あらえびすブログ

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伏流水から今後来る七十年の氷河期に向けて今から共にやらなければならない事 その3

       繰り返し、繰り返し、繰り返しやってみる。            
           成功者とは、結果がでるまで諦めない人のこと。

 此れは皆の家のトイレに置いてある、日めくりに書いてある言葉です。
芳村思風氏の語録です。
何時も何時も発見して、用を足しながら励まされる毎日です。

伏流水代行汲み上げの働きで、広くサポーターを集め、御理解していただき、其処からオルタナテイブな学校や養老院を稼働させると共に、伏流水によって心体も、農業漁業林業も、そしてユニクロさんやニトリさんも僭越ながら更に発展して頂き、衰退する家電、自動車業界までをも甦らせ、政治家にさえもこんな方法で日本の財産を守り、他国からバッシングされないで行ける方法として提示して行きたいと、とてつもない事をドンドン実行しようとしている自分でありますが、まだまだイノベーション魂の欠落を感じさせて頂く毎日でもあります。

日本をどうにか変えようと何時も壁にぶつかり続ける自分は、真壁昭夫さんのPHPから新書で出されているご本のお言葉を借りるなら、「本当に俺は馬鹿だよなあ〜」の連続の中から生み出されるヒントに、毎日毎日ひたすらに果敢に挑戦するしか能がないのであります。

そのお言葉とは、 「イノベーションを起こすためには、受け身の姿勢では難しい。なぜならば、イノベーションは、これまでになかった発想、問題を解決しようとする主体的な取り組みが出発点になるからだ。イノベーションを生み出すためには、まさに、過去の常識に決別しようという馬鹿者のはっそうが必要なのだ」です。

そしてもうひとつ、 「チャレレンジすることは、まさに未知との遭遇だ。新しい発想、新しい情報、次から次へと未知の事象に対応していかなければならない。其で始めて個人の能力は向上していく。」
何時も始めは絵空事。
だから反発も沢山ありますが、そのたびにその理由は自分の中にあると発見でき、だからこそ直ぐに拘りを捨てて、より良い方向にプロセスを変更出来るのは、馬鹿なおかげだからです。
今では有りがたいことと、本気で思えるのです。

此処で日めくりの、一日分全文を記させて頂きます。

「繰り返し、繰り返し、繰り返して、万端つきたこれ以上できることはないというところまでやる。それでもあきらめず結果がでるまで挑戦する。
失敗は、その問題を乗り越える必要な能力とは何かということを教えてくれる。
理性で考えるとこれ以上やっても無駄となる。
万端尽きたと思ったときでも、なにくそ!と思えるかどうか。理屈ではない。
何度失敗しても あきらめずにトライし続けたときに潜在能力がめざめて、自分流のやり方が見つけられるのです。
個性はこの時に自然と作られていくのです。
真剣に取り組めば取り組むほど、現実への違和感が生まれてくる 問題が出てくる。違和感とは、自分の持っている能力が、現実に存在するものよりも優れていることを表している。
簡単に結果が出ることが、いつもよいことではありません。」

本当にそうなんですよね。 そして一つ行動をすると、休むまもなく、次の課題が登場する。
いつのまにか不安に思っていた材料がその瞬間消え失せているのです。
そして又不安の中で次の課題へ進む。 この繰り返しです。

一昨日夜行バスでも隣の男性が凄く大きな方だったのですが、植芝盛平先生の一霊四魂三元八力のおかげで、二人とも体が大きくなくて良かったなあーと素直に受け入れてしまう自分に、自分が一番驚いているのです。

そのように二項対立の思考が皆無になってくると、ドンドン発想がわきます。
この何日かで、mont-bellさんなどのアウトドアショップの取締役から、先進的な一次産業を実践されている方、そしてユニクロニトリなどの社長や小泉新一郎さんにもそして昨日予告しました、フランスのルイヴィトンの社長にも協力依頼を出し始めます。

このお手紙もblogで公開していきます。

何故なら僕の活動の隅々までを、公開して風通しの良いものにしていきたいからです。

皆様の読んでくれている力のお陰で、blogを初めて1ヶ月半、一日三百名まで達して参りました。
このblogからあらためてお礼を申し上げたいと思います。
そして沢山の方に伏流水の可能性をお伝えしあって欲しいと思うのです。

TPPもしかり、グローバル資本主義の閉塞感の中でも売り上げを伸ばされている企業しかり、政治家しかりその中でも方向性を変えていけるからダメもとでぶつかって行きなよと、覚悟したときに突然アイデアが来るのです。

