新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る 皇の時代の宇宙国建国までの舞
このblogのタイトルが変わるとき、イヨイヨのスタートの幕が下ろされるときです。
一歩先に進む重みが、増して来ました。
昨日の越谷の歌姫の個人ワークは、この前の名古屋のワーク同様に、大きなキアスム思考の転換による、体の変化をまざまざと見せてくれるモノになりました。
円は十円上昇しての、緩和前。
株安は、三週間で三千円超。
マネーゲームの終焉がイヨイヨ近いことを、示し始めています。
一件自然界の増殖とは関係のない金融市場が、今まさに直でその直線構造のつけを直接受けはじめてきだしたのです。
国の製作の表面での操作は、グローバル市場では、簡単に化けの皮がはがされるという事態が、おきはじめて来たようです。
今の東京バブルがこの調子では、一気に加速して化けの皮が剥がれ、相当の変化を余儀なくされる様相を示し始めました。
そのなかで、僕のミッションが大きなムーブメントを世間に表出するには、土の中の健全な環境と同じ事が必要です。
僕が伏流水を扱うということは、ブナのようになって、健全なフカフカの土壌に、市場を変化させるということ。
だから、様々な種の植物が、一方向に増殖してバランスを崩すという、放棄田畑におきている一方向の雑草の増殖や、雑草を刈るばかりに一方向に増える害虫を農薬で増殖させなくして、どうにか押さえ込んで果樹に実をつけるような、表面での操作の限界を越え出る為には、ブナにならなくてはならないと、感じています。
今までの農業も、モノを作り売ることも、スピリチュアル産業も、そしてマネーゲーム市場も、すべてが見える表面での動きのみを操作していた。
水を溜め込んで、栄養を溜め込む土を作らずに、ただただ砂のように流れていってしまう土に、上から堆肥を施し、人為的に水をまく。
地下では、どんどん分解されていない栄養分が、ザルのように流出して、結果海まで汚す。
海に意思があるかのように、地球に意思があるかのように、海はもう一度プランクトンを健全にして、バランスを取り戻そうと、津波を起こす。
ポニョが求めていたのは、まさに自然界と人間界の結婚。
即ちキアスムという捻り交差思考への転換。
地震も、ならば一回大きくバランスを失った世界を、人間に任せてもいつまでも自然増殖に気づけないのなら、自然の力でやってしまおうという、神話の現実への表れとしての、実は神話は迷信でなく事実をキアスムで表現した言葉なき意思を、想像力の欠落の現代人にぶつけている。
アメリカのネバダの金鉱脈は、今恐ろしいほどの増産を二十四時間体制でしている。
金を掘るというのは、実は相当の環境破壊を生み出す。
同じく水晶を綺麗に短時間で磨くというのは、気の遠くなる年月の伏流水による磨きか、大量の水と化学物質を使っての短時間の研磨で、結果大きなツケが僕らを襲う。
日本は早くにそれに気付き、人命も失いやすい、金鉱山銀鉱山を閉鎖した。
確か、白金nは、一トン辺りの岩から一グラムだと、専門家に伺った記憶がある。
採石どころではない。
今までの農業やペットボトル産業、レアアースに頼る様々な工業など、全ての図式が同じ。
原発のウランや、持っていきようのない廃棄物は、更に速度をあげて矛盾だけが地表に残る、無惨な、僕らのリニア思考の結末である。
循環と言われ円を描いたら、その循環は失敗する。
その円を八の字に捻った形で、天界と地上と、地下は出来ている。
それが何本にも並んで、そこにはじめて円が成立する。
それが更に立体になっている。
造成された真っ直ぐの道端に、道祖神を見つけたら、そこには昔、Y字路が存在した証拠。
それを見つけたら、元々の地表を見つけれる、大きなサイン。
その時に右が山に続いた道で左が海に続いた道、又は左が山に続いた道で右が海に続いた道である。
そうなると盛り土をして表面をコンクリートで固めて、そこに高層マンションを建てても、今後どのように地盤沈下するかが、わかる。
この短期の東京バブルで、多くの億ションが売れている。
殆どが、このような地にのっかている。
昨日のバスで中戸川くんと話したように、今東京は地下で海の水面がどんどん上がってきている。
実際の、海岸の水位が上がったときに、陸には隙間を通って、恐ろしいほどの水位が土壌に流出している。
夏の豪雨の時に水が逆流して吹き出すマンホールは、地下にはもう水を始末できないほどに、海の水が入り込んでいることを、僕らに教えている。
この都会の湿気も同じだ。
厚化粧のようにコーテイングしたアスファルトのしたで、土地が水に流され始めた。
津波が来て、弱い土壌が動き、浦安のように建物が傾いたのではない。
すでに始まっていた。
もしも今東京中のアスファルトをとったら、恐ろしいほどの水蒸気が天に上がり、ミストサウナのようになるでしょう。
そして、夕方にはスコール、恐ろしいほどの土砂が流れる、
そんなギリギリの状態が、アスファルトの仮面で、どうにかキープされている。
山にブナがあり、健全に広葉樹があり、里山に棚田があれば、これを貯めることが出来る。
けれども針葉樹の森は、アスファルトのない都会と同じ山になり始め、多くの土砂が崩れだしている。
今夏は西日本では更に甚大な被害が予測される。
東京が縄文の頃の配置に、未来型の都市の形として戻り、復活を始めるのは、きっと2020年からやっとそスタートであると思う。
相当の疎開が余儀なくされる。
勿論、都市の機能は崩壊して、恐慌が訪れる。
お金の価値が通用しない、自給率は1%の東京が生きれないと知ったとき、環境移民は、一気に動く。
その時の混乱を地獄図にしたくない、それが伏流水ネットワークで作り上げておきたい、繋がりである。
だから、今ドンドン一歩の重みが増してきた。
僕の心の不安定さや読み間違いが、その時の混乱を生んだら、最悪なことになるでしょう。
それが、今の一歩の重さです。
滑りやすい、岩場を歩くような、一歩。
冬の最大冷え込む早朝四時に除雪車が来て、ツルッツルの坂道をいつも歩き除雪をして、身に付けてきた思考が、その不随意筋が動く思考の様を、抽出しなくてはならないでしょう。
足の裏に、スパイクがついている長靴をはきながらも、初夏の優しくふっかふっかのブナの下の土の上を根を痛ませないように、歩くときのあの感覚で、残りの十五日を歩き続けること、手はひたすら、中指を動きの始まりにして、薬指小指親指人差し指の順番で、手の平を天に向ける。
これが手で、鼻皮膚口耳目のループ五感が正常な道を通る事になる。
手の平をした向けるとき、全ての逆から動かしていく。
これを十五日の所作で実践しつくすことが、僕が僕自身をスタート地点に運び込むことになる。
その時にピラミッド方向へのベクトル全てに、キアスム思考の、八の字の繋がりが作る点線を
感じ取れてつなげれたのかを、毎秒毎秒自分に問い詰めて、修正をかけて、精度をあげなくてはならない。
この五角形の黄金比率を日常化させ、
立体での九角形の思考を、立体での七角形の思考を、
円のなかに、五角形、七角形、九角形辺を作りながら動かせたときに、正方形地に地下から増殖の動きを表出出来る、魔術を手に出来る。
後十五日で、ダンブルドアは無理でも、幼少のハリーポッター位には近づかなくては、ならない。
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