フルボ酸鉄を知ろう 2
その1
今日は森がどのようなメカニズムで、地球の生命体の維持に必要な、フルボ酸鉄を作り出すのかをお伝えしながら、何故二年以内に、一万人会員を目指し、更に一年先にはフルボ酸鉄を含んだ天然伏流水をどうにか全国で買っても飲めて、市場の供給とは別な手段で手に入れれるシステム作りを僕がやろうとしているのかを、書いていきたいと思います。
Facebookには此れから、この地で目にした、自然の仕組みを見つけるに至った、日常に転がっていて、興味を抱いていないと、ついつい見落とすシーンも載せて行きたいと思います。
昨日はバッタの肛門から寄生した虫が、出てくるのを目撃しました。
此れは如何に全体で一つなのかを示している、重要なシーンです。
僕らのお腹にわく寄生虫も、実は体の毒素を食べてくれていた事が、大分前ですが発見されています。
虫と言う単体からの視点での世界観から、寄生虫にも住まいを提供して、変わりに毒素を食べて貰い、食べるものが無くなったときに、お互いのシェアリングが自動的に終るという宇宙観の視点へのジャンプです。
僕らが綺麗と認識しているものは、ひたすら自然界の仕組みの恩恵を、体から解離させていると言われています。結果、消毒しすぎることで大事な仕組みさえも、殺しています。
体にとって、余り良い影響をつくらない寄生虫も、体内環境のバランスが整うと、悪さをしなくなります。
今では癌も海外では、タタカナイで大きくなって悪さをしないように共存する方法が、主流になってきました。
僕らの人生で起きることも、バランスが崩れて現れると理解すると、悪いものを除去するのではなく、全て起きることが、関係性のアンバランスから起きたと理解すると、良いも悪いもないと言うことが見えてきます。このときに必然と呼ぶのではないかと思っています。
しかし現状を打破しようとするときは、宇宙の仕組みでの爆発が必要です。
其が気かっけで、あえて一回アンバランスを起こし、バランスを整え替えさせます。
其が病気でとか、臨死体験でとかで人生の価値観が大きく変わり、新たな扉を開かれていく方の体験談も、多く耳にされます。
つまり多種多様な世界観内部での変容や、世界観から他の世界観への衣替えでは、結果大きく変われなく、世界観から宇宙観への飛躍のスイッチが突然変異的に入るのだと、僕は感じています。沢山今までに興味を持った世界観山ほどあった筈です。
結婚も殆どが今はそうですね。
他者を使って世界観を渡り歩こうとする。
結果連れ添っても、結婚はカルマの解消だから、離婚しない程度に上手くお茶を濁す。
仕事でも本当にその仕事に命賭けている人は、ごくわずかでは、ないでしょうか。
けれども世界観を渡り歩いても、人生とはそういうものと諦めて惰性で今の世界観を生きても
いずれ矛盾に悩みます。
何故なら矛盾を受け付けない世界観だからです。
今僕らは、宇宙観での結婚、宇宙観での仕事、宇宙観での家族という、新たな「場」の構築が必要な時代に来てしまったのです。
自然界が人間の分断した多種多様な世界観で傷つき、一方人間界では、世界観どうしで争う国が減ったようでも国家間扮装がなくなると、不思議に内戦が増え、其が末端の学校にも、家庭にも、自己の中にも解離がお来はじめて来たのです。
ドンドン小さなものへ直接影響が、起きはじめているのではないでしょうか。
自然界が人間だけに何故か作れてしまう世界観に、悲鳴をあげればあげるほど、人間界では、末端の弱者にそのしわ寄せが来はじめているのです。
何故そのしわ寄せが弱者に現れのかは、自然界がバランスを失ったときに地球上のどの部分から崩れて行ったかで、わかります。
地震も津波も、台風も、洪水も、温暖化が終わって来年から突入する七十年の小氷河期も僕らには停めることは不可能です。
此れに寄り添い越えていくしかない。
そしてその時期を越えたところに、バランスが新たに正常化した地球の安定期があるのです。
その仕組みというか、宇宙観の発動で自然界が取り戻したいのは、生命のオッパイです。
フルボ酸鉄の復活を仕掛けて来ていると思います。
僕らも悪いものを食べると、勝手に除去しようと腸が収縮して、下痢を誘発します。
僕は地震も同じなのだと思うのです。
そうして海をかき混ぜて、プランクトンが沢山いる海に戻してくると思うのです。
そうして、精神世界的解釈ではなく、僕らも地球の一種の参加者に過ぎないと考えると、人間の思考が宇宙観に戻っていけば、そのバランスを微妙に感じている地球は、自ら大きな地震を起こさなくても良い筈です。
だから来る備えは、そのままで回避出来る可能性にも繋がると、解釈しているのです。
しかし地震が来ると感じる方も、人の意識レベルが高くなったから収まったらしいという方も、世界観では、バランスは整いません。
だから本当に大変なのです。
意識の高い人達が知らず知らずのうちに、足の引っ張りあいをしてしまうのかも知れません。
だから人間はバカだねと認めて、自然界を観察するのが、僕は一番近道だと感じています。
そしてフルボ酸を知り、又時間をへてフルボ酸鉄を知り、そのものを含んだ伏流水に出逢い、そのメカニズムを知るほどに、地球を尊敬してしまうのです。
畏敬の念があるから生まれる畏怖の念。
世界観の怖れには敬意が含まれていません。
宇宙観の尊敬と怖れには区別がないのです。
この事に気付いて進むたびに、孤独感を感じます。
淋しいのではないのです。僕らが如何に生きるという本質の自然界から、解離してしまったのかという寂しさです。と同時に涌き出るのです。伏流水のように。
此れは御所山の伏流水を飲んで、二ヶ月目からハッキリと変化しはじめてしまいました。
何故わざわざ、このような事をやらなくてはと、感じてしまったのか?
何故こんなに、大変なのに、地球の大きな変革時期の前段階でのモデル構築をしようと躍起になっているのか?
そのわりに、妙に覚めていて、冴えているこの自分はなんなのだろうと?
???????.............けれど、此れが世界観から宇宙観に思考の中心が移行した、証拠なんだなと今は少し慣れては来ました。
そして其がこうやって、フルボ酸鉄を含んだ天然伏流水を飲んで、様々を実験していきましょうという運動に繋がったのです。
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