ツリーハウスのミニチュア遂に完成!サポーターの小島建築士が届けてくれました。
いのちのもり響命プロジェクトでは、いよいよ第一陣コミュニティー建築に、来年取りかかりますが、問題は今の基地の建て替えです。
下の部落に購入している土地に、様々なプロジェクトの基地と訪れる方々の宿泊施設と、地元の方々も無償で入れる共同伏流水風呂と、スタッフの住まいをいよいよ建築しますが、問題はたかだか車で五分弱のどん詰まりの、今の基地をどうするかです。
スタッフと、作業場と、中心になるクラブハウスは、下に移して助かるのは下の部落「入り第二」ですが、上の今の部落「入り第一」の石名坂隣組は、アラエビスを入れてたったの五軒。
そこが、一番雪が多く、皆で管理する面積が広い。
だから、全員が下に移るわけには行かないのです。
そして、土砂災害重点環視地区でもあるから、ここの建て替えはかなり制限されます。
しかし、今のどん詰まりのうえにある水源地も、アラエビスは守る義務があります。
下に作成する、クラブハウスメインで作業は、していくでしょうし、最終的には今の水源地のスキー場側から上がる水源地がメインですが、だからといって今の水源地をも、グローバル資本主義から守らなくてはなりません。
しかし、今の建物そのままでは、到底我々夫婦が住む場所にして、訪れる方々の身体ワーク場所や、より深く関わる方々の奥院的な場にしたとしても、果たして制限の中でどれほどの大きさが建築可能かにもなり、果たして夫婦二人がメインの家周りや周りのお年寄りの家周りや、消火栓や消火貯水倉など共有で管理する様々が、出来るのだろうかが、考えなくてはならない重要な事でもあるのです。
今、山を守り、里山全体の事を考えて、次の一歩を踏み出す時に、こんな様々を悩めるのは、正直に幸せで感無量であるのです。
アラエビスが大きくなるは、必ず考えなくてはならない全体をどう扱うかであり、その問いに答え続けて様々小さな全体を束ね直して、更なる都市部と田舎での人間関係を豊かなモノに再構築してを通過して、その過程で生まれる様々を本気で考えて対処する体験に真摯に逃げたり適当にかわしたりではないオフラインの訓練が身を結び、日本一体の森と水源地のjyomonトラストから、世界の森と水源地のjyomonトラストまでを繋げて行けると確信しています。
日本中を飛び回ってのイヤシロチ化や様々に始まりだした日本中の過疎地の方々との繋がりから生み出されたオフラインの繋がりから今、離れていてもネットワーク化し始め様々が、そこに様々な価値のや文化の違いがあっても、地球と共に生きるネットワークには欠かせない一致点である森と水源地のトラストがやはり重要である、基軸なんだと再認識しております。
そこから生み出される、新しい成長しないからこそ豊かな経済システム作成実現には欠かせない、全てを見限らない肚の意志が問われ続けますが、それは大きな目標を持って始めた自分に与えられた天佑なのですから、その壁に向けての悩みは、当たり前に心が躍るのです。
環境難民も、環境難獣も、環境難植も堂々と受け入れ解決の道を模索し様々を実行しながら、出てくる問題には全て、様々なアイディアで対策をこうじながら、過疎化や環境異変での様々な災害にも、人的配置でどう対処していくかなど、地球のトラストにはキリナク現れる様々を切り捨てなくやるからこそ生まれるチャンスは、出てくる問題全てに思いっきり向き合う事です。堂々
そんなEARTHコンシェルジェあらえびすには、今回一歩進んだから体験出来る問題は、カミハカライそのものです。堂々
先に活動が進むは、活動が広がるは、必ず更なる試練が当たり前に存在しています。
チャレンジもせずに、キリギスに移民などに向き始めた同士やら、様々に問題を見いだし直接討論せずに影で批判する同士や様々がおりますが、知識よりも体感して進む庶民の束が生み出す知識や行動を僕らは一番信じます。
その意味で、山を見続けてきた地元のご老人の体感からの示唆が、あらえびすには一番のご意見番です。
学識は、必ず現実が欠落しています。
体感は、実行し修正しを繰り返して行けますが、学識は必ず先に大きな箱物的なモノを作成して、間違いに気付いた時に修正出来ません。
あらえびすは常に小さい何かを実践し、前進するから出てくる問題を、その場で対処して進むは、この里山に暮らし先住民のご老人達に教わった未来型の処世術です。
だから、移行期に必要な様々は、移行したら壊せばよいだけです。
イルミナティでさえ、品換えドンドン進むのに、永続な人類都合の正解を探しているうちに、僕らは生きる本質を忘れてしまう。
対処療法は、まさにその暇人類が留まりやすい。
子供を、その誰もが天才な可能性を、拓かないように閉じ込めているが、実は失敗を過大に感じる思考。
違えば、ドンドン修正すれば良いだけ。
皆さん、一番の敵は、自らの思考の拘りとフットワークの重さです。
小島建築士は、五十代後半に見える七十三歳。
思考も、フットワークも、本当に軽い。
だから、ウリフ神殿なるものを、ツリーハウスとして創造しました。
彼は今、思考と肉体を切り離すに、チャレンジしています。
アーティストは、限り無くチャレンジ。
だから、思考が若く、思考が肉体を創る。
筋トレは、既に古い。
筋肉が思考化するが、一番怖い。
頭が薄くなったら、隠す思考よりも、さらけ出す思考が移行期には、絶対に必要なんです。
悩みを、アートにして、可視化して自らも笑い飛ばし、前に進む時代だよ。
横尾忠則も、宮崎駿も、誰がいつ創作したか解らず、なんかあったよねを、目標にしています。
悩みは、自己愛。
笑い飛ばせば、悩みはアートです。