あらえびすブログ

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《場》の変換をドンドン試みる 此れが連鎖の調和を引き起こす

昨日も触れましたように、自分の意識は全てが《場》の変換を試みないがゆえに起きること。

所謂、受身の姿勢です。

自分がいて相手がいるとか、相手がいて自分がいるではなく、その時に場を思いっきり変えてしまえるかどうかです。

僕らが当たり前と思っている《場》に先ずは疑問符を持つ。

水道から水が供給される、トイレで水洗される。

見えなくなったら意識は薄れていく。

それは意識という、自分が感じ取れる範疇までの、脳の5%の仕事でしかない。

その先、もしくはその前に、どのようにパイプラインが設定され、例えば東京ならば、遥か利根川から水が運ばれるのか。

その為にどれ程の見えない人為的につくられた世界を、この水は圧力をかけて運ばれるのか。

ペットボトルで売られている水は、どのように汲み出され、その為にどのような酷使を水に強要して、どれ程の水にとっては有害な道筋を経過して、僕らに届くのか。

それを《場》を変えて、とらえ直す。

例えば、ミクロコスモスの人体に置き換える。

輸血自体がおもわしくない行為であることが、ヨーロッパではハッキリと解ってきていますが、取り合えず輸血で考えてみましょう。

遥か何キロも離れた土地から、パイプラインを伝わって、病院の手術室へ。

血液型で分類して大きなダムに血液をためて、全国の手術室へ。

生命のパイプラインは、イヌイットならば、カヤックの船体を縫い合わせるのに使うほど、腸も血管も伸縮性が抜群。

よって、水の特質である膨張収縮を妨げない。

けれども、この血液を鉄のパイプライン10%、エンビのパイプライン30%、そして一番劣悪な石綿のパイプラインが60%も使われ、その有害物質除去の為に薬を入れるが現状の水道水。

水を消毒してはいない、全てがパイプライン保持のために。

森と泉の縄文トラストアラエビスの、ボトリング基地前には、近くの沢から引っ張って生活水に使用していますが、これの僅か一キロにもみたないパイプラインでも維持管理は本当に大変です。

枯れ葉がつまり、沢の流れが季節で変化すると、そこには入り込まなかったりと、水が季節によって右回り左回りを交換するのですが、きっとこれさえも知らないでしょう。

僕らの血流も、夏と冬では内部で変わっているのです。

さてこれを、人体に当てはめると。

今の人工血管でさえも、血流を本物よりは上手に扱えない。

血管に老廃物質がたまったり、弾力性がなくなると、病気になります。

それは、血流が滞るからです。

今の日本は、弾力性がない血管が張り巡らされ、地球のオッパイであり血液である水が、滞っている瀕死の病人のような、生きていない水が配られているのです。

ヨーロッパでは、必要悪として、食器あらい、掃除、シャワーに使用しますが、調理水には、加熱された元は生きていた元ミネラル水を、そして、お茶や生水には一切の人知が含まれていない自然水を取り入れます。

飲む水を自然水にするだけで、あなたのパイプラインは、弾力を取り戻す。

これと比例して、ヨーロッパでは、河川のコンクリートの堰を、自然に戻したのです。

河川の中に、又は脇に生える植物は、水に螺旋の動きを記憶させます。

螺旋を知らない水は、鉄砲水なって人工物を難なく壊します。

これを感じれるのが、お風呂です。

伏流水の風呂は、水の抵抗を温泉以上に感じないのです。

此れが《場》を変える意識の変換です。

だからチベット密教では、禅問答を鍛える。

意識の場を破壊して、新たな場にたたせる。

此れをお産の時も使い、お話の力で和らげる。

血液を作るのは、人体に取り込んだ水なくしては出来ません。

フルボ酸鉄が入っているから、酸化しない鉄分を含む血液になるのです。

そして、伏流水は、上に唯一登る記憶を持っています。

だから重力に逆らって、木をかけ上がる。

本来冷え性はこの水の記憶に充分関わっているのです。

リンパ液交換されずに、ふくらはぎに血液が滞りたまる、静脈瘤も登れない水を飲んでいるから。

そして、厄介なのが、利権でこの水は自然のまま商品化できない。

ワザワザ日本人に合わない、ヨーロッパの硬水ミネラル天然水を、買わされている。


綺麗な沢が流れる登山で、ワザワザ綺麗な沢の水を飲まないで、エビアンを持ち歩く。

どう考えても、変でしょう。


遥か彼方から、船の長旅で届く。

手術の時に遥か彼方の誰ともわからない外国の血液で、船に揺られて長旅をしてきたペットボトルの血液で、さあ手術開始。

きっと近い将来、手術は生理食塩水で代用が利くが、当たり前になります。

血液型はオンリーワンが当たり前になる。

このように水を一回平たくして、《場》を変えて考え直してみる。

この伏流水を飲む動物は、様々な役割を、山全体に施しています。

獣道は、風の通り道を作ります。

野生動物は、風を知っている。

天敵から身を守るために風上にはいかない。

風下で嗅覚で、相手の位置を知りながら、距離をおく。


皆殆どが伏流水の出場所を知っている。

彼らは、サイフォン効果広葉樹の頂点まで登る、水の記憶を知っている上で、必要としている。

僕の推測では、脳にかけ上がる血流には、重要な運動記憶なのだと思っています。

直感が冴える水は、伏流水だけなのだと。

木が吸い上げていると思いががちですが、水自体が上がっていく。

それを木が利用しているといった方が正解です。

此れは鶏が先か卵が先かですから、半々と考えても良いでしょう。

だから伏流水の水が枯れたら、ブナは死に絶えます。

沢の水では上がる記憶を持っていないからです。


ましてや、エンビや鉄、石綿のパイプラインの記憶が、人体の中では一切役にたたずに、血管もきっと固く硬直化させていくのでしょう。

それがきれやすいとか、暗いとか、やる気がない、機嫌が悪いを作り出しているとしたならば我々は、水の運動記憶に支配されている思っても良いのではないでしょうか。

この人とは合う合わないは、水の特質から生まれた言葉。

馬が合うというのも、馬と人が同じ水を飲んでこそ。

放射能と伏流水の関係の記録映画《アレクセイと泉》でアレクセイが馬に先ずはこの伏流水をあげるシーンを思い出します。

僕はイヌゾリするので、犬が合うかしらん。

勿論、四頭のマラミュートも、伏流水大好きです。

そして、水源地での水を飲むために、必死にケイトラについてかけ上がって来ます。

此れはエネルギーの高い水を知っている。

雪上車を買えるまでは、雪で山がクローズされると入れないので、御所山の水源地に移りますが、遥かに黒伏山の水のエネルギーの高さ、犬たちは知っています。

できる限り自然素材に拘るなら、先ずはこのマネー市場で売らない水をお山を応援して、戴きまーすという《場》に移行することが始まりだと感じています。



お知らせ一つ。

好評につき、ガラスボトル今の注文申し込みされている方で、暫く入荷がありません。

暫く品切中でーす。

ご了承下さいませ。





















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