あらえびすブログ

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共感力を養う。見てるだけでは絶対に覚えられない。 共感して、入り込まないと。

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沢山シェアしたい箇所山済みの、内田樹先生の『日本の身体』ですが、ここもエルダーワークに出られる方の肝中の肝。
特に日本の厳しい芸事した事ない方には。

 


はしょりますが、

日本の芸事や武術は、

一回目が師匠が見せる。
二回目は一緒にやる。
三回目はもうお前がやれと。

これが、実は最高の教え方なのです。


だから、見てるだけでは絶対に覚えられない。

共感して、入り込まないと。


武道もそうなんですけれど、先生は弟子の前でパッと技をやってみせて、
『はい、やって』と言うんです。

でも弟子の方は何をやっていたのかわからない。
手をこっちからこう動かしたなとか、足さばきはこうだったなとか。
視覚記憶だけでは再現できなんです。

先生の身体の中にまで、地下水脈みたいなものを掘って、今先生の身体はこういう風に感じているだろうと、想像的にシンクロするしかないのです。

そういう、ハッキリしたい体感を送れる事が教え上手という

(頭に伝える先生は、決して教えてもいないし体感がないから理論で伝達しただけ。昨今の日本の高校生を見ていると、体感のない先生が知識だけを伝えて、全く自分体感に仕上がっていないのが、今回のベラルーシでもよく見えました。所謂体感伝達が弱い先生が多い。驚くほどにベラルーシの学生が体感で繋がりたいのにそれが出来ずに固まっている。)

そして、頭で理解しないために、技に名前をつけてはいけないのですよ。

しかも前にやった事と、今日やる事が違うのです。

前に先生に習ったようにやると怒られる。

でも、それは運動能力の訓練でも暗記力の強化でもなくて、共感力を養っているのです。

(この暗記力で教え込まれた子供達は、今回見ていても先生の言う事を丸暗記して従う事が、良い大人への一歩とそれを生きるわけです。

そして、僕がその先生に突っ込むと先生は生徒に従ってるって言うわけです。

お互いが丸暗記で生きて来たから人間としてあなたはこの事にどう感じるかと言う話が出来ない。それを喋ると責任を持つ事になるって、先生と言う役割で既にサラリーマンのように育ってしまったと、感じるのでした。
丸暗記が丸暗記に教え、運動能力が運動能力を教えても、結局は人は育たないのです。

育つには共感力だけが重要。
どれにも無私で共感から始めて行く勇気を、
僕は全国月25箇所での身体ワークや講演会で皆様にお伝えしているのです。)

 

芸事ってどれもそう言う能力を要求するんだとおもうのです。

一発でとれ、一回聞いて覚えなさいというのはね、聞いて記憶しようたって、絶対に覚えられない。共感しないと、先生の目指すものに。


(ここにも好き嫌いという余裕がない今目指さなければならない事に、
出来る限り細かく割りながらーーーーーんと、肚に込めてからセンテンスを喋りーーーーーんと次へ。
動きも同じで肚に込めてから何歩か歩き、ーーーーーんと次の肚に込めてから走り出すナドナド。
それを出来れば例えば100メートル走ならば、五段階に分ける。
すると腹筋は割れる。車の五足。これは人生でも、一日の仕事でも、
きちんと何処まで分けて、その度に肚にーーーんと
ワンセンテンス事に力を込めて=弾を込めて生きていたかと、
常にスタッフに問い続けている。)

 

あらえびす 東出融