あらえびすブログ

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名古屋三島クラスの復習その3

ドリームワークスの「カンフーパンダ2」見ましたか。
僕はあの中に出てくる内なる平和という言葉を身体で探して来ました。
昨日空き時間に見た「狼子供の雪と雨」は、その答えに確信を持たせてくれました。
狼の生き方を選ぶ次男の雨と人間として生きる長女の雪は、僕らに必要な意識化と無意識化が
二つ揃って一つなんだと示してくれている気がしました。

僕は身体操作を教える仕事から、無意識化に繋がらなければそれは完成されないものと気づいて行きました。
決して二項目選択による環境運動化ではありません。
確かに其れを合わせる過程での、もがきの道のり上では一致したくても出来ない事で結果二項目対立になったときが多々ありました。

僕の中に二項目対立がある以上、内なる平和は訪れませんでした。
だから不安や正義やetcの二項目対立が自分を支配します。
体で言えば右と左を分けて考えたり、筋肉や骨で身体を紐解こうと考えたりしてしまうのです。

けれども単純ではないから、じゃあ全体で使うんだと思っていても、自分の生活全般から二項目対立を消去しない間は決してたどり着けないと感じることが此処まで自分を突き動かして来たのだと思うのです。内なる欲求が。

昨日のblogにある熱は、股関節の外向き回転と拮抗する下っ腹の引き上げのことですが
強すぎると怒りの感情を作り出します。
その時にソフトにじわじわと蒸発する温度感覚を体が理解すると気と繋がって全体への広がりを生んでくれるのです。
その上昇する気が広げた嗅覚と脛椎の間に入っていくと思考は広がり起きている現象はどのような物も雫のように扱えるのではないだろうかと身体脳が全体脳が理屈ではない確かさを感じるのです。
まさにカンフーパンダの先生のぶつからずに事を流す技にその事が現れていると思うのです。

だから自分は水を知りたく今の地に住み、伏流水の活動も本気で重要なライフワークに取り込みました。
見えない地下に流れる浄化された水の流れが、本当に自分の体と一致感を持てたときに僕は内なる平和という最大の力の存在に触れ始めることがやっと出来はじめた気がするのです。

ですから今回名古屋三島クラスの皆様の身体操作法が飛躍的に向上されたのは、僕の力でもあなた方の理解力でもなく、もっと共通する大いなる部分からしか生まれないパラボラアンテナが同じ周波数の情報を共有出来て僕の中に流れ始めた伏流水が受講者の皆様の体の中にも流れ始めた証し何だと確信させて頂けた貴重な通過点でありました。
決して言葉に酔うのではなく、自然界の感覚の恵みがそうさせたものだと強く信じざるおえないのです。

本当に何時も多岐に渡るお話しから辛抱強くご自分の目的の身体操作に写し取って進めていくレッスンを受けて頂いて感謝です。
皆様が居なければ僕の身体内部の伏流水の動きを呼び水にして、皆様の伏流水を呼ぶことができなかたのです。
同じく枯れた伊豆の伏流水や未だあれだけ豊かな東北伏流水を実感できていなかたならば僕の中にも伏流水の流れが目覚めなかたのだと思うのです。

例えば躍りを通して身体感覚で得た気づきの種子を育てるのは、自然を身に付ける以外に方法はないと信じているのです。

だから本当に自然を体に取り入れて欲しいのです。

イヌイットの鯨漁の老婆のダンスや北アメリカ北方インデイアンのダンスのオリンピックなどはまさに自然を食すのだからその食した命の動きも出来ないはずはないと発展してきたものです。
だから本能で自然と一体であると身に付いて行くのだと僕はかんじています。
そして絶対にそのような表現が全員到達できるものと信じているのです。
それこそがダンスだって思うのです。
踊る場所でもスタイルでもないのだと思います。

内なる平和の位置に内なる自然を取り入れて流動させているそんな人間で日本を一杯にしたいのです。

名古屋ではパラボラアンテナの中心の尻尾の感覚方向を合わせたり、離したり、、グループ分けしたりすることで此処までみている人に遠近間や後方の空間の広がりを見せれることができるという可能性を実感して頂きました。

次回はその中に渦や二又に三又に流れる水を見せれることに挑んで行きましょうね。
その為にも日常に二項目対立の零化を共に目指して下さいませ。
そして身近な生活という花瓶に本物の自然界を当たり前に一輪加えることから始めてください。

僕はこの一輪を東北の限界集落から必ず運び続けて来ますから。


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