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人類のツケの結晶として、本当の東京の姿としてこんな記事があったのでシェアします。本気で変えよう。

海の森水上競技場には何が埋まっているのか 東京湾に70以上もある人工島の正体

 

東洋経済オンライン2016年10月27日06時00分

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2020年東京五輪のボート・カヌー場として候補に上がっている「海の森水上競技場」。小池百合子新都知事が就任以来、テレビその他で耳にしない日はありませんが、ところでどこにあるのかをご存じでしょうか? それは中央防波堤と呼ばれる地域の一角にあります。

中央防波堤はお台場の沖、あるいは若洲海浜公園から東京ゲートブリッジを渡った先。東京湾のど真ん中に位置します。ここは1960年代まで海でした。つまり人間の手によって埋め立てて造られた人工島なのです。

 

お台場も豊洲羽田空港も「人工島」

同様にお台場も若洲も、やはり最近話題の豊洲もすべて人工島です。もっと言えば有明も晴海も月島も夢の島も、羽田空港東京ディズニーリゾート八景島シーパラダイスも、すべて人工島なのです。東京湾には、そんな埋め立てによってできた人工島がいくつあるのかご存じですか? 70島以上もあるのです。そんな島々の成り立ちを、私は近著『東京湾諸島』にまとめました。

ではなぜ、東京湾周辺にはこんなにも人工島が多いのでしょうか。 

それにはまず、地形的な要因があります。そもそも縄文時代まで、関東平野はほとんどが海だったといわれています。それが次第に海が後退して陸地ができ、利根川や荒川が東京湾に流れ込むようになります。すると川が運ぶ土砂が河口から海へと流れ出し、遠浅の海岸を形成します。もともと東京湾は水深が浅いこともあり、埋め立てしやすい海だったのです。

そして1590年に徳川家康が江戸へ入城、1603年には江戸時代が始まります。当時の江戸は見渡すかぎり葦の生え渡る荒涼とした湿地帯で、少しの雨でも川は氾濫し、人が住むにも作物を作るにも適さない荒野だったのです。そこで家康は運河を掘って川の流れを変え、湿地を埋め立て、田畑や人の住める城下町を建設します。鉄道などというものが影も形もなかったその頃、運輸をつかさどるのはなんといっても舟運であり、運河と埋め立ては江戸の流通と経済の根幹をなす一石二鳥の大事業だったのです。

こうして急成長を遂げた江戸ですが、経済が潤い人口が増加すると、一方で困った問題も起きます。ゴミです。人が生活すればゴミが出るのは当然。まして人口が増えればそのぶん量も膨大となります。三代将軍家光の時代になると、江戸にあふれるゴミはすでに社会問題となっていました。そして元禄9年(1696)五代将軍綱吉のとき、そんなゴミや運河を掘ったときに出る土砂を使って、隅田川のほとりの永代島(現在の江東区永代)の埋め立てが始まります。以降、江戸は人口が増えるたびに埋め立てが進み、現在の江東区中央区のほとんどが、新たな土地として生まれていったのです。

 

工場や石油コンビナートが建設

さらに近代になると、先に書いた遠浅の海岸が問題を引き起こします。西欧からやって来る巨大船舶が、海が浅すぎて航行できないのです。そこで海底を深くする浚渫(しゅんせつ)という工事が行われ、今度はまたそれによって出る大量の浚渫土を使って近代的な埠頭が造られていきます。そしてこのように立派な港が完成すれば大型の船舶が横付け可能となり、資材や重油も大量に運べるようになるわけで、人工島には工場や石油コンビナートなどが建設されるようになり、日本の工業化はいよいよ躍進するようになります。結果、気がつくと、東京湾岸には70余の人工島が生まれていたというわけです。


そんな「東京湾諸島」の最先端に位置するのが、冒頭に挙げた中央防波堤です。グーグルマップなどを見てもらえればおわかりのように、ここはどこをどう見ても海に浮かぶ大きな島です。にもかかわらずなぜ「防波堤」と呼ばれているのでしょうか。

