千年の木を伐るにも七代先までを考えてと言うネイティブインディアンは転生後の風景を捉えていたのかな
七代先までなんてなかなか感じ取れないが、本音じゃないかな。
だけどね、この魂の仕事をしようと決めての、森の崩壊を防ぐ仕組みから、全く新しい集団社会構造を生み出す、おやま先生に仕える仕事をし出して見えてきた本質は沢山あるけど、七代先ってある意味本気で転生を意識していたのかなと、おりて来るものごありました。
転生しても、必ずあって欲しいものには、あんまり今の市場経済にはない。
けれど、湧き水や落葉樹のお山やそこに暮らす様々な命は、更に豊かに広がって欲しい。
その観点に立つと、森に暮らす何らかのスタイルが必要だし、新森街遊牧民として森から様々なモノを頂きながら、違う里山や街、都市を行き来しながら、その方の今の都合での新森街遊牧民スタイルの提唱が、このアラエビスの『千年の森街プロジェクト』です。
それは、最近観た洞窟の壁画ノンフィクション映画にもあった、五千年前の壁画に五千年後に続けて描いた、素晴らしいテクニックの壁画も物語っているように、三次元感覚で時空を先ずは当たり前に飛び越えれるという創造力かあるかないかを、おやま先生から語りかけられている気がするんです。
健全な森は誰にも創れない、酸素と水を全ての命に供給しますが、その源から創造するアート的な発想での、様々な未来型生きる仕組むアィディアは、暮らせばドンドン出てきます。
皆の家に超しながら本腰で、共に創造の源になる生きる場の出産に関わる駐在サポーターさん、山一さんも妻もそして村山さんも、ドンドンアーティスックな思考が当たり前になるのを見ていると、お山こ人類に与えるモノは、酸素や水や景観を通しながら更なる自由な深みを人類に供給してくれています。
命を繋ぐ意味は、更なる進化と言うより気づきの為です。
だから、僕にとってアラエビスはツールですが、それは更なる縦軸にある気づきをキャッチできる人類が溢れる、星にしたいからです。
その結果は転生をして確認するしかない。
だから、酸素を生み出す木々でさえも、ツールだし、皆様にお届けしている二千年前の伏流水も、人類を磨くツールなんです。
だってキャッチできる人類だらけなら、今の地球はこんな姿になっていないから。
最近この皆の家に来られる方々は、そこをキャッチできる事が人類の人生の醍醐味であり、それが豊かな人生だとわかり始めた方々が、いよいよ森と街の参勤交代を理解され始めています。
森では横長は当たり前だから、人類は前後軸を肋骨内部に創り、街にいるときは風景が縦軸だから、住まう方々には横長の助け合いが必要になる。
即ち長屋的な繋がり。
地価が高いから、上に伸びるしかない住まい。
しかし横長の意識をこの空間で持てるには、相当のアーティスト思考者か、支配者のみ。
だから、森に入らないと。
それは何処か暮らすと言う感覚が必須。
田舎暮らしではなく、森暮らし。
ログハウスの神様アランマッキーさんの世界だ。
だから、ここでアートに古い倉や納屋の廃材と、地球全ての命の為に伐採し活かす針葉樹で約200万で供給する、生活スペース三十疊強の十六角型ログハウスは、なんとしてもプロの小坂さんやモリモリネットワークの小坂さんや古民家再生大工高木さんや神様アランマッキーさんを唸らせてみたい。
建物レベルは敵わないから、森と地球との新しい融合の形を。
それは建築だけでなく、全ての生活や起業に匂うおやま先生が創る空間との融合です。
支配者は、自分の経済が犯されないなら、自然界には興味の欠片もない。
だけど地球人には、命に関わる。
人類だけでなく、地球生物の命に関わる。
だから、立ち上がらないと。