あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

アラエビスが 目指すモノは、場の証明である。

命を燃やさすは、場である。

即ち、環境である。

どうも様々な新しい技術や商品に心が動かないのは、全ては場に支配されているから。

だから振り付けやら武術に興味がわいて、生業にしてきたのだろう。

山から汲み出した伏流水が、いかに変化しないで良い状況を維持出来るかが、新しい生き方のテーマにすることが出来たなら、今の市場が思考から消え去り、新しい市場とは「場」になって行くから扱うのは、場になる。

即ちエコロジア アートに帰着する。

「場を創り上げる」が人間の仕事であり商品や技術ではないと、発想を根底から逆転したら、まるっきり違いが見え出す。

だから場を取引しそる事は意味をなさない。

土地などを商品にも出来なくなる。

そして場は、人がいかようにも変えられるという参加型で、依存構造も消し去れる。

だから、届いた伏流水が長く変わらなくなったら、場が整い始めた証しになる。

良くなるには、たくさんの生命エネルギーが重要である。

だからシェアリングになる。



ベクトルが平衡になった状態。

此が、ベクトル平衡体であり、それが場であるからトーラスが生まれる。

アート10は、それだからこそ技術を選ばない。

場を扱うが縄文人なのだろう。

場に置くものや場に生まれるモノを扱うが弥生人なのだろう。

昨日は、場の層を理解するために。沢登を二時間した。

流石に時間が足りなく、沢の始まりまでは到達出来なかったが、ドイツの振り付け家がエンデュランス号の漂流でヒントを得て。振り付けした作品の中で言い表したい、縦の時間軸がわかる瞬間があった。

縄文人類は間違いなく、時間概念の縦に意味を見いだせた人達で、狩猟採集人類にしかこの縦にある時間を見つけ出せないのだとも気づけた。

その縦にある時間軸に起きる調和が連鎖調和であり、横軸に起こす調和が予定調和である。

だから、連鎖調和は意図的に扱えない。

新しい世界とは次元が変わるのだから、先ずは当たり前に縦軸を扱える人類に、変化しなくてはならない。

技術立国とかモノ作り日本と言いながら、全てが横軸っあるから、昨日のblogに書いたスイカをグローバル資本主義市場で、海外に出して外貨を稼ぐ事で、売れなくなったスイカをどうにかしたいは、結局横軸になり、だから本来縦軸の命であるスイカを長持ちさせるという、無理がたたるから防腐剤やら様々が当たり前になった。

このまま僕らが、横軸を伸ばす事は意味をなさない。