いよいよ開く、心の隙間
隙間は、遊び。
アメリカも遂にデフォルトしそうで、一方で中国では都市化のために、大連では強制的に、農民から職や生き方を奪う。
マンションを作るために、食の提供者を根こそぎ潰す。
グローバルマネー資本主義が、余りにも急速に進まなくては先に進めない、後進国の巨大な急ぎすぎる、一方向への成長。
いち早くそこから次へ向かった先進国ヨーロッパ。
次は日本の番。
けれども、夏目漱石がみたヨーロッパが、まさにそれであった。
日本がそれを追従することに、懸念を感じ、小説で伝えようとしたけれども、それ以降の日本は、公害、貧富の差、肉体的精神的な病の氾濫、急ぎすぎた東京の発展等々。
放射能の何倍も怖い遺伝子操作が、えーこんな事になるのは、後五年もすれば隠せないほどになってくる。
中国の奇形児童は、遂に国民の5%に達した。
沖縄侵略の前に、内部崩壊を期待したい、けれども、蚊帳の中の歯止めであるアメリカがデフォルトすると、一気に中国は第二の世界の警察を名乗り出るであろう。
アメリカのデフォルトが、来ても来なくてもこれは、大変な事がいよいよ始まる。
どっちが楽か等比べる事は不可能。
F1の種子の最強版の販売がアメリカでは決まっている。
遺伝子操作と最強F1これをTPPにのせて、更なる世界制覇を目論む、アメリカ国家を裏で動かす悶三十さんやロックちゃん等々。
そして、ペットボトルにメス化してしまう毒物を混入させて、人工削減を操りながら、世界制覇をしようと試みる中国。
中国は、今更食で世界を牛耳れなく、水による世界制覇を、試みている。
共産党漢民族による支配構造は、似せ自由主義のアメリカとも又違うし、社会主義で世界制覇をもう一度試みるロシアもまた違う。
この三大イデオロギーが、日本の上で動き始めている。
出口王仁三郎の予言通りになってきた。
聖書の予言通りになってきた。
イスラエルから来た、日本民族に起きることを、聖書では予言している。
これをイデオロギーや予定調和で、解決することは出来ない。
出来るとしたら、連鎖調和以外にないと、保江先生同様に、感じてはいるのですが、この連鎖調和に慣れていくことが、以外に難しい。
連鎖調和は、隙間にあそびに、生まれでる。
幼児の脳は連鎖調和がメイン。
動物も植物も昆虫もしかり。
言い方を変えるなら、本能は連鎖調和である。
あえて僕は、過激な真実も言ったり書いたりするけれども、これは予定調和から連鎖調和への移行の記録でもある。
blogを始めた、去年の八月から年末は、イデオロギーから予定調和への進化でした。
そして、今年の初夏で予定調和の限界に達した自分は、連鎖調和への一歩を踏み出し始めた。
イデオロギーは直線思考。
予定調和は、その道が二つにわかれるキアスム思考。
横尾忠則画伯の、Y字思考。
それが突然、片側が、層を転換し始めた。
そしたら、舞って円を描き飛んでった。
例えるならば、蝶々の芋虫と、鰻の稚魚を同じ尺度で見ていたようなもの。
芋虫も鰻も同じルールで生きれがイデオロギー。
けれども、それは違うでしょう!個性を認めてそれぞれよね!がY字キアスム。
そして、芋虫に異変が。
ヤッパリ個性が出てきたなんて、思うのも束の間、全く違う昆虫に。
あれ死んじゃった!
サナギを見て思う。
これが予定調和。
層が変わった。
けれども、まだまだ同じ次元での展開。
平面でも立体でも違うのは充分解ったけれども、死んでなかったんだ。
魂の存在は、死んで戻るものと思いきや!
サナギのなかで変化が観える。
そしたらサナギの中から、蝶々が。
それも飛び出した。
あれ直線がほとんどない。
これが螺旋で動くになる。
そして連鎖調和。
陰謀説は、イデオロギーに対向するために、生まれでる必然的に。
そこで違いを認めるときに、思考に飛び出るのが《愛》という概念。
けれども、保江道場で、愛で技をかけるを体験すると解る。
自分の《愛》は概念であったと。
ガビーン。
そして、愛を知ることが舞であると、保江先生は閃く。
僕と出逢うが僕は舞えても愛では技をかけれない。
イデオロギーや予定調和(翻訳調和と僕は感じている)の脳では、ダンスや舞いに、勿論愛に行き着けない。
結局アンタの脳やねん。と自分に問う。
では、舞いは何と愛し合っているのか。
まさに、全ての空間にある隙間を見つけ出し、空間とあ そ ぼ!と生きるのみ。
その時に偶然螺旋の複合になる。
幼児そのものが、蝶々そのものが、今頭の上でブンブンと飛ぶ亀虫は《愛》の達人であったのだ。
信じがたい。
東北ではヘクサ虫という、亀虫が、愛の達人であった事を。
人間は、始めっから蝶々だったのに、ワザワザ、芋虫になるために学校に行き、ワザワザサナギになるために反抗期を経験する。
そんなシチメンドクサイ生き物はおらん。
そして、大人になっても、芋虫になってみたり、サナギになってみたりして、シュタイナーの7年ワンセクション21年周期を寿命まで生きる。
まあ何回かするうちに、世間様に嫌われずに、上手く嘘を生きながら、ある瞬間本物を生きるイベントで、生きれるし、それが人生だよと達観し始めたら、大人だねと生きやすい。
けれども、それは所詮寿命が84歳なら、四回のチャレンジ。
これでは、螺旋の幼児にさえも戻れない。
なんだ退化するために生きてるんかいな。
だから、来世に期待する。
そこを身を捨てて善行つめば、来世では今よりは成就出来るから、徳をつめと。
勿論《愛》に近い行為。
けれども、三歳児が徳を積むために、ヨイコを生きていたら不自然や。
だから、アトピーの人は伏流水で、「いやあこんなにベトベト体液が出ないスゲー」と、喜んで感動すれば、そのかたは、愛を生きている。
同じく、ジェイソンテイーが好きな方は、売ってるミネラル水よりも旨いで、愛を生きている。
料理研究家は、この水で出しとると、出方が違うで愛を生きている。
伏流水で、インスタントコーヒー飲んだら、ウソー下手したらスタバよりも旨いじゃんで、愛を生きている。
お肌にスプレーして、スベスベを感じていたら、もう愛を生きている。
蝶々よりもコロコロ形を変えるのに、質を変えないのは、完全伏流水のみ。
だから腐らないし、体に不必要なもの全てをデトクッスさせてしまうし、凍らしても手にくっつくような感覚がない。
これをワザワザ《ウエシバモリヘイ》大先生は、一霊四魂三元八力なんて面倒な言葉で言ったけれども、幼児が先に言葉を全て知っていたら、同じことを言うのかも知れないです。
そして、僕はこの愛という、今のところ一番この動きや特質こそが愛と言える伏流水に(湧水は予定調和だけれども、伏流水は連鎖調和)感動し、この愛の源を人々に送るために、山に入り汲み上げ手でボトリングすることが、楽しくて楽しくて仕方がないのです。
伏流水はアソビの天才だ。
だから、福竜水と呼んであげたい。
龍よりは竜が可愛いね。
Android携帯からの投稿