでまるでの貴殿方は自称凄腕探偵と思う位にやってますが、この身体不在の情報ひっつけゴッコこそが、日本の行く末の怖さであり、受容構造が身体を離れて、頭で繋ぎ合わせ、さも知ったつもりでいる、此れが日本の闇になって行くと感じています。

そもそも、身体の感覚で繋ぎ合わせたから、受容構造を活かして生き延びてこれたはず。

その辺を、生身の人々と話す、此れが何よりも重要なんじゃないでしょうか?