山は素晴らしい浄化装置。
ならば工業で使った水も最大限綺麗にして、雨水ぐらいには浄化して、山を通せば、山の装置が綺麗に戻してくれる可能性もあり得ます。
工業地帯に纏めたりして海の側につくってしまったデザインは、もう時代遅れです。

山から川、そして海、そして世界は繋がっているのです。
昨日の牡蠣養殖の畠山さんは、海をよみがえらせるために山にたどり着かれ、その次は海を通して他国から届く海水にさえも着目され活動を広げられています。
きっといつのまにか気付いたら、広げるしかない状況になってしまったのだと感じます。

今の自分が毎日毎日、様々な方向の方々にメッセージを届けているうちに、意図もしないフランスのルイヴィトンさんにもお手紙を出そうとしているぐらいですから。本当に不思議でなりません。

40年の時間を経て、植芝盛平先生の一霊四魂三元八力に繋がったことも不思議でなりません。 きっと伏流水の活動に入っていなければ、一生意味さえも深くに落としこんで、自分の活動の為の力には、還元出来なかったのだろうと思います。

スイスの時計メイカーはだから工場が山にあるのでしょうか。
昨日のblogでの、ルイヴィトンの社長の考え方も其処から発想が生まれていると思います。
まるで日本の神社仏閣が百年後に千年後に使える材を、キープして育てる為に山を所有している図式と同じものを感じます。

山の上に作れない工場はきっと、はじめからこの世に生まれてはならない形態の工場なのかも知れません。

では、先ずは食を通して世界を見てらっしゃる、岩村暢子さんと養老孟司さんの対談のお言葉から共に考えて行きたいと思います。

「現代人の日常には実は現実がないのです。そうして私の事が大好きで私に一番関心が高い人達が現れ始めたと感じます。此れは小学校で生活科の授業を受けた世代辺りからです。エコや環境には意識が高いのに、外界や他者への関心が低いのです。」

其処で養老さんいわく、

「自己が政府公認になってしまったんですよ。僕らは米を食べるのだから、田んぼは他者ではなく自分そのものなのに、環境と呼んで自分から切り離してしまいました。だから空気も自分です。海も自分です。山も自分です。其処で自己が切り離されて自分探しが始まったのです。」

此れも、僕は此処に住んで二年過ぎて、伏流水の活動でことごとく失敗して、「狼子供の雨と雪を見ての」blogに書きましたが、やっと自分の中に伏流水や山や熊や様々を発見して、始めて環境ではなくなったのです。 もう自分そのものなのです。
そのおかげで、やっと植芝盛平先生のお言葉を解釈できる自分と出逢えたのです。
其ではじめて見た目ではない、中心や軸を知ることが出来たのです。
本当に不思議でなりません。

「大学生の男子が、東北の震災ボランテイアに行ったのですが、母親に聞いた話では、人に感謝されるボランテイア体験が前からしたかった。テレビで見た映像を実感してみたかったと。とっても不思議な言葉だと思いました。此れはリゾート地で自然体験を求める気持ちと同じです。」

伊豆で初めてやった森林ワークも、其れを凄く感じました。
キャンプ場では、身体性を養うことは先ず無理なのです。
だから新築に近い家を破格な値段で手放してでも、この山形の限界集落に移りました。身体操作法を教えて、生業にしてきて恥ずかしかったのです。
伊豆では、自分が山にはなれなかったのです。
勿論針葉樹だらけで、伏流水が乏しい熱海よりのリゾート地の山ですから、今思えば、自分が水そのものにもなれるはずがなかったのですが、その頃は俄でわかると勘違いをしていました。
そしてやっと自分の中にそして身体に張り付くように、山や水や海を感じられるようになれたのです。

だから本当に最近、得体の知れないと感じていたものが自己だって、やっと一致したのです。
北海道の稚内で生まれ、海の感覚を取り戻したく、親の離婚を期に札幌から稚内に戻り、そうして四十代で伊豆の海でカヤックを初めて、此処で何かが一致したのでしょう。
そして札幌にいた頃に、小学生から大学の登山部にいれさせて貰い、そうして又此処の山での暮らしに行き着いたのです。
此れで又何かが一致したのでしょう。
其処を繋いでいた伏流水の存在が此処に来て二年立ち、環境ではなく自分の中でドンドン大きく育ち、気付いたらこのような活動に命を賭けてしまっていた。
一致した