あらえびすブログ

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新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る 皇の時代の宇宙国建国までの舞

今日は、又々限界点にある、東京の経済の空気から脱出して、キアスム経済を起こせる出発点である、泉郷の空気を取り込み世界中が必要としはじめた、キアスム経済について記して行きます。

昨日の新聞に出ていた、オランダの住宅ローン崩壊や、橋下さんの失言、一昨日の新聞に出ていた噴火に備える生き方の提唱など、まずはキアスム空間に身体感覚をおいて鍛え直さなければ、余りに短いスパンでの人類学からのスタートにならざる負えない見解の記事でした。

そこで重要な事は中沢新一さんが仰る、現代の一つの重要な闘いであるアニミズム思考の、現代へのマッチングという土俵にあげれるほどへの、アニミズムと言う刀の鍛え上げが、出来るかどうかでしょう。

この宇宙国建国までの舞は、まさに日本刀の鍛冶屋のような、作業実験の連続です。

十五年鍛え上げたようで、未だに強固なトーラスのみの市場経済の勢いに、切り込むと簡単に刀がかけたり曲がったりしてしまうのですが、そこを通過しないことには、この未知との遭遇は一生果たせないでしょう。

血筋的に琵琶湖の日本海側の山河で、伊賀と甲賀の裏を繋ぐ忍を生きてきた、東出村の住人である東出家は、隠れ蓑に伊勢神宮に奉納する煎餅屋をも営んでいました。

よって祖の血筋は、大阪商人とは異質なキアスムビジネスを、《忍びの者と、神を通して大きな畏敬の念畏怖の念が関係する自然界への贈り物を創る職人商人の融合》としての二重性を自分の中で折り合いをつけながら生きる事で生まれでる経済を生きてきた祖先です。

祖の時代が終わりを告げ、皇の時代に入ったことで、所謂スピリチユアルが拘るカルマ等は、ドンドン勝手に消えつつあります。

近い先祖はまだまだ皇時代に入っても、霊的なサポートは三十五年はするでしょうが、今までのように、仏壇に向かって、お願いを出来るのももう、僅かでしょう。

一見この血筋は、異質な環境のようですが、実は誰よりも庶民として生きることを必要とされたと感じるのです。

琵琶湖の麓で生きてこられた、沙々木神社の宮司には、きっと当時相当に助けられたのだと思います。

この血筋を引くのが屈指の地元のコンビニとして、ある意味王道を行く仙台のリトルスターの佐々木社長です。

東北で一番金塊をお持ちの方でもあり、名前から先祖を辿り、出所からのご縁で今生も繋がりを作られている方です。

この手強い、佐々木のお父さんとのコラボは、間違いなく今生存在するでしょうが、本当にお互いが無分別知でガップリ四つに組んでこその、事業でしょうから今の僕ではまだまだ役者不足です。

その為にも、しっかりとアニミズム思考から生まれるしかない、キアスムビジネスを鍛え上げ、佐々木社長の刀を真っ二つに出来なくてはなりませんが、まだまだ先の事でしょう。



さてその為にもアニミズムを徹底的に身体に染み込ませなくては、ならないのです。

山でも海でも河でも狩猟の民は、自然をコントロール化に置くのではなく、自然に自分を同調させることで、そこから富を引き出してきました。

この縄文型の関係性が生きているのが、東北です。

そこに来た地震津波は、神戸とは全く違う、東北が忘れ始めていた自然との関係性の復活を、海神地神山神が突きつけて来たものと、僕は捉えます。

逃げるな。

この驚異をも含む贈与を、現代の蝦夷は受け取れるのかという物でした。

ですから、例え僕は、山形に大きな山岳崩壊があっても、山河と共に生きます。

更に雪に覆われても、水を守り続ける生き方をします。


東北の世界では、自然を自分から分離して引き離すのではなく、自然との間に《キアスム=交差捻れ》関係をつくりながら、半ば受け身の状態を保ちながら生活していく精神が他の地域より強く残っているのです。

