あらえびすブログ

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これから先の時代を生きるのに必要なのは「新たな神話」

 

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権力者がつくる歴史ではない本当の歴史が東北にはまだまだ残っている

の続きです。

江戸時代までは湯殿山は、お賽銭が叺(カマス)とよばれるムシロを半分に折って、縫い合わせたような袋で
1日に12~13俵も山から降ろしたほど参拝客に溢れたそうです。

いまのような交通の便がない時代
東北の山の中にこれほどたくさんの人が詣でたというのは驚きです。

「西の伊勢参り」「東の奥の院」をネットで調べると
江戸時代には、西の伊勢参りに対して、東の奥参りと称して、両方をお参りすることが「人生儀礼」の一つとされ全国からの参拝者で賑わいました。
と出てきました。

今みたいにコマーシャルや宣伝広告に乗せられてというのではなく
何か人から人へ、肚から肚へ響くものがあったからこそ
これだけの人が詣でるということをしたのではないかと思いました。

またこのような信仰が、日本人のアイディンティとして根付いていたのかな、と思ったとき
明治の政府が天皇を利用し、天子命令として神仏分離令が出され
それまでのアイデンティを失わされた隙間に
軍国主義にが入りこんできたのかな、と思えました。


今あらえびすで毎朝行っている肚国会で
「レヴィナスと愛の現象学」と並行して
「もの言えぬ時代」と「街場の天皇論」を読んでいて思うことは
再び戦争に向かう世の中に向かっているのは
個人のアイデンティティのなさ
深いところで繋がる何かを失ったためのように思いました。


昨日お話を伺った大日坊瀧水寺の住職さんは、
本当の出羽三山の歴史を知って欲しいと一番に願っているようでした。
そしてお金さえ儲かれば何でも許されるのかということに嘆いていらっしゃいました。

本当の歴史は権力者の思惑も経済効果狙いでもないありのままの姿。

誰かの思惑に影響されない、深い部分にたどり着いたとき
そこには共通のある物語が存在している。

あらえびすでやろうとしているのは
皆の物語を紡いで創る新たな神話。

「これから先の時代を生きる」に必要なものは、
お金でもなく何かの技術でもなく 新たな神話。

人は神話を失ったとき、心が彷徨い、
彷徨っているからこそ、権力や他者の意見に流されてしまうのだと思うのです。

そうならないための
肚で繋がる肚国会

自分の中に深く降りてくため
表層だけに捉われず
感情に左右されず
物事の奥に隠れているものを読み解けるようになるための学びを
毎朝行っています。

誰でも参加可能です。
毎朝5時から行っていますが
登録された方は後から視聴が可能です。
アーカイブも観ることができます。


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