あらえびすブログ

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身体の時間

目的を設定せずに、プロセスを生きる。

プロセスを生きること、こそを目的にしてみる。

まさに火事場の馬鹿力は、プロセスのみで身体が動く。

結果は、あとからついてくる。

でら、今の社会に、プロセスを目的にした場がない。

それでは、外の世界と繋がる事は、不可能だ。

何故なら、外の世界とは、体を通して出逢っているから。

お山一体と、身体がまるごと出逢った事は、あるのだろうか。

登山するとかではなく、全身が山全てと対峙するような。

仙台の身体ワークでは、人数が少ない事もあって、回るまで出来ました。

回るとは?

最近うまく回っているだよ!何て口にするとき、まさにプロセスを生きている。

最近うまく回らないは、先に止まる場所決めて、即ち点を目的に回そうとしている時で、それをワークでやれば目はけして回らない。

プロセスとは、必ず回っているから、だからこそ目は回らない。

即ち反転の場として、身体は存在している。

主体が能動的に生きるには、何が今足りないか?

回り続けるには、一歩を踏み出す連続を生きるだが、目的が先にない、即ち総合的根拠がないのに人生で更なる前に踏み出す為に必要なのは、賭けである。

普遍的な庶民にとって、偶然でしかない自然の営みそのものを、賭けと認識出来るほどの身体意識に高める。

生きるは、まさに賭けの連続であると感じた時に、イキイキと生きていると感じる。

自然にトーラスが、感じ取れるようになるのだ。

偶然という自然の中で生きている私達は、その度に無数の外傷を体験している。

しかし、それで精神疾患になるかならないかは、そのつど主体的で能動的な賭けをしているかにかかる。

必然とは、偶然に対して何らかの意味を付与し、そのつど受ける外傷を、自らの瞬間瞬間の意志で、無効にしながら生きている事だ。

偶然に対して、戸惑うという、主体的な自己は、主体的な賭けに出る為に、積極的に躊躇うのである。

今イキイキと生きられないのは、偶然に対する主体的態度の為である。

身体ワークは、まさに賭けれる体を取り戻す、為であり、その為には生きた水を取り入れて頂きたく、電磁波計の歪みをますば影響されない小さな場を作って頂きたく、沢山の偶然で成り立つ野生に身をおいて頂きたく、その上で偶然のプロセスだけで見事な必然を創りだす自然界を、見事に今の身体に取り込んで頂きたく、その結果皆さんから無限なエシカルビジネスが生まれだされて、くるのです。

今、賭けの不能が当たり前な、生活です。

よって、イルミナティに恐れたりしています。

彼らが作り出す人工台風の時に、すぐさまその人工台風を反らす、更に強力な自然台風が生まれだして、人工台風を蹴散らしています。

まさに、地球は、賭けで生きているのです。

現代の我々庶民に求められているのは、偶然に対して主体的に賭けようとする、身体を取り戻す事だ。

私達は、私達の主体的な自己が、それぞれの私が世界を感じ、判断し、決断し、行動してはいないのです。

背後で、大いなる生命的な活動が密かに営まれ、先程の主体的な私と大いなる生命の、交差点である身体が先に勝手に感じ、判断し、決断し、行動するのです。

アラエビスの活動は、まさに賭けれる体を取り戻す庶民への進化を誘うという、プロセスを期限つきで実践するエシカルビジネスです。

それ以降は、まさにもう一度賭けれる身体が集まる、未来型の共同体ができあがり、共同体自らが望む会社や福祉や教育から、ある意味全く意味合いが違う私と身体の集合体が描く、国の先にあるモノを、共に創造して突き進み賭ける、身体即ち命ある自然界全てが、主体的であるシステムを構築する活動へと繋がるのです。

即ち、グローバル市場経済エシカルビジネスを経て見えてくる、命の共同体創作生命活動の場への、渡し船なのです。

だからこそ、賭けられたとワカル、サポーター制度に拘っているのです。

それはまさに、昨日のウルフの生き方役割に、繋がるのです。