あらえびすブログ

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災間の思考 障害者と溜めのある空間

昨日は、災間の思考の転載の続き、投稿できなかったので、今日が災間の思考の3になります。

これからのネオ縄文コミュニティネットワークを創るには、里山の意識の変わり形が間に合うか否かを握ります。

そんな折りに、よそ者である僕が区長に、任命されました。

これも、天のハカライ。

星に願いをとは言いますが、僕の活動は皆様の意識が、変わってこそ実現致します。

遠隔により僕からの願いが、シリウスである銀河の中心に、月、太陽を通じて届き、シリウスから又々太陽、月を往路して皆様に届くと感じております。

今回の区長さんの話やハイブリッドウルフ足長おじさん基金なども、人から人ではなく、人からシリウスシリウスから人に動物に願いが行き渡るのではないでしょうか。

なんか現在の人類には、神話的な月神様や太陽神様など、ツイツイ頭のスピリチュアルになりがちですが、もっともっとその伝達は地球内部だけの狭い意識の繋がりではないと、太古の人々は知っていたはず。

だから、災害でも一方向からの被害者ではなく、災害的なモノとも、ヨイトリ(持ちつ持たれつ)の関係を感じていた。

オテントウ様が見ているとかオテントウ様に申し訳ないなどは、まさしく星々もしっかり命の連鎖の一部になって感じていた。

今日の災間の思考の「障害者と溜め」は、障害者を未来の自分に置き換え、今の社会システム上の弱者を先人として捉える、縄文思考に繋がります。

そうなると、始めて全体脳が育つ。

他者が我事になる。

そして、ネオ縄文コミュニティの重要な、プロデューサーに障害者やご老人がなる。

今回まさに、僕は区長に任命され、始めての公共の補助金をあてにしない、株式会社入り部落を目指すのですが、この里山に張り付いて来た先人の様々な意見が、重要なプロデューサーとして機能し、僕はネオ縄文ゼネラルマネージメントしていく、結果自然界の崩壊や過疎化に全く違う視点で待ったをかける雛型になり得ます。

当然、公共は資金難と短絡的な懐マネー優先になり、全ての弱シャ即ち人だけではなく、お荷物は全て捨て去るしか、今の裏アメリカロスチャイルドにパシりに使われている、田布施政治家が作り出す社会には、脳がない。

使わなくなる公共投資に、震災さえも利用する。

防波壁も、人が逆らう限り、更に更にと人類に目覚めを与えるかのように、メガに向かうのでしょう。

社会が放るモンにこそ価値を見いだすには、アートな創造性しかない。

新たなツールは要らない。

パズルの組み合わせを替えて、新しい絵を描くか否かです。



では、災間の思考ふへ。

溜めがない空間は、特に災害時においては、標準とみなされない弱い層を困難に陥れる。

NHKの調査によると、東日本大震災では、身体障害者の死亡率は、健常者の二倍に達していた。

日本障害フォーラム幹事会議長の藤井克徳は、このような死亡率の高さは、平時の社会が行う障害者への処遇をはんえしているという。

例えば、女川町では、聴覚障害者の死亡率は、実に22.5%に上がったが、津波のサイレンは音声てもたらせる以上、逃げ遅れるリスクは高い。

同様に、聴覚障害者も知的障害者も一人で避難することは困難である。

障害者の困難は避難所に入ってからも続いた。

例えば、石巻市から避難したある視角障害者は、避難所のトイレの使用が著しく困難であったという。

視角障害者にとって、バケツの水を用いる簡易トイレを始め、多様な形態の非常用トイレへの対応は極めて難しい。

これは身体障害者でも同様である。

また避難所では多くの情報が張り紙で示されるため、視角障害者は、無口な人と思われたまま、体温の悪化を伝えることも出来ないまま、亡くなったという。

バリアは何の害意もなく、至る所にある。

ある小学校に避難した身体障害を持つ女の子は、炊き出しの食事を食べられなかった。

その理由はあっけないほどだ。

体育館の通路に敷いてあるスノコが車イスで超えられなかったのである。

このように健常者を標準にして設計された障害に充ちた環境自体が、ある人々を、障害者として浮かび上がらせる。

このような「溜め」のない避難所は、避難の機能を持ち得ない。

このような問題は無数にあった。

だが人は言うかもしれない。

この思考が導く対案は次の二つである。

1つ目は、障害者は、困難に陥ったら声をあげて助けを求めるべきだとするもの。

つまり「絆」と呼ばれる何かに期待するものである。

2つ目は、特別なニーズに集中的に対応できる施設を作り、障害者にはそこに避難したほうが効率がいいと言うもの。

だがその二点は、いずれも不十分と考える。

1点目について。

確かに、困った時には遠慮なく助けを求められ、周囲は進んでそれに応えるという社会関係は望ましいと言える。

だが、生命を援助者の善意に委ねるという状況は、相手の意思次第で排除されるリスクとも表裏一体である。

障害に充ちた環境では、特別なニーズのある人は、生きる上で絶えず人の善意を必要とせざるを得ない。

だが災害時は、頼るべき周囲の人々も、疲労、不安、怒り、悲しみの極限状態にある。

その社会関係における「溜め」は少なくなりがちである。

例えば、石巻市で被災した、精神障害を持つ息子とその母親は、夜中に騒ぎを起こしたということで避難所を追い出され、支援団体に発見されるまで、電気も水道も復旧していない半壊の家で過ごしていた。