東京湾は一見穏やかな内海のように思われがちですが、実は季節風が吹くと海上は荒れて特に小さな船の航行には危険があるため、このように巨大な島の「防波堤」を造り、内側の海を穏やかに保っているのです。そして先に「最先端」と書いたのは、ここが東京都が出すゴミの、最終処分場でもあるからです。

現在50代以上の方なら1960年代初頭、江東区夢の島が、見渡すかぎりうず高く積まれた荒廃したゴミの山で、悪臭と大量発生したハエが飛び回る地獄絵図のような公害の島だったことを覚えていると思います。そんな夢の島もやがてゴミでいっぱいとなり、その上にきれいな土が盛られ、現在は緑豊かな公園になっています。

そして東京都が次に選んだゴミの最終処分場が若洲であり、ここはかつて「新夢の島」と呼ばれていました。その若洲も今は美しい海浜公園となり、次に造られた処分場が中央防波堤なのです。

中央防波堤は大きく2つの地域に分かれています。現在すでに埋め立てが終わっている内陸側が「内側埋立地」、ここはかつて「3代目夢の島」と呼ばれていました。そして運河を挟んだ外海側が「外側埋立地」、これが「4代目夢の島」です。ちなみに話題の「海の森水上競技場」は、2つの島の間に流れる運河を利用して造ろうという構想です。

その埋め立て地には、メタンガスを排出させるパイプが至る所から出ています。

その中央防波堤外側埋立地は、高さ30メートルほどのゴミで埋められた小高い丘が続く荒涼とした島です。そこには人の背丈を超える高さの鋼管が至る所に刺さっています。埋め立てた地中の廃棄物から発生するメタンガスを排出させるパイプです。かつて1960年代の夢の島ではゴミをただ捨てて山積みにしていた結果、発生したメタンガスが自然発火して火事となり、何日間も燃え続けるという事態が幾度も起こったことから、このような措置が取られているのです。

 

汚水を処理するため「年間25億円」

もうひとつ埋立地を管理する中で重要なのが「浸出水」の処理になります。簡単に言うと、埋め立てたゴミの中を通ってしみ出してくる雨水のことです。埋め立て処理場にかかわる人はこれを「しびれ水」と呼びます。誰に聞いてもその語源は定かではないのですが、一見して何とも毒々しい茶褐色の水で、どう考えてもこのまま海に流してしまっていいものでないことは一目瞭然です。このような有害な水が、いつ何時大雨が降って東京湾に流れ込んでしまっては困るので、ここには汚水を処理する排水処分場が設けられ、年間25億円もの予算を投じて、微生物や薬品などを使って本格的にきれいな水にしています。

 

そしてこの外側埋立地には、まだ海面だけの場所があります。「新海面処分場」、通称「5代目夢の島」です。これが東京の、本当のゴミ最終処分場となります。というのはここがゴミで満杯になってしまうと、東京都はもう湾内のどこにも処分場を造れないからです。

都が使える海は荒川の河口から一直線上に引いた線と、多摩川の河口から一直線上に引いた線の中だけに限られ、それ以外は神奈川県と千葉県の所有となります。なにより東京湾というのは何万トン級の巨大船舶の通り道なので、これ以上むやみに埋立地を造ることができないのです。

さらにそんな「5代目夢の島」も、あとわずか50年で許容範囲を超えてしまうそうです。しかもその先東京から出るゴミの行方に関しては、今のところ何のビジョンもないといいます。何とも不確かで、不安だらけの未来ではないでしょうか。

 

さて、それは同じほどに、人気の観光地リゾート地に起きています。

もう、都市的構造に依存する、人類から卒業しないと、この先の子供たちに地球を手渡せません。

それを皆で考えて、行動に移して実験し、更なるシステムに磨きあげていくがアラエビスとミャクソンが目指していること。

だから自信を持って、提携したのです。