流石に武術の発祥の地です。

だから武術や武道ではなく、生活そのものに受け身があり、全身脱力思考があったのです。

大雪相手に力んでも仕方がない。

だから雪掻きや、伏流水汲み上げは、完全脱力が出来るのですが、まだまだ合気あげでは力みます。

此れが出来た時に、人と自然界がやっと僕の中で一致するでしょう。

大雪や小お山の様々には、愛が完全に持てるのですが、人にはまだまだ未熟な若輩です。

アニミズムの巨匠《織田兄貴》には今は辛抱してもらって、先ずは現代の本物のシャーマンがいきれる場を僕らは構築しなくてならないのです。

それは、自然界との仲直りが先であると僕には感じるのです。

織田兄貴ほどの、本当の魂剥き出しをに出逢ったことはありません。

それ故誤解され、いきる場が狭められる。

僕にしてみたら、大雪よりも厄介な大雪。

だから、自然界と縁を切るなど出来ないように、僕らはシャーマンとも縁を切れないのです。

ある意味障害者も呆け老人もシャーマンです。

なんかここに、もうひとつ自分が越えて成長出来る、重要な鍵があるとも感じているのです。

けれども、シャーマンに威張らせては、勘違いをします。

自然界は、威張りはしない。

少しでもシャーマンだと自覚されている方は、本気で自然界と同調して修行してくださいと。

刀のように焼きを自らにいれて、鍛え上げないと。

それができたら、自慢したり、知ったかぶりしたり、威張ったりは零だと思うんです。

勿論僕もまだまだやけど。


アニミズムはこのキアスム=交差の関係構造のなかで磨かれ発達しました。

《絆絆絆》と言葉がだけが蔓延ったのも、3釻11が示した言葉の限界でした。

先ずは人間と人間の間のキアスム関係よりも先に、人間と自然との間に形成されたキアスム関係を取り戻すことが重要です。

その上で人間同士に、キアスムの構造が形成されてこそが《絆》です。

そしてそれが土台となって、社会が形成されなくてはなりませんよね。

僕は景子を心から愛していますと、ハッキリと言えます。

胸をはって、貴女無しでは生きれませんとも言えます。

何故なら、あの大雪が伏流水に変わるそれを創るお山を本当に愛していて、それと同じだと先にキアスム構造が僕のなかに形成されているからです。


狩猟に話を戻すと、狩猟は、線形処理を諦めて(今のグローバル資本主義は線形処理のもとに生まれて存在しています。だからGDPが上がっても株価が上がっても、円安になっても、庶民の生活は豊かになりません。これからはGDHと言うものの数値化が試されますが、まだまだ我々の脳が数値化できるほどに進化していません。景子を愛しているの数学化と同じだと思います。)キアスム的構造の中に自分を投げ込まなくては成立しません。

キアスム構造が働いていると、自分が繋がりあっている相手との間に《分離》の作用を介入することは出来ません。

どこからどこまでが自分で、そこから先が他者という切り離しが出来ません。

今水源地全てのLLP化を企てているのは、そのためです。

ペットボトルでは、水源地どうしが競合するからです。

結果、自然界は怒りを繰り返し、我々は困窮するからです。

キアスム構造は、計算が出来ない要素が多く含まれています。

偶然性も入り込んで来ます。

いつもの思考も計算も通じない。

ですから今ぼくらは、何にたいしても否定できない所に立っているのです。

狩猟と同じく、今僕は、全身感覚を使った直感を上手に駆使して、狩猟で俄大工プリコラージュで起きるドンピシャとの正解がもたらすキアスム的な関係を、如何に急速に多く体験するか、凄く重要な脳の発達への鍛冶屋に住んでいるのです。

景子が好きな、薪の崩れない積み上げ作業も、これにはピッタリの作業です。

いよいよ薪割りの時期が始まりました。









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