あらえびすブログ

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舞 27 遊びのなかに【決意の石】を見つけよう

遊びと言っても、子供のような遊び方です。
大人の遊びは、やはり殆どがお金をかけて遊ぶ。
此処でもマクド型にはまっている感があります。
きっと祭りの舞も、其処には体だけで遊ぶ感覚が芽生えるからでしょう。
しかし、今の祭は制約がありすぎです。
子供の元々の遊び感覚は、有るもので全く違う遊びを作り出す、創造性が養われます。
これは提示された、ゲームをやるのとは全然違うものです。
その意味では、僕のこの山での作業は、伏流水の活動も大工土木も遊びです。
但し、真剣に遊べます。
ひたすら、ノアの方舟としての【場】の確立を目指して来ましたから。
しかし時間がかかります。
来年予定の伏流水露天つき銭湯も、パン工房もその二坪の販売の為の建物も全て手作りの中で、決意の石である、お山そのなかに流れる伏流水がテーマだからです。

伏流水で作るパンやスープ、その伏流水で育った広葉樹の薪で作るジャム、伏流水と薪で煮炊きするその味わい、伏流水を薪でたくお湯の滑らかさ、それから発生する、水のごとく生きるを育てる、老育園と保育園そして新しい成育学校、これが全部伏流水を中心に抱え込むお山からの枝葉に育てて生きたいのです。その頃には、【水の祭】が開けることでしょう。
此処に結果向かうために、生活を通して、自分が気持ち良い場所をこの古民家中に作っているのです。先ずは自分が気持ち良いと思えるのかが、楽しい幸せだって感じるのかが重要です。
その為には味わう過程としての手作業の改築が大前提になります。
何故なら作りながら、変更して行けるからです。

昨夜は築百年の部分は、薪ストーブ三台を稼働しました。
真冬は全館五台を稼働します。
薪のはぜる音、それを準備してきた春の二万本の薪割り、そして夏場の乾燥状況が始めてこの柔らかい暖かさに身を結びます。
その時の団欒を想定して作ってきた、其々の和みスペースも然りです。
この時に、何時も山を通しての一年を振り替えれるのです。
煙突作業一つでも、雪に倒されないように、業者に頼むとたとえストーブが二十万でも、煙突と工事で大体六十万もとられますから、如何に有るもので安全対策も考慮しながら、暖を楽しむ家にするかの工夫が、実は生活をこのように変革すると、そのもの自体が全て遊びになってしまうのです。

もう既に、来年の露天風呂の材集めが始まっています。
露天風呂の回りには実験用で景観用のミニ棚田を作る予定です。初夏は田んぼでなくカエルの鳴き声に耳を傾け、秋は風になびく稲穂を見ながら、格別な空気の味わいの中で、体を薪で沸かした伏流水に浸っていただきたいからです。
廃材を使うので、常に少しずつ準備をしていくのです。
そうなると、何時も様々な一見関係のない捨てられているものに目が向きます。
これがホルモン流儀の由縁です。
此処では、その遊ぶための目利きが自然に養われます。
このように自分が変化するまで、伊豆のナンチャッテ田舎暮らしも含めると、自分を子供に戻すのに、八年半もかかりました。
そして今やっとこれで、如何に新しい経済を動かすかの壁にたどり着いたとも言えます。
しかし此処での生活は基本さえつくり、それを積み重ねるほどに現金を必要としないで済むという、全く違う着地点が待っています。
これは、此れから修羅場を体験せざるおえない日本に住みながら、とっても先には穏やかで楽しい老育が待っていると感じます。
その頃には、同じ年代や今自分より十歳二十歳したの人たちが、好む好まないに関わらず、生き方を変えなくては生きていけなくなり、このような方向に目を向けられた方に、言えばきりがないほどの障害を越えての、この【これこそが住まう】という楽しみをお伝えして行けると感じるのです。
何より楽しい。
そんな老後なら充分安い年金でもお釣りがくる生き方。
その為に身体動かしていたら、ジムに通うお金も要らない。
更に自然を感じる、アラスカやアフリカには旅行したいと思うのですが、日々の暮らしのなかに充分の満足な遊びが溢れているので、ワザワザ時間とお金をかけて遊びにいく必要がない。
そして工夫すると、ソコソコにビジネスを起こせるヒントとしてのモノが溢れている。
見抜く目さえあれば、老後に充分小遣い稼ぎが出来る。
そしてそもそも高額な家賃も仕入れも要らないので、グローバルにする必要がなくなる。
そんな大きな意味合いのコミュニテイーを全国に繋ぐ為に、伏流水の活動をしているのです。
この水の必要性を飲んで体感出来る人には、目利きが利く元素がまだまだ正常に有ると思っているのです。
少しずつこの地を訪れるサポーターが増え始めています。
その方が棚田側の露天風呂で、薪で沸かした伏流水の湯を体感できたら、人生これで充分いきれるって言う身軽さと言う幸せをどうにか、この日本に根付かせたいのです。



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