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あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る 皇の時代の宇宙国建国までの舞

昨日は、朝から暗くなっても、ランタン灯して、夏までの中間目標三千人までのボトリング場の、内装工事に徹しました。

明日から三日東京に行きますので、今日も始終ほぼその作業に徹します。

そもそも築年数百年の、東北農家のボロ屋の改装ですから、針も捻れているし、使われている材は、製材出はないので、下地のコンパネ貼るにも、直線がほとんどないので、現場合わせというアバウトが腸思考を鍛えます。

ここが、体にとっても良いのです。

寝室には仕上げに四メートル×三メートルの一輪の薔薇の、オランダの絵画壁紙を天井に張りますが、このお水の工場も、ボトリングする人がアートな感覚で、気持ちよくボトリング出来ることで、よいき気が流れるように、ここにも大きな、同じくオランダのお花の絵画壁紙を導入します。

結構なお値段ですが、外から観たらボロヤガ、中に入るとアートと生活と野生がコミュニテイーしている、そのような初代手作りの、クラブハウス《みんなの家》を目指しています。

完成に近づいたなまでは、後五年はかかるでしょうが、そうやって手入れして、自分で創ったアートなボロヤは、僕にとって、家族にとって最高の家です。

だからきっと、下のコミュニテイーに創るクラブハウスには、僕ら家族は一生住まないと、感じています。

子供部屋は二階に創る予定ですが、ヨーロッパの子供部屋に負けないお部屋を、景子と創って、子供たちにプレゼントしたい。

二階の窓から、夏場だけ渡りロープ吊り橋を創って、隠れ家のツリーハウスに行けるようにしてあげたいと思っています。

昨日、何時も大体の一日一食は、お側にある関山蕎麦に行くのですが、そこでTVやっていた、世界一のアホモン特集で、アメリカのロケットエンジンに取りつかれ、130キロ出る移動式トイレや、590キロ出る、schoolバスを創っておられた、アホものには足元にの及びませんが、それに近いものは、充分にあります。

そういう作業に熱中しているときは、腸思考を使いまくるので、夜も目がさえて、眠くありません。

好きなことは、寝食を忘れて取り組むとは、まさにこの腸思考を使うのでしょうか。


僕もまだまだ、ここに住んで、本気でお山の回復にこそ、零化する思考を産み出す伏流水を得れるからこそ、それを仕事にすると決めるまでは、トラベラーであったように思えます。


大好きな星野通夫さんが、シーズンだけアラスカにいる頃に、アラスカの人から、通夫住んでこそ、その冬を越えるごとに、自分にとって特別な地になっていく、だから早く家をたてて、トラベラーから、住人になれと、アドバイスを受ける。

彼は家を建てて、ここで生きると決めてから、ドンドン写真が、文章が変わっていった。

何処か安全な場初に、家を建てると言うのとは違う。

マイナスにある、プラスに転じる種に気付き続けるを生きる。


ここなら、冬の大変さを容認してしまう、圧倒的なお山の《愛》がそこにある。

自分でも何故だか、雪掻きしながら、有り難うと思えてしまう。

重たいお水を汲み出し運びながら、有り難うと思えてしまう。

この家の前でも、端山の先に聳える、御所山の岩肌を観ると、本当に生かされていると心が、御所山深くに入り込む。

きっとその時、F1レーサーのような、《遠い目》をしているのだと感じるのです。

他者から観た遠い目ではなく、遠い目をしていると感じられる、《入我我入》が同時に存在する。

空海の行き着いた感覚。

空海も、己で山深くに生き、行き着いて中国から、密教を持ち帰る。

先に人間の宗教を意識していた、秀才《最澄》とは全く違う。

天才です。



これからの皇の時代、すべての人が天才になると、言われています。

もうカリスマも要らなくなる。

ワークに参加される、林さんは、まさに天才スピリチュアルです。

職業スピリチュアルは、過渡期は世界が求めたのでしょう。

けれども、もう要らない。




職業舞台裏人だった自分が、躍りを職業化したくなくなったのも、同じ理由です。

お水を商品化しないのも同じ理由です。

そこには、うまく回ったら、人を沢山雇って従わせるという構図が、皆無な純粋が創りだす、純水にしておきたい。

お山の一代弁者で、自然が自と在るという証拠の伏流水をお届けして、ワークだけでは無意識を育てることが出来ない事を、己の限界として、自然界に本気で他力してしまう

だから、何時までも自分が、地球から頂き汲み出し、それを届けるという立ち居地に居続ける。

自然水販売業者には、成り下がりたくはないのです。

まだまだ油断など出来ませんが、地球の変化と共に生きるとは、まさにホットなど、一生ないのでしょうが、立体的な生き方であることでの、直線の生き方とは違う、ホット感があります。

