今日は、朝から雪で曲がった道路カーブミラー直しと側溝掃除。役所は山ではあんまり意味がない。
田舎、それも限界集落はやること満載です。
実は昨夜、弥生式自分に典型的にはまってしまい、ヒタスラ安心安全を人間の都合だけで話される、サポーター登録お申し込みの関西在住のお爺さんと、一時間半も話してしまいました。
はじめは僕も穏やかでしたが、生きるは死がそばで感じられるからこそ実感出来る、だから野生をもう一度どうにか取り戻し生きる仕組みを、生きた水を取り入れて内部から先ずは野生に戻しながら、外に野生を感じる仕組みを配置させて、そこに共鳴して震動する通路を築けたならば、脳に新たな仕組みのニューロンが創られ、人類は自然界を痛めないで進化出来る新たな存在に、進化出来ると真剣に考えての活動だと、とうとうと話してもすぐにスタートに戻る。
気持ちは解りますが、もう体に良いとかコマーシャルしていたからとか、誰かに進められてなどの前提での思考で取り入れる時代は過ぎ去りまずはウマイとか気持ち良いとか自分の感性という、野生の萌芽に従い動き理屈は後回しにしないと、今を生きていない。
いよいよその時代が来たのですから。
自らの野生の萌芽が向かう先にだけ、唯一自然界と絆を取り戻せる通路があるのですから。
その萌芽を信じるが自分を信じる事。
育てるには、野生を食べる。
景色も気配も動きも食べる。
だから想像力がいる。
そうやって生きてたのが、エミシだし縄文人。
だから、健康に良い水を探しているでは、新しい扉を拓けない。
世界は、変わらない。
己の認識の思考形態を弥生式から縄文式にかえるだけで、全ての世界がかわる。
それが野生の水を飲むと言う事。
そして、その波長と同じ現実の野生に。たくさん先ずは出逢いに出かける。
馴染んできたら、いよいよアーティストになって、自分が欲する世界を生活圏に創る。
それは、レベルが高くないと、弥生式都市では無理。
ゲームならば超上級者コース。
たから、変身ランドで鍛えて、出たり入ったりしながら、弥生のど真ん中で縄文の萌芽に花咲かせるかをゲーム感覚で、試してガッテン此れが平成の参勤交代なんだよ。
それが僕が皆さまとやりたい、縄文式の弥生世界での起業者集団であり、未来型のアーティスト。
それは、アーティストにしかできない。
だから、アーティストは画用紙や舞台やパソコンから出ないと、新しい時代は拓かない。
そして役割分担がなくなる時代。
全ての人がシャーマンで、アーティスト(インディアンなら首長)で、弥生式の己を封じ込め続ける戦士を兼ね備えれる。
弥生式は、トボケル。
縄文式は、素っトボケル、
そんな風に全部翻訳しなおす。
そして弥生式の言葉、行動をお蔵入りさせる。
弥生式都市部でも、堂々と素の自分でトボケル、これを纏い表現するが本来のファション。
今のアパレルは、トボケている。
だから着せ替え人間。
あなたがアナタでないんだから、何着てもトボケルなる。
策略のあなたが、誰かと何かと比べる為に身に纏う。
下手したら、就職も結婚も家族も人生全部が、身に纏い誰かと何かと比べる為に、所有している。
弥生式ランドでは、縄文のあなたが着ぐるみ着て参加している。
一回、ミッキー被り物に入り見てみるとわかるんだよね。
自分ではなく、被り物に群がる、偽者空間で金使い続けるバカな民。
白けるよね。
風俗のお姉さんも同じ。
今に精神病んで、戻れなくなるよ。
だから、デェズニーランドで被り物キャラクター演じる生身の人間が、アホ臭くなって皆で素になるを想像して。
素っトボケルしかない。
一人だけ脱いだら、本人は素っトボケても、回りはいい子装ってトボケル。
今はそんなモノ。
全てにおいて、トボケ続けるしか生きる術がない。
社会に職場に学校に家庭に居場所がないのは、トボケルごアホ臭くなり始めた証。
それをアウトローっていうけど、インとアウトを分けるから出る表現。
ならばインは、家畜化を認めている。
だから、ちょっとでも、アホ臭く感じるならは、野生の水飲んでごらんなさいな。