ショートカットはもうやめよう
お山への心からの信頼を捧げよう。
此れが今一番重要だと思うのです。
様々な方法のみが、巷に反乱して三次元の僕らを惑わせます。
人が新しい市場を創造しない限り、地球との愛を取り戻した事にはなりません。
アートテンテクノロジーが人の心と響命しあう事で結果が出るように、その響命は体内の水を通して行われます。
水の情報は、どの聞き耳よりも、明白に情報を記憶してしまいます。
浄水器から出る水が大事ではなく、その水が僕らの心根を見透かしてしまっています。
まるで、神様そのものです。
間もなく水が燃えることが出来ることは、人類の常識を覆す事になっていきます。
僕らが燃えているとき、実体内の水が燃えているのです。
都市部での必要悪として、浄水器も必要です。
けれども、水自身が求めているのは、人の知識上の情報ではありません。
人と自然界のバランスが整ったお山に入った時に、えもいえない幸福感が体を満たすのは、水自身の情報と我々自身の情報が呼応しあっているからです。
残念ながら、この作用は浄水器にはつくれない。
畏敬の念は、自然界との呼応からしか、育てられない。
ナウシカで宮崎駿さんが表現されたように、人知の先に自然の回復は行われています。
放射能が氾濫すると、それを食べる細菌が現れてくる。
これも土の中にある水が情報を捉え、新しい存在を生み出すのでしょう。
まさに神業。
対処療法と同じく、経済と同じく、ショートカットしたものは、それが素晴らしく環境に良いものでも、便利であればあるほどに、我々の記憶から本質が欠落していくのです。
陽の時代の5123年が終わり、陰の時代の一年目が冬至を境に二年目に入るわけですが、陰の時代は月の満ち欠け1年を13か月で捉える時代です。
女性の生理を都合で早めたり、遅めたりしようとか、結果してしまう時期が、陽の時代でした。
この変革の五年間が、一番惑わされる情報が、氾濫してきます。
次から次へと、体と環境を考えたと言われる商品や情報が錯綜するでしょう。
けれども、それは依存を作り出します。
命が命の源にのみ依存して良いように、地球は出来ています。
2次元の世界で生きている蟻が、3次元の世界を把握出来ないように、3次元の世界から6次元の世界である自然界を捉えることは出来ません。
その6次元の世界がつくりあげるものが、我々のいきる方向を示してくれています。
勿論その後は、太陽系の先である10次元から6次元を見ることが、重要になってきます。
しかしここもショートカットは許されません。
今の環境に良いものと人が作り出しているのは、人体に例えると、一つの臓器だけを回復させよとしているようです。
お山のシステムは、渡り鳥も、虫も、細菌も、野性動物も、勿論植生も一体になって全体として存在しています。
そこに神業があります。
僕らは後付けの知識に、本当に弱い。
整体の大御所、野口春近先生がおしゃられたように、テクニックは使わないために、知る必要がある。
まさに自然界に、思いっきり任せて、人はそこからお手伝いをするだけ。
仕方がなく、トラスト等と言う言葉を僕らも使っていますが、実は《結》《手間返し》で、自然界とお付き合いする必要があるのだと思います。
ですから、《森と泉の縄文結い》が本質に一番近いのかな。
まさに縄文の縄は、自然界と全ての生命の絆の表現。
それは水の流れ方を通して、情報を知っている。
龍木もなぜ捻れるか、スパイラルえ上昇する、水の情報による結果です。
そして、DNAの形もまさにこの水だけが知り得る、縄の運動情報です。
我々が感動しているとは、我々の体内の水が振動をして、陰陽が螺旋上昇して、天と呼応します。
そのままの体内の水の情報を、言葉も知識もなく人に伝えることができます。
感動を共有したときです。
ならば、本当に生きた水を、しばらく二千年、五千年、一万年、人と出逢っていない伏流水を体に取り入れることは、健康を保つために還元水飲むのとは大きく意味が違う事です。
お山で二千年前の伏流水を飲みながら、家の浄水器を懐かしく想う人は先ずいないはず。
ケイトラで、片道二十分林道に入り、手ぐみで汲んで手でボトリングするのは、電気を使って生命エネルギーを減らさない事は勿論ですが、その風景を入れて皆様にお届けしている事を一番に想いながら、作業をします。
感覚が研ぎ澄まされて、知識が遮断されると、味を通して紅葉を、新緑を、雪深く守られた新雪のえもいえぬ、穏やかさを感じれるようになります。
此れが水の情報だと気付く。
その人間を5%にしていく、此れが僕にとっての《森と泉の縄文トラスト》なのです。
ですから、屁理屈ではなく、水を届けてはいないのです。
命の響きが溢れる情報を、水に記憶して貰い、お届けしている。
水は便箋、僕は郵便配達スキンヘッド親父なだけです。
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