あらえびすブログ

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冬場八回目の黒伏山は、すっかり春の気配で充満されていました。

ではまずは、生きてる水の生きてるとは何か。

とっても分かりやすい解答が宮嶋さんから出てきた。

宮嶋さんの場合、チーズ作りですが、チーズは勿論発酵食品であり、鉄文化のマイナスを補うことでメソポタミアの頃から食されていた。

さて、発酵食品をつくる微生物は、エネルギーが循環する場をつくることでその働きが活性化される。

発酵筋が元気になると、拮抗作用で腐敗菌の増殖を抑える。

人間の腸内と同じで、《生きている場》では共生関係を持つ有効菌が優先に働き、腐敗菌の増殖を抑える。

《生きている場》とは、物理的にいえば、マイナス電子が集積・循環している場である。

そして炭素埋設をすることでそのマイナス電子が供給される。


良い水を創るには三つの条件があります。

その三つの条件が健全な山とも言えます。

三つとは、水が湧き出る上には殆どが広葉樹である事が重要で最高部に行くに連れブナがあること、水の情報をZERO化する長い間の高地でのクラスタ化した雪が重要でありますから寒い地域であること、その上には雪さえも積もらない切り立った巨大な常磁力性の岩があることで遠赤外線効果を生み出す、此れが完璧に揃って生きた水が再生される。

雨では死んでいるのです。

それがまるで輪廻天生するようにして、山で生き返るのです。

そして、焦らずゆっくりと生きる力を蓄える、此れが棚田の役割でした。

そうすると海での生命力が違い、プランクトンの育成がまるっきり違うのです。

そしてアートテン化したお山は更に生命力を増しています。

アートテン化をも含む四つの条件で、マイナス電子が集積循環され、広葉樹の寿命を全うした事で唯一出来る土がこれを供給させるのです。

どれ程化学が進歩しても、これほどの巨大な浄水後にはエネルギーを再生する機械は人には創れません。

人は土と共に生きる意外に方法はない。

宮崎駿さんの天空のラピュタは、まさにその事です。



そして電子の供給だけなら機械で出来るが、上手に回すことは結構難しい。

水の流れる音を、人工的に創ることは不可能である。

それほどに同じ流れや回転はなく、それが合わさって素晴らしい音をつくりだす。

速く回りすぎると、躁状態になり、此れが鬱を呼び、結果病気や死を招くのです。

自分の体は、畑ですからそこで生命が育つには、自分を整える事がまず大事です。

生きた水を創るお山に、神社仏閣を建ててきましたが、それは今では神社仏閣だけが残ってしまい、そもそもの生きた水を創り出すお山は崩壊して、そのエネルギーがそこには存在していない場が殆どです。

もしも調子が優れないのなら、病院の前に健全なお山を感じて下さい。

あなたの不調はあなたの住環境の影響が九割を閉めている。

そこから一歩踏み出すか否かは、あなた次第。

けれども、生命エネルギーを損なわない環境が、僕らの発想と行動力と踏み出す勇気で作れるのなら、もう創るしかない。

ワクチンも薬も添加物も遺伝子組み換えもetc殆ど必要悪として存在させているが、必要悪が、依存しあって経済を回しているので、一度全てが必要ないとのもとで、誰もが訪れられる雛形があるならば、人はこの家畜化政策から踏み出せます、

そこは宮嶋さん曰く、
自然が刻むリズムが回っている場です。
自然が刻むリズムには、緩急強弱というリズムが必要になります。
そのリズムのなかでこそ生命は完全な働きをするのです。
生物の一員たる人間は、自然の周期に従って生活するときに初めてエネルギーが適切に流れるように出来ている。
自然のリズムを刻んでいるのは、先ずは太陽である。
人は文字通りお天道様のもとで生きている。
このリズムを正しく受け止められない時に炭の出番がある。
というのも、炭は太陽エネルギーを吸収して、それを遠赤外線に変えて放射する働きを持つ。遠赤外線は、身体の奥から細胞を温めて血行良くして新陳代謝を活発にする。
炭素埋設は、太陽エネルギーを如何に取り込むかが一つの鍵となる。
生命と健康を考えるとき自然との協調は基本原則となる。
炭素埋設はその原則にのとった技法の一つである。


この宮嶋さんの言葉には、お山の仕組みと同じものがある。

だから日本の健全な水源地に出入り自由なコミューンを作れば、例えば妊娠したらそこに入れるシステムを作れば、不妊治療なども見てる観点が違うことに、気づける。

ましてや今の都市構造で子供が生命を育むことは無理難題である。

それが殆どが親の経済優先からの脱却が出来ない故に、そこで暮らさせている。

ならば、母子は子育て中健全なエネルギーが回転する場にいるべきである。

そうなると、子供も学ぶ間は健全なエネルギーが回転する場にいるべきである。

そしてそれには大人が気づくしかない。

だから、伏流水からコミューンを作成して、生活の中で心で感じる神社仏閣を心のなかにこそ持つべきではないだろうか。

もう神社仏閣という、モニュメントは必要ない。

けれども本質である、山上さまを感じる健全なエネルギーが回転するお山は、何としても次世代に手渡さなくてはならないであろう。



さて、そんな中でこの表層雪崩が創るアートをお見せしたい。


そして春間近で沢山の野生の足跡。


そしてそのようなエネルギーに運ばれて、僕は山からお水を運んで来た。