今日は雪ちゃんとイヌゾリ新参犬大ちゃんと共に、黒伏山給水でしたが、雪で延期漆喰塗り作業に
ここでの手作りの生活の楽しさは、決して部分を意識するだけでは、なりたたない事です。
好き嫌いも、得意不得意も一回全部捨て去って、新しい自分に出逢って行くしかない。
東京から伊豆に移住して、少しずつちっとも得意でない大工仕事や、薪割り、土木、動物の解体等ををやっていくうちに、得意ではないけれども、好きではないけれども、自分の手慣れた分野との何らかの関係性を見つけたら、すごく興味が出てくるのが面白い。
その繋がりは.分野を無意識に越えていく,
そして、全体で生きていた頃の、意識もしないで繋がる関係性が、ドンドン複雑に作動し始めると、ニューロンが繋がるのが面白いのです。
これは一度本気で得意を辞めた事からしか始まらないし、それは作られた教育のニューロンが消え去る。
そこから、始めて全体脳がどのように働いているかが、見え出す面白さがあります。
そして、まるでジグソーパズルのように、人によって出来上がる手順に同じものが全くないのです。
ですから、ある程度出来上がるまでは、主義主張でモメル結果になりやすい。
五割以上出来上がって来ると、他者の道が手助けになってきだす。
勘の良い方なら、二割から三割自分以外は神様であるとわかり始める。
全体脳が働くと、縄文の頃はどのように生きていたかが、よくわかり始める。
薪割りが薪割りで終わらない。
それが、お山の現状に、半年後の食卓の料理に、露天風呂作った暁にはお湯の質にと、言い出したら切りがないほどの内容になり、哲学になっていく。
そうやって、始めて作業を通して地球と共に生きることを、自然体で身に付けていく。
これこそが、頭で考えるのではない、新しい生き方の入り口なのだろうと感じる所までは、どうにかきた。
今年はジャム作りは多くのジャム欲しいサポーターを、今から募集しておきます。
家庭で、負担にならない量を作るのとは、全く違う醍醐味を味わって欲しい。
きっと作業が嫌になるでしょう。
そこに見える、市場原理主義の問題が、三年もやれば手触りで、何かがつかめる。
これが薪割りでも感じ取れる。
水汲みでも同じ。
これが、限界があるけれども、ジャムに、炭焼きに、薪割りに、お山の野性動物にお水の状況の関係性に見えてくる。
そこから宇宙の繋がりまで感じれたときに、僕にも神が見えるのでしょうか。
さて、水汲みにサポーターさんがお越しになってきていますから、春には薪割りに、ジャム作りにお越しください。