あらえびすブログ

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野生の思考への入り口 意識と無意識 そしてblog

意識と無意識とblog

一昨日読者登録された方、丁寧なメッセージ有り難うございます。
私の文章をお褒めいただきましたが、絶対に勘違いですよ。
私は、ただただこの自然界の大きく変わる時期に、目線を変えて生きるを実行するなかで、自分に起きる変化の過程を記述しておく必要性を、感じているだけです。
其は誰のためでもありません。
伏流水のご利用サポーターの仕組みと実践も、ただただやれと自分を突き動かす言葉が自分の奥底から生まれるからなだけです。
自然界を無視して、残念ながら命は繋がって生きません。
お金というシステムでの変換じゃないシステムが、今後間違いなく様々な場所から噴出してきます。だからその変換方式を、私という命が生きて、食べていくために、沢山の手段を持っているべきと言うことをもうひとつの私が感じているだけです。
その為に人様迷惑を沢山つくってきました。
充分過ぎるほど、人の人生に迷惑をお掛けしてきました。
恥ずかしながら、人にお褒めいただくものは、全く持っていません。
ですから読者がいらっしゃるという視点をお借りして、自分と対話を重ねているだけです。
僕がblogに期待するものは、自己内部への旅です。
その為には、外の世界観の目が必要なだけです。
其は、野性動物と至近距離で、其も家から一キロも離れていないところで、目線が合い、無言の
十数秒間での関係とほぼ同じです。
何度か此れを繰り返すうちに、自分の中にいる野生が産声をあげます。
だから僕が書いたものは、野性動物にも、僕を批判される方にも、僕に同調される方にも、全く興味ないけれども何となく見てしまった方にも、誰に見られていても、変わらない自分の生き方です。
それがあっているのか、間違っているのか、損か得か、お金もうけに繋がるのか、繋がらないのか、そのどれにも興味はありません。
何故ならこうしか生きれない自分が一番自然だからです。
しかし取り合えず、お褒めいただき有り難うございます。

今日は越谷で二つのワークがあります。
因みに二年前フットわいてきた直感での声が、今日ワークで、叶えられるのです。
狭間における身体が一番効果を生むのですが、その為に生きると死ぬとの狭間をいつも意識したく、このような限界集落に住み、伊豆の頃はワザワザ台風翌日にカヤックでの訓練をしてました。
今日は念願の葬儀屋さんでのワークです。
全国中の葬儀屋さんでワークしたいなと思ってしまった事が、大体一年半に何故か叶っているのです。
散々東京の頃にレクサス乗ったりして、結局見せたいだけじゃない、結局君自身の評価で乗っていないじゃないと言う声がして、レクサスオープンカーから伊豆に移り住むきっかけで突然キューブにして、それさえも違和感感じその頃ボロいケイトラが一番しょうにあっていると思いきや、その二年後にはケイトラで済ませています。
面白いですね、無意識は。
忘れた頃にやって来る。
其を家宝は寝て待てといったのでしょう。
寝て待てですから、意識してしまった後に忘れてしまいなということでしょう。
無意識化でしっかり根が張ると、忘れてしまうもの。
たまにアルバム見て、そういえばこう言うことがあったと思い出すように、意識してないのに気になる。
けれどもフット気付くと忘れてしまっている。
全てをこの状態に自分はしたいのです。
自転車乗ることも意識しなくても乗り方を覚えている、
大好きな人も仕事に打ち込んでいるときは忘れている。
フット一息ついた時にその隙間を埋めてくれる。
此れが僕にとって、極上の関係です。
けれども何時でも意識してが愛だとか恋ならば、フットついた空白には不安が入り込みます。
其が僕には、不安の正体です。
不安をなくすためには、一番意識したいことを忘れてしまうこと。
その為に他が呆れるほどに意識してみることしか、僕には入り口を見つけれませんでした。
だから無意識になるために、書いているんです。

だってもう僕にとってこの限界集落に暮らすことは、余りに当たり前で、初対面の人にはあえて伝えません。
だから、まだblogをはじめて、一ヶ月と二十日ですが、本当に自然界の変化の加速と同調していますから、僕に起きる変化は、良いも悪いも今は以上に早いですから、伏流水の活動も無意識に落ちると、もうblogでは、取り上げなくなります。
その半年後には、日本中で伏流水に含まれているフルボ酸鉄の必要性を、ひしひしと感じる方が増殖していることでしょう。
自分ではまだ遅いと思っていますが、自然界はそうやって動いています。
サーフィンのように、自然界の変化の波の上で一体になってみたいのです。
見事に3釻11では、波に越されましたから。
勿論、先に波を予測してその上にのれたぞと、自然界に「どうだ!」と叫んでみたい、ヤンチャな自分がいます。
けれども、それこそがもっとも自然を愛せるときです。
畏怖の念が畏敬の念に昇華されるときです。
本気で快感です。
このとき、死と生の狭間にいます。
一番生き生きと感じるときです。

そしてもうひとつ、引きこもりの子供さんと親御さんのワークで、使用する、お水と、絵本。
此れも普通にバレエを教えることに限界を感じ、十年ぐらい営業した東京北区の大きなスタジオをたたみ、それでもレッスンはある程度広い空間が必要でしたから、海外の企業のトップ用に大きな賃貸住宅を扱っているKENコーポレーションさんから東京大田区六年住宅をお借りしてスタジオにしていましたが、ここに移ったのも、ジャンプする瞬間レモンの酸っぱさと梅の酸っぱさどちらが有効かという疑問、そしてその体感なくして今伝えたいこと、伝えられないと認識してしまったからです。
ですから生活空間にスタジオが必然でしたが、見事に家庭が壊れました。
その時に取り入れるもので体感は決まってしまう、其が動くときに、内部体感こそがインナーマッスルを動かすと解り、その頃に絵本を書いて説明が一番だと気付いていつか書こうと思っていました。
勿論たまに、意識化に現れます。

例えば、ラーメンやカレーが無性に食べたいと思ってしまうとき。
そしてそれなりに身体が満足するラーメンやカレーを食べれたとき、暫くは無意識に落ちて次の出番を待っています。

この絵本とそうして更に基本の中間軸に影響する水の味覚を通してのワークが、約十年後の今日に其が現実化するのですから不思議です。

此処は身体情報です。
因みに全ての特徴がある味覚は肺胞に記憶が刻まれるんですよ。
梅とレモンでは、胸で感じる高さが違うのです。
このとき反応している、肺胞の位置が感じ取れます。
其は味比べをするときに、お水を飲むように、お水は中心、即ち白紙を作ります。
ですが添加物の偽物では肺胞が反応しません。
だから肺活量は本物を取り入れているかに凄く影響を受けます。
そして軟水フルボ酸鉄入りのナチュラルウオーターでなければ
軸を正確に捉えることには限界が来ます。
軸も無意識で扱うものです。
意識はその為にするもの。
しかし真っ直ぐな線を意識しても、内部運動とは、全く配線が繋がらずに、外の配線と繋がって結果回転運動から追い出されます。
無意識が野生の思考への入り口です。






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