周りも制止いているから、ホットするような、都市のお正月の束の間のホット感とは、全く違うホット感です。

まだまだ慣れてはいません。

その意味では、この活動に本気でかけるまでは、まだまだトラベラーだったのでしょうか。

良いことも悪いことも、周りでドンドン動いても、自分は静かで周りのエネルギーの流れに身をおいて、アイキの精神で生きる、そのような感覚です。

お山があって、僕がいる、そのようなお山とのアイキの感覚です。



どうしても、イベントデートになりやすい、都市での生活。

それは、家族でもそうなのでしょう。

あえて、予定を組んで、何処かに行くことで、家族や、子供や、恋人や、夫婦と共にあると錯覚する構造。

けれども、ここには、仕事の中にデートがあり、遊びがあって、余暇がある。

分ける必要がない生活です。

だからこそ、そこで設定する、イベントは、より建設的な冒険が出来る。

夏に彼とビーチに赴いて、水着を着るために、スポーツジムで、水泳をやってダイエットではない全体。



例えば僕らが景子と目指しているのは、魂の成長の為に、カヤックツアーに参加。

そこで、地球とランデブーするために、きちんと水泳を習う。

そして、そこで掴んだ様々な感覚、感動が、二人の絆になり、尚且つ出逢った人達によって、その生き方から感じる伏流水の仕事が広がる。

こんな全体を生きたかった。



立体的な生き方には、立ち止まるがなく、マイナスがない。

所謂マイナスがあってのプラスがない。

プラスそのものしか、存在していない。

時間がたって、あれがおきたのは、このためだったのかという、遅い成長ではなく、一見マイナスの窮地が、その場でプラスに転じることを創造出来る。

だからこそ好転が早い。

それが時間軸が早いという事だと、僕は思うのです

気づけば変わると、よく言うけれども、それは、観えたと言うこと。


天が地におりる、皇の時代に人は天才として、生きることに、いよいよ入るのでしょうか。

まさに、林さんは、天才としてのシャーマンだと、僕は感じています。

勉強して、わかる感覚でも、繋げてわかる感覚でもなく、「そうだからそうだよね」という、後付けのスピリチュアルとは、全く階層が違う存在です。

大体そういう方は、スピリチュアルを仕事になさらない。

頂くとしても御布施。

先に金額の提示がない。




僕も躍りを職業化したくなくなったのは、それが一番の原因です。

グループ化して、踊ることに疲れたのも、それです。

ならば、本当に共に汲み取れる方とだけ、踊りたいとなったとき、jazzの素晴らしいミュウジシャンが、トリオやクインテットで行う意味合いは、まさに一緒に即興という天が同時に地におりる瞬間を、共有するという、見せるは後付けの世界を知りたくなったからです。

それが景子とチャレンジする、《剣愛のパドトウ》の舞です。生と死の狭間にある、零化を奉納したいのです。

伏流水にお山に。

応援してくれる方々の魂に届ける舞として。

同じお水を飲んでいる、同胞届ける舞を。

お山とお水、お水と人を繋げるを表現した舞を。



良いことも悪いことも、周りでドンドン動いても、自分は静かで周りのエネルギーの流れに身をおいて、アイキの精神で生きる、そのような感覚をこの地で頂きました。

もう君がいて、僕がいる。

君とは、お山であり、ブナであり、広葉樹であり、野性動物であり、伏流水であり、表層を流れる川であり、雨であり、お日様であり、里山に暮らす人であり、景子であり、子供たちであり、自分である。



どうしても、イベントデートになりやすい、都市での生活。

それは、家族でもそうなのでしょう。

あえて、予定を組んで、何処かに行くことで、家族や、子供や、恋人や、夫婦と共にあると錯覚する構造。

けれども、ここには、仕事の中にデートがあり、遊びがあって、余暇がある。

分ける必要がない生活。

だからこそ、そこで設定する、イベントは、より建設的な冒険が出来る、そう信じています。



夏に彼とビーチに赴いて、水着を着るために、スポーツジムで、水泳をやって、菜食してのダイエットではない全体。

魂の成長の為に、カヤックツアーに参加、山菜を頂く為に、危険な登山道のない山に入る。


そこで、地球とランデブーするために、水泳を習う。その為に日常から山に入る。

そして、そこで掴んだ様々な感覚、感動が、二人の絆になり、家族の絆になり、尚且つ出逢った人達によって、全てが広がる。



こんな全体を生きたかった。

それがいよいよ、実現してると実感出来るスタートまで、後一歩にたどり着く。



立体的な生き方には、立ち止まるがなく、マイナスがない。

所謂マイナスがあってのプラスがない。

プラスそのものしか、存在していない。

時間がたって、あれがおきたのは、このためだったのかという、遅い成長ではなく、一見マイナスの窮地が、その場でプラスに転じることを創造出来る。

だからこそ好転が早い。

それが時間軸が早いという事だと、僕は思うのです。
気づけば変わると、よく言うけれども、それは、観えたと言うことじゃないかなと。


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