あらえびすブログ

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日本の庶民は、ユダヤ支配勢力からなる天皇王朝によって植民地支配された、エミシである

僕ら日本全域に広がっていた、縄文エミシ。

戦う意味さえ持たなかった民は、戦わすことで支配する種族には傍迷惑極まりない。

戦うことで、勝ち負けを決めることで成り立つ、上下階級ありきの社会には、一番困った種族である。

故に迫害して、差別して、ケトウとして扱われたのです。


例えば漆塗りの技術。

これは中国から来たわけではない。

6200年前のモノが福井県の縄文移籍から出土していますが、事の大きな弊害がそこにはあります。

これは縄文人が独自に作り上げたと捉えた方が素直であるのですが、刷り込みは恐ろしく順番文明が高度になるとばかり思ってしまっているので、今が一番進んでいるはずとのたち位置から遡って、思考を固定させてしまう教育を受けてしまった弊害がここには、デーンと横たわっています。

UFOもしかりです。

そして僕らのルーツというか、僕自身のルーツ理解することは、選民意識ではなくて、今のグローバル資本主義に馴染めない自分を認めて、何処に向かって生きるべきかを示してくれる上で、とても必要なのだと思うのです。

ユダヤの隠された部族としての意味合いでの言語の正体ではなく、何故アイヌ語とユダヤの古語が似ているのかそもそもユダヤ以前が縄文なのではないかとの、あまりに長い魂を遡る旅です、

そして僕はこの地で、この手直しし続けて住む廃屋で、野生に囲まれながら、日本から世界中にもう一度先ずは野生ありきの世界を点で良いから多数復活させたく、野生のお水を配るという途方もない事を、今では生業にしはじめておりますが、今の生き方そのものが全てにおいてしっくり来るのです。

だから、後はこの点からそこそこの地平線を伸ばせれる環境を現実化出きればよいのです。

しかし、風景は人に対して何気に大きな影響を与えていますから、見渡せる大地は、僕の魂には、合わないのです。

山に遮られながら、向こうのお山の麓の生活や、お入らずの森の野生の気配を感じ合う、それがしっくり来るのです。

気配を感じることが境界線でもあり、遠慮でもあり、消して似ていない隣人を愛することでもあるのです。

だから、直接向き合って戦う意味合いがそこには発生しない。

この感覚は、僕の中で最近とみに膨れ上がってきた感覚です。

だから、そこから始めて富の所有欲が消えているなと感じるのです。

そして、魂と肉体がピタッと一致している、えもいえぬ安堵感に満たされて、ドンドン毛羽立っていた、心が優しくなっていくそのような自分に出逢えます。

それを幸せと呼びたい。

そのような事を感じていた昨日、宮城のS社長からとっても素晴らしい、ご本と執筆者の生きざまのご紹介を、ファックスで頂きました。

そしてその執筆者と、白鳥さんとの関係、エミシやアイヌとの関係に驚くとともに、この執筆者と、自分の生き方があまりにも似通っていたのです。

この活動が動き出したときに、間違いなくエミシが霊的に力を貸してくれているそのような、見えないけれども大きな力を感じてきました。

その上で、更にもうひとつ活動の水平線を広げようとしてくれるときに、このエミシの何らかの力が作用して、この活動を点で距離のある場にまるで渡り鳥が糞に種を入れて落としていくうちに植生が広がるような、平面的ではない水平線の広げ方です。

漢民族的な支配して、見渡したいタイプには平野が向いているし、それは生き方にも現れる。

見渡せないと不安。

=見渡せないと信じれない。

理解しようともしない。

これが都市部ですよね。

そして
家と家の間には境界線としての、塀がないと安心しない。

通勤電車で知らん降りもこれに近い。

けれどもそもそも縄文人である日本の庶民は、広々と見渡せる大地もどこか合わないし、ましてやそこに塀を作ることはもっと合わない生き方。

それが見事に魂と肉体の乖離を起こしている。

僕は間違いなく起こしていった。

それは先ずは僕が魂と肉体の乖離がなくなって、始めてシックリ気だしたことで、何て大きな乖離のなかで生きてきたのかと感じれたのです。

これは、都市でも里山と野生を取り込んで、魂と肉体をもう一度繋げることが出きるという方法にも出逢えたのです。

それが僕が目指している、イノベーションなのです、

昨日から突然の春です。

黒伏山も雪がとけだしています。

今年の春は様々な違和感をサポーター様と共に溶かしていくスタートになります、



先ずは新潟市で四月の六日じお話会が開かれること、突然決まりました、

そして長野の安曇野では、七月に。

五月には岩手に行って、それがきっかけでエミシの現代の道にも、筋が出来ていきます。

今月末の栗原市での木村方子さんの会での、僕のお話も試飲もあります。

そして恒例のお米の炊き上がり違い体験が、細胞のなかに届く水か否かを示してくれることは皆さん食べる概念の大きな縄文化という、進歩に繋がっていきます。

四月は災害遺児未来財団の、木村方子さんのお話会にも…同席させて頂くことが決まっています。

五月の岩手の後には、キット和歌山でお話会が開かれそうです。

そして五月には、いよいよ参勤交代のプラン作りが、名古屋のサポーターKさんと共に、スタートさせます。

それは全て、魂と肉体が乖離しない、命が喜ぶ場の創出なのです。