あらえびすブログ

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右脳から左脳へ架ける橋により創られる新世界には、左脳から右脳への道を捨てれた方から行ける!!

たかがここまでですが、ここまでに取り合えず辿り着いて感じる事は、やはり業捨しないと来れないもんだでした。

前橋の業捨セラピスト、サポーターさんのKさんの業捨セラピー体験は、まだまだ擬似肉体体験でしかなかったと感じます。

しかし、僕は本気のセラピー1回でしたが、まあまあ内臓に拘りが良くもここまで蓄積してるもんだ!!でした。

あの七転八倒は、既に業捨の前に、自らの左脳から都合よく右脳の世界を覗いての、良いとこ取り繋がり利用による、左脳世界でのビジネスに見事に右脳から待ったをかけられ、スッカラカンに捨てるまで、回数にして、七回は七転八倒でした。

今思えば始めに捨てれたほど、楽でした。

左脳では珍しい良いことほど、キツいかもです。

何故未来考えここまでやって来た人から、全て捨てさせらるの?左脳社会での細やかな成功も持ったまま行けないの?この自問自答。

だけど、解っているけどやめられへんが、家畜化された我々。

意味もなく、捨てるが怖いが、捨てると全ては自分を認める為に、偽善者勝ち組になるためにつけた、鎧でしかなく、良いことほど、鎧が捨てれない。

それほど、左脳に縛られハートを使っていないのです。


だから悪ほど、早く捨てれる。

良いことだとハナから思ってないから。

左脳での良いこと悪いことなどは、右脳では残念ながらミジンも役立たない。

だから、此れから良いことだと思って、悪いグルにより支配されて来た、家畜化良いこと大好き団体が実は一番、一番行きたい場に行けないかもと、感じ始めています。

悪いグルは、善に気付けば行ける。

即ち例えばソウカイ学会などは、信奉者は皆殆ど純粋な方々。

だから家畜化されやすい。

その方々が自ら、団体を抜けて個で立ち行動したら、不思議に連鎖で繋がる。

此れからは、国家を越えて此れがおき始める。

もう既に、僕の前にも、他国の個との連鎖が生まれだしている。

だからアジア共同体とは、その個が繋がり始めて出来上がるが、貧しいモノ、財産を高価な物質を持たないモノほど、楽に早く行ける。

早く言えば、あの世に持って行けないモノや人は、所詮誰のものでもない。

恋人、子供まで必ず何処かに所有欲がみなぎっている。

実は、所有し会わず、引き合う関係を自らの深い部分は、目指しているのに左脳の支配にまけて所有する。

だから、宗教も大体の共同体も、所有をやめるが入会条件になるが、他者に求められるから洗脳と言われる。

自ら、捨てるは実はモノでも家族でも恋人でもなく、所有欲を持つ部分大好きな、左脳優勢な自分を捨てるだけでした。

だから、ここまで地球が人類の、所有欲を嫌い日本ならば那須山から噴火しそうな状況も、左脳優勢な人類へのエクササイズだと思えば、越えるしかない。

もう捨てるモノがスッカリない自分は、天変地異でも何でも受けてたつ自分がいます。

徐々に太陽に近付いて来ました。

外へ温かさを光を全方向に注ぎ、自らは所有を外すほどそれが出来るから、いつもクールで自問自答がゼロ。

だからハートが反応することには迷いなく、やるだけです。

渦の中心から、全てに光を放つ。

結果自らの内部には、影が作れない。

アジアの全てがそうなれば、世界には、影が必要なくなる。

影は左脳が求めている。

そして影がない世界とは、左脳が求める偽善の光ではない。

だから自らが、隠し事と言う自らのみの聖域を所有出来ない。

化粧でも、高級品衣料でも、指輪でも、家でも、車でも、恋人でも、子供でも、幸せな家庭でも、仲の良い夫婦像でも、所有と言うこじんまりした聖域から、発していたら必ずいつか重りになって、右脳の世界には行けない。

誰かが作った価値から点を集めて、自分を説明しない。

自らが右脳から左脳への架け橋を持つときは、全ての点が所有しないのに自由に、エネルギーとして使える。

但しエネルギーだから、使えば消える。

だから消えるモノにツカワニャならん。

箱モノは、殆ど廃棄物で創れるに徹底的に拘れば、五十万で一軒シェアリングハウスを持ち、維持するは可能だ。

三家族ならば、四軒持てば回れば旅行で出張で3種の自分や仕事が楽しめ、世界中に友達が出来る。

つまり一家族二百万で、四軒シェアリングハウスを持てる。

全てで自動的に仕事も生まれる。

但し左脳の心配性は、捨てろが、合言葉だ。

もう人類の左脳優先社会は、限界だから誰が総理になろうが、誰が社長になろうが、どんな立派な志で繋がろうが無理と地球は言っている。

左脳が作り上げたシジョウ市場をイチバ市場に、そうただの広場に戻す。

広場が、市場にも公園にもサーカスの祭りの場にも保育園にも学校にもなるが、前提でありスタートだ。

だから自然に箱モノはなくなる。

使い方もシェアリングに徹底的に拘る。

専門的な場や仕事や隠れ蓑は、要らないよ。

その暮らし実践すれば、必ず右脳から左脳に架け橋が自動的に架かるよ。

だから、やるっ気ゃない。

飛び込める奴から飛び込むしかない。

始めてのスポーツをゼロから創造するようなモノが、新しい世界を開くから、議会で討論したって始まらない。

曲がりクネッタ梁も、現場合わせで大体あう。

だから左脳で身構えても、ズット身構えたまま。

新しいスポーツ創造してる集団の前で、混ぜてよなーにやってるの?と聞いても良知が開かないしょ。

今なら、背の高い奴から低い奴から、でかい奴から小さい奴から、太った奴から痩せた奴から、女も男も実は左脳の幻想だから、全てが生かされるスポーツの場やルールから様々を創造出来る。

この創造は、一過性ではない。

全く新しいフランチャイズだから、新しい場作りに呼ばれても、彼処でツリーハウスだから此処にもツリーハウスなんて二番煎じは、アーティストではない。

だからたまたま、始めての経験があっただけ。

だから生きてる限り、創造の翼を広げ続けるが生きるにかわる。

だからワクワクだ。

毎日がリスクを感じる。

だから生きてると実感する。

右脳の街作りは、間(^з^)-☆尾(^з^)-☆創造は、最高のアートで終わりがない遊びであり、それが生きるに変わるから当たり前に継承されていく。

それだけがあの世と繋がりあの世でも喜べる価値観だ。

自分が自分を説明するために所有しているモノ、果たして死んだあとに誰が喜んで持ってくれるか?

家でさえ、重荷だから要らないと言う、子供が沢山出始めた。

だから、墓も考え直すには、ぴったりな時代だ。

さあ、勇気を使う時が来たよ。

右脳の世界に飛び込む勇気を。