デフォルト始まるかの三月十六日ですが今日来なくても時間の問題。その中でサポーターさん訪問ラッシュ
昨日は春間近の里山で、新潟のサポーターさんのお子さんをATVで引く橇で、遊ばせてあげました。
沢山のアニマルや薪割りや露天風呂と、彼らの本能が体からの楽しさを満喫しております。
大阪の若者アレックスも約一週間の滞在。
新潟のご家族も約一週間の滞在。
皆様、何かを求めて、何かの今に疑問感じながら、未来の新しいネオ縄文的な暮らしの扉を、開くきっかけを求めてやって来られます。
今年からつくる、ナチュラル ハーツ ランドの、イメージが、来られる方々の急激な変わりを方を見るたびに、ネオ縄文への移行期になくてはならない場になると、確信になって行きます。
やはり体験実感が、凄く大事。
もう、限界集落に張り付く、先人達のお年が限界な中で、このような里山の住人が居なくなったら、一気に山は荒廃に向かいます。
それは、近い未来都市部では、生活不可能になるに繋がります。
だから、日本なりなダーチャのシステムが、今は急務。
そこに新たなかたちの仕事をも、日本列島的なスタイルで生み出せたなら、間違いなく世界の雛形になる。
今、EUからある意味脱退を考えている、稼ぎ頭ドイツは、依存する周りの国をこれ以上面倒見てたら、自国か持たないと。
しかし、ドイツは、第二次世界大戦の反省を、民族レベルでして、その時からネオ縄文へ向かいだした故の、デフォルト起きても生き残れるレベルにいち早く行き着いた国。
借金漬けの、日本とは、まるっきり違う。
今までは、自らの頭で国債の問題考えなくても良かった、世界一の平和ボケ日本国民の大半ですが、山本太郎さんのように、ある意味相変わらず家畜化でいる事から出ない輩を説得している暇はない。
そして、それは政治の世界では不可能だ。
政治の場では、田布施から会津潘への、もう少し言うならば一毛作の地の考えでの政治家の、真打ちが登場しなくては、政治の世界は動かない。
だから、単純に山本太郎さんは残念ながら、所詮小沢さんの、ぱしり。
そして、それはジオニストが、家畜化の為に造った議会政治での、生き残りの場だから、結局イデオロギーから脱出出来ない。
だから、日本の政治が田布施から、変わってもネオ縄文は来ない。
宇宙意識では、もうすでに太陽系は、レコード盤の反対面に入ったのだから、即ち銀河の縄文時代に突入したのだから、政治的手法を転換するぐらいでは、短絡的な付け焼き刃に終わる。
勿論田布施よりは、長持ちするが、すぐに問題が起きる。
ならば、民が自ら短絡でない、大転換を自らに起こさせる必用がある。
自らの大転換は、大変も楽しいも全て自分事だから、越えさえすれば一気に道が開く。
それは野生への回帰だ。
だから、今こそクランで生きなくては。
その為のキーストーン捕食者ウルフの登場何です。
もう、今の時代petという意味合いも、ドンドン家畜化から先に進んでいます。
途中には、家族の一員とのイメージが、やって来ましたが、まだまだです。
なぜなら、家族の意味合いが、今まさに崩れて行きだし、更に大きな家族の意味合いに移行しています。
それが血縁地域も越えて、縄文の頃のコミューンとは、まさに家族という意味合い。
部族とは、家族の更なる単位のカゾクだったのでしょう。
そこではクランが、一番重要な名前。
映画ダンス ウィズ ウルブス で言えば、題名どおり「狼と踊る男」という自然界の繋がりからの、名前こそが重要になる。
縄文即ち、インディアンやアイヌは、まさに地球との呼応こそが、一番重要な人としての生き方の根本として、捉えていたのですから、petなんて概念すら存在していない。
部族の、確固たる一員。
だから、アニマルを幼稚に扱わない。
幼稚に扱う、馬鹿でいる事を許すのは、まさに自分が家畜化されている事への疑問や不快感を自らのなかに見いだせないからだ。
よくあるように、大体が子育てや後輩を育てる時に、自らが育てられたように、育てがち。
若しくは、反面教師。
しかし、それが染み付いたイデオロギーなのですから、比べるモノなく自らを示せないとならない。
だから、正直に生きないと、イデオロギーでない本来の自分とは、出逢えないのです。
都市部にいると、社交辞令が染み付いていますから。
だから、野生と里山の狭間で、自らを解放しなくては、ネオ縄文の扉に出逢う事さえ出来ずに、今生が終わってしまうでしょう。
それは、太陽系レベルの一員として、全く星に乗りながら星と共に生きていないことになる。
それが、地球の自転公転にも影響を及ぼしている。
月はそれをとっても迷惑がっている。
ディスクロージャーの先に行くのは、自らの直感に従い、暇なく行動することだ。
それは、どんな政権下でも、どんな時代でも出来る。
ただある意味、全員が天下人を見定めていた、戦国時代なみの眼差しが民に必用な時代であるだけに、世界を宇宙をいつも生活に落とし込んでいなくては、絵にかいた餅だ。
絵に書いた餅を見ている間に、様々な人類の身勝手な思惑はドンドンあっちこっちに動くし、太陽系レベルでも人類思惑とは全く違う方向に時代を進んでいるし、宇宙では更なる別な意味を持ちながら更なるスピードで時代を進んでいる。
そんな今、地球さんをどの周波数に乗せたいかは、我々ひとりひとりの意志にかかっているのです。