二百年先=七代先 その身体意識をやっと手にし始めた58歳が、次に駒を進める為にやる事とは何か?
昨日のブログにも書きましたが、兎に角一番のマイナスの贈り物を、贈与として頂きそれをとにもかくにも一生懸命やり抜く事。
僕が二百年後の先に目標を設置出来たと思える身体感覚を手にした昨日。
もう既に、何かが自分の中で大きく違っている。
まだまだ、文章化出来ないけれども。
新規スタッフを先ずは受け入れたのも、その為の様々な準備に先月末から奔走したのも、僕にとっては贈与に感じたから。
この辺境に身をおいて、旧態依然の国のシステムが切り捨てる様々を元に、新しい経済を創り出す事も、それが天からの贈与に感じたから。
その段階で【風に立つライオン】という感覚は、凄くシックリ来すぎているのですが、此処までもそうであったように、新たな霧が目の前を閉ざす。
幾何学的には、いよいよ正四面体の一点に自分がたち始めた。
それはスッキリとワカル。
しかし、正三角形経済を=贈与が基本に据えた未来型の経済の形と、確りと捉えて此処まで来ましたが、いよいよ立体に立ち上がったからこそ、正四面体の立体になりだしている。
その正四面体の頂点に当たる点は、左脳から右脳へと、右脳から左脳への無限大の思考がDNAのように交差した点を、立ち上げたからこその結果。
つまりシュタイナーが言うように、人類は広葉樹を逆さにした生き物だから、僕らは直立して自由な足を手にした。
これも今では、凄く明白に身体で感じ取れる。
即ち、思考が根で、足側は枝や葉っぱである。
此処までの感覚も、身体感覚においてスットと身に付いた感覚がある。
広葉樹は、我々の思考に当たる枝振りが、左右に延びながら上に上に育つので先ずは根を真っ直ぐに伸ばすのですが、それは無限大の形を一周事に大きくしていくから、無限大交差の点が上に伸びていくのでしょう。
その、一周後の大きくなった∞の、左脳から右脳への拡大が二百年後に焦点が定まった事の現れなのでしょう。
だからなのか、昨日はまるで風邪をひき始めたかのような感覚が、身体を覆っているのです。
内田樹さんと言うガイドが、今回の贈与に対する道先案内人になってくれたのですが、そのガイド本になった【属国民主主義】が終わって、さあ次はとなったときに、ここから無限大の軌道は右脳から左脳に向きを変えていくので、即ち下降するので、このように身体に直ぐに現れて来ます。
今までの円周とはまるで違う大きさなので、体に現れる下降曲線がとってもしんどい、きっと生理痛のような状況にいます。
さてこの後には急激に回旋して、右脳から左脳に上昇し出すのでしょうから、ガイドは又々中沢新一さんに多面的に戻るように進んで、【雪片曲線論】になるのだと、今の今気付いたのです。
少し、生理痛が緩和されたかのようです。
きっと、妙に早い冬への下降曲線とも呼応してしまっているのでしょうか。
しかしそうならば、完全な紅葉になる前に、冬の蓄積したエネルギーこそが春を呼んでいるのかもしれません。
つまり、絶対的な時間があったのではなくて、雪だるまフィボナッチがしめすように、過去が未来を呼んで創り出すのでしょう。
これも概念では、既にわかっていたのですが、今凄くスッキリと身体に身に付いた感じがします。
今日のブログは、もう余りに哲学で殆どの方には意味不明でしょうが、僕にとってはこの贈与として受け取ってしまった、未来型の辺境雛形作成と言う事業には、哲学なくしては辿り着けないので、ご勘弁くださいませ。
つまり季節がそのまま身体に現れ出したのです。
そして、この贈与で頂いた活動そのものが、人生そのものにまでピッタリと当てはまり、この下降曲線が今五時十五分から急に左脳に向けて上昇に進路を変えたようです。
9月の末頃から予感があった、十月十一日は、このように大きな下降曲線から上昇気流を掴まえて、一気にその空飛ぶ猛禽の羽が創る今と言う過去が、春に向かう風を掴まえてその風を【風に立つライオン】が崖の上で掴まえて、と同時に猛禽の羽がその風一気にのって、進路を一気に左斜め上に変え出したようです。
既に、来年の春がもう見えだして来ました。
今はただの風景でしょうが、飛べば飛ぶほどにハッキリと細部が、網膜に創造されて来出すのです。
昨日フェイスブックでシェアした、インデイアンのダンスはこのサインでした。
インデイアンの七代先に行く眼差しには、この猛禽の翼が必要だったのですね。