(東出捕捉 今では子育てさえも騒音扱い。それを人の善意に期待するには、余りに今の特に都市化した場では難しい。ならば、もう子育て中は子供も子供として生きやすい、里山に移れば良い。
そして子育てしながら出来る仕事をアートな創造性で作り出せば良い。希望者が揃えば、田舎こそ可能なオルタナティブな学校を作れば良い。取り壊し予定のまだまだ新品の校舎が統廃合でドンドン壊しているのだから。そんな一時期参勤交代で、過疎化の里山が生き返るのだから、税金助成や子育て時里山支援移住助成金を作ればよいだけ。だから今はチャンスなんですよ。囲いを作って更なる囲いだけが儲かる国家というモノは、本当に近代です。日本人が米食も国の形として作り出されたモノ。だから騙されちゃいけないよ。ヤマト朝廷なる似非日本が日本列島を乗っ取る時に作られた似非常識なんだから)

同じく石巻市で、障害者の自立生活グループホームのメンバーは、避難所で他の被災者との軋轢の果てに、結局避難所から出ることになった。

このケースでは市が配慮して、別の避難所をつくったが、地域での自立生活という理念の、否定も意味した。

このような中では助けを求めるどころか、障害を持つことすら表明しにくくなる。

避難所で、自分が視角障害者であることを隠していた人も多かった。

溜めが極小化した極限状態は、災害ユートビアを生む一方で、普段隠蔽していた差別が顕在化することもある。

どちらが顕在するか一意的に確定できない。

だが、バリアだらけの環境 それはアーキテクチャー自体に排除が埋め込まれている事を意味する が「絆」や「ユートビア」の土壌になるとは思えない。

2点目については既に存在している。

障害者や高齢者向けの福祉避難所である。

今回もその役割が期待されていた。

だが多くの課題が浮上したことも確かである。

まず数が少ない。

2009年時点で、福祉避難所を指定している市町村は23.8%しかなかった。

東北地方は軒並み全国平均を下回り、宮城県こそ30.6%だが、岩手県が5.7%福島県が6.8%である。

発展後、事後的に福祉避難所になった施設や宿泊所もあったが、被災障害者の、なかには福祉避難所の存在も知らない人も多く、遠方のため移動出来ないケースや、重度障害者が様々な避難先を転々とせざるを得ないケースがあった。

また高齢者が主要な対象として想定されているため、身体介護が中心で、聴覚視角障害の専門家がおらず、結局一般の避難所と大差がなかったという報告もある。

その一方で、福祉作業所としての開設した福祉施設に近隣の住民を、受け入れることもあった。

勿論、福祉避難所が無意味だったわけではない。

後背地の温泉宿泊施設が福祉避難所として認定を受け、高齢者がストレスに充ちた避難生活から一時的に解放されるといった効用もあった。

ただが、一般避難所に障害者高齢者が入り、福祉避難所に健常者が入るなど、両者の境界は融解している部分も多かった。

逆に阪神淡路大震災の時は、高齢者や障害者を既存の人間関係から切り離して仮設住宅に優先的に入居させたため、孤独死の原因になった。

これを考えると、分離が必ずしも望ましいとななは限らない。

特に今後、更なる高齢化が進む日本では、難聴や弱視認知症という症状を持つ人も多くなるが、障害者健常者という境界を堅く保持して環境設計することは、あまり意味を持たなくなるのではないだろうか。

高齢化率の高い今回の被災地はその状況を予示する。

これを前提にするならば、平時から公共空間や非常時の仮設トイレなどを、予め極力障害者にも開かれた環境にしておくことは、十分な合理性がある。

生活環境のユニバーサル化は、今後の復興まちづくりの中心に捉えるべき理念である。

現状の仮設住宅は、障害者向けの対応がほとんど取られていない。

それはそのまま高齢者にとっての困難ともリンクしている。

例えば2011年の秋までほとんどの仮設住宅の通路に砂利が敷き詰められていたが、それは身体障害者だけでなく、高齢者の歩行をも困難にしていたし、子供たちの遊ぶ環境も奪っていた。

建築や地域環境にはいかなる社会が望ましいかという事に関する理念が埋め込まれる。

放射能に苦しむ福島でも重要である。

日本障害フォーラム被災地障害者支援センターふくしま事務局長の和田庄司によると、実は障害を持つ人の中には、避難したくても福島に留まっているケースが多いという。

避難までに超えるべき障害が健常者以上に多いからだ。

そもそも、視覚障害者や知的障害者原発の賠償請求の書類を読むことが出来ないし、聴覚障害者は問合せの電話も出来ない。

障害を持つ人が自らの責任で対応を、迫られている。

その存在が端的に不可視化されているのだ。

これは単に東京電力を批判して済む問題ではない。

原発運動の集会でも、聴覚障害者用の文字通訳や手話通訳が付いていないケースがしばしば見られる。

このような環境の中で、現在、日本障害フォーラムなどの当事者団体は、障害を持った人々への、支援を急いでいるが、被災によって障害者の所在が分からなくなったケースが多い。

行政も十分に把握できていなかっり、個人情報ということで避難情報を、出さないケースが多く、結果として支援が困難になっている。

とはいえ、運動、支援団体による地道な働きかけの中で、状況は少しずつ変わりつつある。

障害者の所在情報については自治体の中にも理解を、示すところが出てきた。

また、聴覚障害者の当事者、支援団体のネットワークである東日本大震災聴覚障害者救援中央本部は、NHKに字幕や手話通訳を付ける要望を出し、各自治体にも手話通訳、相談員の設置を求めてきた。

交渉の積み重ねの中で、内閣府における官邸会見に手話通訳が付くなど、少しずつ社会に「溜め」が生み出されている。

次の災害の到来前に、少しでもユニバーサルな環境を実装していかないとならない。

特に、地震後五分間で津波が到達すると予想される東海沿岸などは、いかに命を守り安全な避難生活を送れるか、障害者、高齢者、子供に基準を置いて考える必要がある。



明日は3,11とNPO、ボランティアについてですが、こちらも長いので、二日に分けます。