あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

新しい配送仕組み、新潟の新規会員さん18名から始まりました。そしてblogはアテルイに戻ります。

お代わりは四月いっぱい郵便が主で、新規は佐川になり変更に関する御手紙などで、昨日はてんてこ舞いでしたが無事配送のイノベーションスタートしました。

またしても、新しい事にチャレンジして、道が開かれました。

そしていよいよ五十名で、700になります。

今年秋に、ひとつの積年の目標である《アテルイ モレ 日高見祭り ナチュラルアート プレフェス》を開くには、最低初夏までに1000名をクリアして、秋の開催時期には、1500から2000サポーターを実現していなくてはなりません。

ひとつも外部に宣伝していないのに、プレフェスにお一人が最低、家族かお友だち一名連れて参加されると、会員さんの七割来れたとして1500達成していましたら、2000名がイベントに来てしまうというイノベーションが実現します。

此れは日本の里山にこそ、未来の可能性が潜んでいること、「世界の中心は自然界の入り口ここにある」というアテルイのメッセージをプレから、発信出来ます。

そして来年、本番フェスティバル時にサポーター会員様一万達成していると、いよいよ世界の雛形をグローバル資本主義に載っかって傷ついた不採算スキー場に創るを、宣言するイベントになります。

これを期に毎年新しく、グローバル資本主義で傷ついた場に祭り開場を移しながら、自然界と融合させて徐々にゆっくり戻して行くを実現していきたい。

そしてアテルイの首を岩手に戻すという、エミシの愛魂帰還の祭りを細やかに、全国のエミシの地で同時開催したい。

それは、ユダヤが約束の地として撰んだ日本、そしてその原点である日高見国から、地球と共に生まれ変わった新しいユダヤとしてのリターンも含め、近未来の為に此れから6000年弱続く新縄文への通路を、混血だらけの世界中の民が、自らの内部のユダヤに決着をつけていよいよ新しい生き方を実践する、それがイタリアダマヌールのような特区を日本中の里山にジワジワと配置し、里山同士が都市と言うシステムを介さないで、命同士の繋がりを肩書きではなく、個で創れた時に都市は新たな意味合いを自らの体に纏えます。

それは、人類にしか出来ない。

これで積年の自然界との対立に幕を下ろせます。

それは、アテルイの夢であり、ユダヤ亜流国家大和朝廷がベースの今の日本に、ラフカディオ・ハーンが見た日本を取り戻し、ジワジワとそちら側に移行していく、新しい時代の始まりです。

アテルイの積年の想いを歴史から学ばずに、新しい時代が来るとイベント開いても、何か大事な中心軸が抜け落ちる。

今生、日本人として生まれた意味は、大和朝廷によって、沖縄、北海道も含む、九州、四国、中国、近畿、関西、東海、関東、北陸、東北とてんでんばらばらに解体された、日本の先住民エミシという、自然界と共に暮らして永続を実現していたエミシの魂の再構築です。

何度も言いますが、敵は外にいない。

弥生系統ユダヤの表皮をもつ自分に、縄文エミシの核を見つけ、そこに心からの安らぎを見つけた時に、新しい縄文が始まります。

その時、脱皮が始まり本当の自分と、いよいよ現世で出逢えるのです。

エミシの魂は、アメリカ先住民、マチュビチュインカの民、イヌイット、アポリジーニと同一。

今生この時、まず気づくのは、エミシとしての自分です。

鬼や山姥等に隠された真実を感じて読み解く。

何故、獅子舞が様々な形で、全国にあるか。

秋田県なまはげは、なにか。

桃太郎は、誰?

鬼のもつ鉄の棍棒の示すものは?

鬼対峙にたかだか吉備団子ほどのワイロを貰い、靡いた猿やキジや犬は、誰。

全部自分の中にいます。

さながら今は犬。

だけどアナタの中心には、鬼がいます。

最高の錬金術という自然界を味方につけないと与えられない知恵を手にした鬼。

よくみるとけっして怖くない。

無口だけど暖かい眼差し。

そしてその技術を、命を奪い征服して他者に、あるときは自然界にも権威をふるう為には、一切使わなかったエミシの魂は、世界中の民の根底にしっかりと今でも生きています。

だから、己が己の魂に、いよいよ向き合う時が来たのです。

敵は外にいない。

だから闘っても意味を持たない。

宮沢賢治が描く世界は、まさにそれ。

人間が自然界と分割される以前の、人間が動物と一線を画する以前の、人間と自然が一体融合していた時代の感情を表現していたのです。

その原点は、野生の水が生み出す野生の思考。

そして、野生の思考を鍛え取り戻す場が、生活の側に何時でもある。

まるで辞書のように。

だから出入り自由で、弥生式都市部への参勤交代可能な縄文ランドが、図書館のように必要です。

それが岡本太郎画伯が気づいた事。

まさに太陽の塔の最上部の、キンビカ弥生式顔から、腹にある縄文の顔と背中にあるシャーマン(全ての命と命の源である霊を繋げて感じ考える自分)の顔を、そう取っ替えする時が来たのです。

岡本太郎画伯は、予算をあえて誤魔化し、太陽の塔の下に世界先住民博物館を創りました。

今までは、見た目が縄文の方に役立って来ましたが、いよいよ我々表皮は、丸きり弥生式の顔の民が、自らと命が住む大地地球全ての為に、自らの縄文腹である人と全ての命が繋がるを知る自分、そして全ての元命、即ち霊と繋がって今がある自分、このハイブリットこそが、未来の縄文人です。

野生の水には、間違いなくその記憶があるのです。