今日は大阪で感動塾さんでの、僕の講演会です。
今ギリギリ守り次へ繋げれるか否かの、命の水。
その、大きな節目が今日からです。
長いプロローグに終わりを告げて、いよいよ第一章に入るか否か。
今全く広報に出なくても、毎月二十以上は新規サポーターさんの入会応募が来ます。
一生懸命、広報に出掛け出掛ける度に40程の新規入会サポーター希望の、志がある方々と出逢わせて頂いて、千名サポーターさんに届きましたが、今まさにイスラム国の人質問題が突きつける根本の人類の生きざま変更切り替えポイントの世論に仕上げる為には、なんとしても一万人の賛同響命が重要になりましたし、まさにこの一年この魂の記憶を呼び戻す水は、見事にサポーターさんを進化させて様々な活動の幅を広げ、その中から次への一歩を自らの意思で進むバイオニアが生まれだしました。
これは何故か、大阪神戸から起き出しました。
そして、あらえびすでは、次への響命の場としての六十名限定のoh!!里プロジェクトもついに21口になりだしました。
そして次への市場から切り離した、ウルフパトロールが創り出す味噌プロジェクト、「大神魅素からの便り」は新しいサポーター希望者が開始前に参加表明が出始め、まさに幾何学で連鎖が始まり出しました。
いよいよ自然界と同じ連鎖調和が始まりました。
その一日目が今日でしたが、今日から新しい一ページが始まる、プロローグの終わりであり第一章の始まりの予感は、クローラー付きATVで毎日のように黒伏山に入れるようになった事で、毎回の採水時に動物の異動の変化や、雪での倒木の種類や場所からどんな場が弱い命を育てるか、そして今どんな味覚の雪が山を包んでるかで、より今後の山の行方を見定める事が出来るようになりました。
そして来た、動物の本能に影響を与える事で、野生の動物のバランスによりお山の野生のバランスを取り戻すウルフパトロールに我々が踏み入れた事が、第一章の扉を開けました。
ドンドン縄文の見知らぬ扉を開け始めていると、不思議にその僕らが採水する水に縄文の扉を開いた僕らの情報が見事に伝わり、まさに飲むことで体内の水が入れ替わり、生き生きと見知らぬ扉を開き入り耕す自分が現れたサポーター出しました。
そして生きた水は、頭デッカチの我々を考えるよりも行動。
行動の中から出るアイディアを即座に実践という、今のテニスやサッカーの世界レベルのように、ギリギリで出るアイディアとそれを実行に移すメンタルの強さしかトップレベルでの勝利は生まれない世界を垣間見る事が、出来るようになって来たのも様々な情報で観戦出来る世界になりだしました。
自らがパイオニアな生き方をされてる方は、見ていても自分事に直ぐに置き換えるので、観戦では終わりません。
もうアートな創造は、実践に移り始まりました。
すはらしい絵を描く、素晴らしい音楽を奏でる、素晴らしい土壇場のアイディアで勝利を掴むアスリート、素晴らしいアイディアで今あるモノで新しい料理を生み出す等は、間違いなく生活面でも隙がなく遊び好きです。
閃いたアイディアを、もてなしに使う。
いつも、人をワクワクさせたい、それが自分がワクワクする。
この基本が、縄文への大事なツール。
アートな生き方の生活面でのだった実践で磨きに磨く。
これがあれば、ワザワザ踊る場を創り出す歌う場を創り出すは、その後だとわかる。
ジャア生活を思いっきりアートに摩る住まいや場が大衆に等しく与えられているか?
アーティストやスポーツアーティストは、初めは小さな場で満足するが、必ずデカイ場で自分を試したくなる。
それが最大になると地球全てだ。
そんな、自分になったら賃貸のアパートやマンションで満足するか?
ノーでしょ。
小さな庭やコンテナでのガーデニング、いずれはアラスカの大自然を知りたくなる。
しかしインディアンのように七代先までを観て、アーティストとして自然に関わりやっと七代先で完成させられる大画用紙。
先ずは、僕らで言えば隈無く黒伏山を知るだけで既に時間が足りない。
まるで死ぬ間際に最愛のターゲットを知ったかのように。
だから、せめて生きてるうちに少しでも多くの、自分が様々な恩恵を頂いてやっと命が繋がる、根本に沢山出逢いたい。
今の僕らには今生で、ある程度描ける最大値が黒伏山含む御所山ワールドだ。
だから、アシリレラさんの一万年前の伏流水を世に出す時は、やはり北海道丸ごと描ける自分でなくては無理だろう。
僕の故郷北海道は、まさにそうやって内地を追い出された民と、アイヌの先住民が開いた汗と涙の大地だ。
そこで生きて来たアイヌ犬の魂を持つレラさんが、僕を見極めた始めての出逢いが、樺太犬の魂を呼び戻した。
そしてやっとアィディアを描けるようなりレラさんに再会するには、僕がレラさんに逢った瞬間に、樺太犬からウルフに温故知新で成長進化した自分である必要がある。
即ち温故知新は、過去に学び始めて未来を創れるとの事だ。
更なる魂の記憶の温故知新に出逢い未来を拓くには間違いなく必須な一万年前の伏流水は、誰にも必要だか道を通らずに自我の満足で得たい輩にはてに入らない仕組みが必要だろう。
散々先住民を潰した、我々の中に住む弥生人類の自分が、詫びをいれなくてはならない。
ウルフの眼差しは、深くて優しい。
犬のように、人をみない。
ウルフは人を見てるようで間違いなく、我々の肉体と魂の解離を観ている。
いつもすかさずに。
まるでインディアンの大長老だ。
すぐそばの過去即ち、二代レベルの過去では、近い未来しか結果作れない、それが弥生人類だった。
だから、更なる過去から未来を歩き出す。
それが新しいエミシとしての生き方。
あらえびす=新夷だ。