春の嵐の中、岡山の阿波に車を飛ばして娘たちに逢いに生きました。
彼女なりに、都市部を離れいなか暮らしを自ら選択して、始めは都会から来たっていじめにも合いましたが、まだ薪ストーブ一個の古いおうちで、どうにか逞しく一年目の冬を越えれ、長女には自信がみなぎっていました。
都会から田舎の小さな学校に行くと、部落的に狭い人間関係ギクシャクしやすい。
僕も5年かかってやっとその田舎でのいい案配を、感じとり始めましたので、娘のここまでの苦労はよく分かります。
一方腹が座りまくっいる次女は、保育園でもすでにリーダーシップ。
先妻のお母さんも、次女のガテン系には笑えるらしく、外食のときもあり得ないほどの、大きな声で「頂きます」。
御遊戯会でも、他の子の声が聞こえないほどのガナリで唄うらしく、保育園先生方も期待されていますよと。
一方でテンガロンハットに半袖のTシャツのお父さんは、相も変わらず変なお父さんと、保育園でも、小学校でも、子どもたちや先生にお陰さまで大人気でした。
そしてここの水源地を開く計画も、実現する気運を感じて来ました。
ここから大山と出雲を再来年開いて行きたいと感じております。
今日はこれから神戸で、お水のお話し会であります。
この水の力が創る動きは、人智を越えます。
丁度ジブリの目立たない作品で、 「ミヨリの森」を見ることが先日できました。
森と泉の王女に認められた、東京育ちの小学校六年生のお話し。
おばあちゃんが良いのです。
魔女ですね。
舞台は飛騨高山。
屋根裏部屋に世界中の祀りのグッズが溢れている。
要所要所での、おばあちゃんの一言が良いのです。。
森の命のエネルギーを司る見えない何かを感じ取れなくなった、親との対比も凄く良かったです。
さて、春の嵐の後の神戸は、晴天。
又、新しいエネルギーが遠赤外線で、持ち上がって来ているのが感じとれます。
ここは、黒伏山そのものです。
最近この水が届けられている空間は、そこに黒伏山の霊気が充満して、ボトリングしている場も神社のようになって来ました。
それが、このお水の行った先々で感じはじめています。
空中を黒伏山の水蒸気が、日本中を繋げ始めて下さっているようです。
この子達も、キットジブリの映画のように、ミオリの森のように、彩里安と桃果の森を岡山に繰り広げて行くのでしょう。