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あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

地球上で水が動いてる まさに伏龍水だ。

森と水源地の縄文トラスト 響命美緑

命が響きあうって何だろうか?

命がドンドンなおざりにされていく。

昨日出版の、下地調査でおいでいただいた、Mさんがお帰りになって、やっと届いた関野さんの新グレートジャーニー《日本人が来た道》を観た。

本の出版のお声がかかり、更に自分を見つめる、良いきっかけを頂いた。

自分は、命にもっともっと真摯に向き合う生き方、それこそが人の一生を、幸福にさせる核であると日々感じる。

関野さんが、昔訪れたモンゴル。

これは八巻セットのグレートジャーニーに、載っているのですが、そこで出逢った、プージェという、六歳の女の子。

馬を盗まれ探しに出た母の帰りを一ヶ月、裸馬に乗りながら、家畜を一人でお世話していた。

まるでモノノケ姫。

その後母が落馬して、他界したのだが、そこをもう一度今回関野さんは、訪れる。

プージェは、中学生になっている。

しかし、関野さんが訪れる三日前、最近モンゴルでも増えた車に引かれて即死していた。


ここで、僕は一度、ビデオを捉える脳の動きを停めてしまった。

そこからは、頭に一切、入らなくなってしまった。

関野さんが始めてのグレートジャーニーで、アフリカに七年かけてたどり着いた時に、当たり前に人が食べて気のあう人達と暮らし、移動できる幸せを、もう僕らは失いかけている。

自然からの恵みに囲まれ、贅沢は出来なくても、命を繋げて、命どうしが共鳴しあう、響命ミロクな生き方に、何故か向かえない。

僕は、バレエに向いていない生徒に、バレエを押し付けることが耐えられなくなって、躍り関係の専門職から身をひいた。

勿論、全ては糧になる。

けれども、ならば戦争で殺しあいしたりすることさえ、肯定できてしまう。

食は日持ちさせる為に、保存薬品添加物を入れ、食べるもの飲むものさえ、薬で延命させられているモノを体に取り入れている。

昨日のblogでシェアした、不正選挙に、真実を公表しようとした方が、宗教団体にビルから突き落とされて殺される。

余りにも命から遠ざかっている。

七十キロの、山羊を頂くだけでも、そこにはズッシリと体感できる、命の重さがある。

けれども、安易に買える、例えばコンビニの唐揚げを食べるとき、食べながら鶏を同時に思い浮かべる方は、今では殆どいない。

今僕は、正しい食を語っているのではない。

コンビニを安易に批判も肯定もしていない。


それよりも、僕らの想像力の欠落を見つめたいのです。

何処からこのような思考のスタートが、自分の中で始まったか。

人間の中で始まったか。

それは、現世を越えて思考してみる必要がある。

思考停止した自分を、自分の中に見いだすことは、結構過酷な旅でもある。

見ないようにしてきたこと。

感じないことで、取り繕って来たこと。

それを他者の陰謀で終わる人。

全部、実は魂に嘘をついている。

その仮面を、自らの手で剥がすことは、相当の苦痛を強いたげられる。

食えるからと、安易に進む福祉や保育。

この前の新井信介さんの、皆神熟で、高校の先生が切実に訴えていた。

食えれば良いのか。

その食うは、何処か重要な事を見ないようにして、成り立っていないか。

重要な事とは、自分の本心。

根っこで大事にしたいこと。

千人を敵にまわしても、闘って相手を打ちのめして、ふれひす事などもせずとも、こう生きたいと言う核である。

もう800人も死んでいる、福島原発の、不正規労働者の方々。

山谷から、人生の脱落者として、安全安全と洗脳されて、従事させられ捨てられる。

バレエだって同じだった。

不向きな子に他に道を与える手立てを、専門を教える機関は持っていない。

それは、人を育ててはいない。

その子が大きくなって、もしもバレエを教えても、人を育てることは出来ない。

そうやって、本来もっとシンプルに生きるを見つめていたら、習い事等で、自分を表現する必要はない。

もうそこには、分離という思考がある。

自然の中で、ブナは醜いけれども、楓はキレイというのは、何処かがずれている。

本当の自然全体の32面体の、トーラスエネルギーが回っている場は、野菜が綺麗とか、ブナが綺麗とかではなく、エネルギーのめぐり全体が美しい。

これを人に置き換えると、バレエに向いている人も、不向きな人も、他の躍りが向いている人も、躍りなど向いていない人も、響命しあってそこから生まれるエネルギーが美しくなければ、ならないはず。

それが命が響きあう事だと思う。

介護される老人も美しい、だからこそ響命して、介護する人も美しい。

様々な理由で預けられている家族も美しい。

美しいとは、視覚ではない目で、観える世界だ。

そこから自分を観たとき、自分の仕事にも日常にも、《美》は欠落していた。

はしっくれアーテイストであるけれども、己が放つエネルギーが、美しくないのだから失格である。

それを理解して、その場にいながら出来る、優秀な方はそれで素晴らしい。

けれども、仮面を僕は一気に捨て去る事を選んだ。

それほどに、嘘が苦しかった。

死にそうにもなった。

一枚づつ剥いでいくほど、器用ではなかったから、痛手も大きかった。

一気に捨て去ったようで、まだまだ着いていたが、今ではスッカラカンのアッケラカンである。

その時は、本当に出家するようなものだった。

逃げ込むお寺がない出家だから、結構キツイ。

けれども、公正と思われている選挙でさえ、不正を暴こうとすると、宗教団体に突き落とされるような、社会は余りにも可笑しいよ。

それが、誰かの嘘を隠すために、命までとられるのだから。

プージェが落馬して命を落とすことと、突然日本の中古車が蔓延する所で、猛スピードで走るグローバル資本主義の犠牲で命を落とすのとでは、余りに大きく何かが違う。

マスコミに出る、どれ程の予備校の先生が、本気で人の一生と向き合っているのだろうか。

僕で言えば、どれ程真剣に、バレエを教えていた一人一人の命と向き合っていたのだろうか。

原発の根罪は、己の中にある。

IRO蓮は、水を汲み上げ、ベトナム地盤沈下を起こさせている。

他国の食生活を犠牲にして、僕らはペットボトウオーターを安易に買ってのんでいる。

他国の命を余りにも、粗末にしてしまう、消費に慣れきってしまった。

消費者がその構造から一抜けたする、一人一人がそれを許している、今の東京都市型構造から、一抜けたをしないと、何も変わらない。

都市にいながらも、自治区を創らないと。

宮城の農地では、福島以上の75000ベクレルの放射能が、検知されていた。

それを訴えていた彼は、藁をも掴む想いで、アートテン農法の勉強会に出られていた。

過剰な電力に依存しない東京は、いつ出来るのであろうか。

放射能が高いと認識する感覚が、僕らよりも数段きちんと個が確立している事で高い他国の方々を、東京にオリンピック呼ぼうなど、どう考えても可笑しいよ。

それも東京の地価を維持するために、オリンピック開催など、どう考えても可笑しいよ。

リニアモーターカーで、アルプスにドデカイトンネルを造ったなら、アルプスの水源は崩壊するでしょう。

命を繋ぐ水と、早い移動手段と天秤にかけれるはずがないのに。

響命する心がある方と、場を越えた層で繋がって、森と水源地の縄文トラストが生み出す、響命自治区を僕は創る事に、更に集中していきたい。














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