《森と泉・そして民の縄文響命トラスト 新夷(あらえびす)》が力を注ぐ、情報を記憶する水について
汚れた水は、共鳴して血液を汚してしまう。
汚れるといっても、H2Oは変わらない。
安定したクラスターの形状、即ち六芒星を創らないので、栄養分を吸着できない。
それだけではなく、分子がバラバラでネットワークを持たない。
ネットワークを持つと、クラスター構造を崩さずに、合わない分子の自動的な入れ換えを行う。
死んだ水とは、まさにこの事を示す。
そうすると我々の血液を含める全ての体液は、全て違和感を持ち始め、その流れが僕らの身体の病や心の病を引き起こす。
今皆様にお届けしている、二千年前の伏流水は、二千年かけて水自らの情報をZERO化する。
此れは人を寄せ付けない場の高い高い高地の朝露か、凍るか、雪の力を借りる。
雪と行っても、低温によって生まれるのパウダースノーにしか出来ない。
僕らは体内の水のクラスターが壊れると、イライラしたり、落ち込んだり、暴力的になったりする。
その時、頭を冷やして来いと相手に無意識に伝えるが、この身体言葉は何を冷やさせたのか、明白である。
寒い冷え込んだ朝に外気触れる。
それもパウダースノーの、人間の痕跡が少ない場で。
背筋が伸びる。
体液のクラスターが、外界の水の情報に、響命したのである。
六芒星形状のクラスターは、自由に左回転上昇と、右回転下降を繰り返す。
龍の動きを取り入れて、左回転で捻られ成長した木は、まさにこの作用を受け入れてしまった木である。
地球と宇宙の水の響命に、選ばれた木と解釈してよい。
決して木が自らの力で、努力して吸い上げたのではない。
だから、僕らも天性がある。
それを知って、迷わずそれに向かうと、外の水と体内の水が響命して、連鎖調和を数々生み出す。
木が「私の吸引力で吸い上げています」と思ってとしよう。
この努力は、エゴの努力。
そうすると、HARAに余計な力みを生み出す。
この状況では、僕らの体を自由に体液が、上昇下降運動が出来ない。
よって身体内部の汚れを血液に載せて、腎臓や肝臓に遅れず毒素が溜まる。
ゲーテの自然観察学をベースにシュタイナーが研究したように、我々は植物と逆の作用を持って地球に存在している。
木は二酸化炭素を吸って酸素を排出、人間はその逆。
しかしこれだけが逆ではない、彼らの枝が僕らの下半身即ち逆立ちしている。
木は根が思考している。
真っ暗闇で見えないからこそ思考する。
我々は見える世界を思考しているから、おかしくなった。
八方塞がりこそ、チャンスとはまさにそれである。
人間は宇宙に向かって思考し、植物は大地に向かって思考している。
我々がしっかり根をはる生き方をするとは、宇宙に向かって思考しなさいと示している。
木と我々も陰陽で出来ている。
去年の冬至から陰の世界が6000年周期の扉を開いた。
皆様にお届けしている陰の水は、心を陽にする。
陽の水は心を陰にする。
まさに水をもう一度浄化する時代に入った。
無意識化での変化を見つめる思考が則される。
冬至にはもう来年の枝振りの芽が出始め、大きく表皮を割けさせて出る時期である春分をまち、力を蓄えている。
水は凍ると膨張する。
だからコンクリートさえも割りながら、植物は芽を出す。
無意識化での増殖の目標が、連鎖調和の特質である。
予定調和は、春分以降の見える世界を、思考が相手にしている。
今までの陽の時代は見える増殖を、より増殖させてきた時代。
けれども陰陽が混じり合う750年(まさに今であり、その二年目に突入する)は、じっくりと陰の時代へ地球上の生命体を移行させる。
此れが見える現象でも起きてくるが、その糸口は直接的なものではなく、クラスターの分子の関係と同じく、六芒星をベースに五芒星で増幅し始める。
これは思考を宇宙と繋げていないと、感じとりその現象の現れを一見関係のなさそうな現象から、見定めることは出来ない。
雪の降る様に、ZERO化から始まる増殖を見つけれるとき、陰の時代の見極めかたの萌芽が心で芽生えたのである。
3釻11が陰謀説も含めて起きたこと、楽天イーグルスが優勝したこと、これは陰の時代への幕開けを予期させる現象である。
宇宙は、今しっかりと縄文時代へ着々と移行し始めた。
その時、地球が宇宙の調和を存続させるために使う人種は、蝦夷の民である。
モノノケのアシタカの役割、ナウシカの役割である。
そして、日本人の大半が蝦夷である。
縄文への明日に翔る橋を、弥生から駈けるのは、我々であり、それはトップダウンで動かせない宿命を持つ。
死の世界が北であるも、縄文に目覚めないように、封印された。
北枕こそ、ZERO化させる。
陰の時代は北の時代であり、東の時代である。
そして、雪の降る生活圏の時代である。
封印を解くことは、この何気ない弥生の後付けの常識に対して、非常識を生きると決めることから芽が出る。
木々の芽が過去にオマージュを懐きながら、この世に生まれでては来ない。
だから自然界が示す、常識こそを今思考しなくてならない。
昨日はラッキーにも、雪が融けて黒伏山に入れました。
新井先生の熊本での会に試飲伏流水を送るのですが、それに間に合うようにビデオレターを作製することになり、すいげんちまでの映像と、水源地映像を取りに行くことを、宇宙は準備してくれたようです。
その為に三十名のサポーターさんのボトリングの後に、ケイズデンキに行き動画耐用の安いカメラを購入。
素人映像ですが、朝も昼も雨と雪なのに、無事晴れ間のをぬって山に入れました。
今朝は真っ白の世界です。
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