新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る 皇の時代の宇宙国建国までの舞
昨日のオルガノコーヒーのキックオフイベントは、とにかく様々な方向から興味しんしんでした
まずは、所謂ネッターといわれている、ネットワークビジネスにかけようとする方々の、特に南部アジア系列の血が混じられた方々が、本当に多いことにビックリいたしました。
僕はジェイソンテイー同様に毎日飲むコーヒーが霊芝入りで良いものならば、飲んで体が自然に受け入れれるものなら、今後アラエビスのカフェで導入しようと言う位で、積極的に自分のミッション置き去りにして、それで成功する事は、僕とっては成功ではないので、周りの盛り上がり方には本当にビックリでした。
架橋やアメリカ型、成り上がりビジネスの血筋をしっかりと感じ取れました。
それはそれでとっても、興味深いひとときでした。
一方でオランダで、火星への移住片道切符が発売され、世界中から殺到。
この記事も、結構興味深い事です。
これに群がるのも、一番はアメリカ、二番が架橋でした。
僕は、山河に生まれ、山河に暮らし、山河に戻りたい。
これは、妻の景子も全く同じです。
けれども自給でもありません。
ここでは、いざというときの不安が、相当レベルで零化に近いからです。
天変地異に巻き込まれて死ぬのは、天命ですから僕はジタバタしません。
けれども、都市での二次災害で死ぬのは、ちょっと悔しさが残ると感じています。
自然によって死や生きる過酷さは、自然なのだから越えれる運命の者は残されるだけと、とてもシンプルなものと捉えています
これも全てが欲望と言う心の構造によって起きるのでしょう。
ですから、本物の心の構造に近づいて自分を見極めたいのです。
それを見極めて、極力近い生き方実践したい、これが個人的、家族的には、一番の幸せなのです。
その上で、その自然界が創り出す畏れを味方に招き入れての経済と言う形式を、生きているうちに細やかでも実現して、これこそが日本のビジネスの仕方であると言う、チャレンジに結果乗り出しているのです。
ですからネットワークビジネスの商品を、渡り歩いて行くという構造も、良い悪いではなく、欲望という心の構造が絶え間なく働き続ける一つの現れです。
僕で言えば、躍りがうまくなりたいとかも、ヤッパリ同じ構造でした。
昨日ある方から、メールでこんなご相談を受けました。
恋と愛の違いを教えてほしいと。
出来るだけ詳しくと。
きっとお側で今手伝っている方から、このblogを観る事で解答になるのと、これも欲望と密接な関係にあるので、ここでお答えしたいと思い付きました。
そして、ベストアンサーは、困難ですが絶対にシンプルです。
《愛》とは、この欲望研究の捻れの先にあり、より増幅して戻ってくる、捻れ構造を有する無限大そのモノであり、相手に対して言ってはいないのはないでしょうか?
《恋》は、対象がモノ(神が生み出す全て)から者や物に移行していますから、停まった点と点の間でしか、成り立たないのではないでしょうか。
《愛》は、敵が味方に変わる瞬間。
《恋》は、敵対したら、破局なはず。
どちらも男女関係とは、限らず、子育てに恋しちゃっている母親も沢山いるし、仕事に恋しちゃっている方も沢山いるし、アウトドアに恋しちゃっている方も沢山いるし、ファッションに恋しちゃっている方も高級車に恋しちゃっている方も沢山います。
これ全て、昨日のblogで言えば、非連続な個体の集積でしかなく、一方で《愛》は、強いうねりを持って外の世界に向かうものです。
ですから《恋》は、代替えが様々に可能です。
僕も色々失った時に、お酒に恋をした時期がたいそうありました。
体ぶっ壊すまではいきませんでしたが、アルコール依存症でしょう。
恋は依存症の一つ。
欲望の脳確認現象としての点という、一次元構造。
でも、まだまだ今までの社会や経済がそうでしたから、男女関係も趣味もそうなって当たり前ですね。
停まった点に向けられる、だから代替えが可能になります。
けれど永遠に上がりのないゲームは続きます。
その点は本来、ベクトル平衡体を貫く、十二本のベクトルによって関係性持ち、中心から絶え間なく増殖される、トーラスエネルギーが永遠にわきだします。
これが《愛》の構造です。
それは、今のところ、生活に根差した位置に降り注ぐ自然界の脅威を、敵から味方に思える体感経験からしか、僕は得れないと星野通男さんの本を愛読して、結果東京〜伊豆〜泉郷に越して、やっと手に出来た、僕なりのベストアンサーです。
星野通男さんは、カヤックで大海に漕がれているときに、このような体験をなさりました。
鯨が群れで小魚を泡で逃げれないように追い込んで、そこで巨大な口を開けてしたから丸のみするようにしてジャンプするという、バブルハンテイングと呼ばれるものがあります。
この泡が自分のカヤックの周りにドンドンきだして、段々黒い影が海底からカヤックに近づいて来る、その時はもう死ぬなと思ったそうです。
そうしたら、ギリギリで鯨が気付いて、狩りを止めたという、有名な記事があります。
これこそが鯨にそして地球という大きな生き物の知覚に、その一部分にいる自分に《愛》を感じる瞬間であり、流動的に流れるように感じるエネルギーが存在する。
それを愛と呼ぶのではないでしょうか。
星野通男さんの全ての文章と写真に、愛が見えます。
景子の撮る瞬間にも愛が映し出され、彼女は泉郷で今後多くの写真集を出していく予感がしているのです。
ですから、僕は野性の思考〜野生の科学〜野生の経済という流れを、レビーストロースさんや中沢新一さん星野通男さん今の泉郷でのネイテイブジイチャンバアチャンの力を借りながら、野生の日常がある空間を住まいにして、そのなかで当たり前にある、山開きや山伏の行事にも訪れながら、なにかを自分から抽出しようと試みているのです。
神話では、人間世界の物質的な富は、一つの殺害から生まれたと考えられてきました。
大賛成です。
それが今の自然界崩壊の逆襲です。
そもそも無駄が一切ない自然界を、穴や綻びや欠落だらけにしてしまったのです。
そもそも穴や綻びや欠落がない無限の連続体を《原人》とよんでいたのですがその原人を殺して今のグローバル自由資本主義が成り立っているのです。
原人は人ではなく、和多志ですね。
中沢新一さんいわく、この綻びのない連続体を殺害して、バラバラに切断して、物質出来た世界の構成物や富が発生したのですが、人間の本性を観察してみるかぎち、私たちの心は、どうやら原人が殺害される前の、無限の連続体をしていた頃の真の欲望の姿を、無意識のうちに記憶して、いまだにそれを求めて欲望を立ち上げては、挫折を繰り返しているのです。
ですからトーラス構造とクラインの壺が合体させた構造が、今後の全てに起きてきたときに、やっと新しい時代が始まるのではないでしょうか。
現在の経済市場はトーラスで終わってしまっています。
ケネーやマルクス以外は、殆どトーラスだけで経済学を語ります。
よって、ここまで来た。
この続きは又明日。
今日は宇宙人にも、接触される物理学者で、合気道の師範でもあり、愛で全ての武術が可能になられた保江先生と、UFOのコンタクトやシリウスの上演で有名になられてきた、サリバンさんにお逢いして、泉郷に帰ります。
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