僕の絵本がいよいよ出版に向かっています。
以前この活動を絵本にしようと、書いていたものが全く違う方のイラストで、出版されます。
手汲みに行き着いたこと、イノベーションのこと、今の僕らが如何に自然界に対して信用しなっくなってしまったかって言うこと、そこ即ち家畜化教育を受けてしまっているか等々、今の僕がこの活動でどうにか500人のサポーターに至るまでに気づいてきた様々も絵本のあとにエッセイにして、載せてみたいと思っています。
例えばひとつの例でのこのモデルケース。
おばあちゃんが、この生きた水を子供や孫に飲ませたく会員になられました。
しかし、偶々箱の底にひくダンボールの新聞紙の間に、手入れされていない杉によってエラク出没している亀虫の乾燥した死骸が入っていたそうです。
水のボトルではなく、ダンボールに。
其が直ぐにこの水は不潔で飲めないと、子供さんもお孫さんも反応。
ヨークある話し。
この活動では始めての、どうぞ遠慮なく返品してくださいの一例。
もう一件あった返品は逆のパターン。
ポリカポネートもトライタンも受け付けない方。
ガラス瓶でもダメ。
後は竹に入れるしかないほどの、有害物質過敏症。
此方も、僕らは売っている死んでる水よりは遥かに良い、この水を何故商品にもしないで、ここまで頑張ってきたかに繋がる一例で、此方もどうぞ遠慮なく返品なさって下さいでした。
人それぞれにに、価値観も衛生観念も違うのですから、それに食い込んで意識改革を推し進める気は毛頭ないのです。
其は押し付けになるし、結果対立を生む。
僕がなし得たいことは、モット先にある。
小さな変化できないサナギを説得するとき、大体自分でも気づかない自我になってしまうもの。
結果自分が正解だに繋がる。
僕は都会も好きだし田舎も好きだけれども、家畜化され飼い慣らされた都会や田舎は、自分では生きる場所に設定できない。
だから、ここにいても、狭い価値観にがんじがらめの里山住人は、付かず離れずのスタンスでいる。
そこには嫉妬が蠢いている。
面倒なほどの嫉妬が、たかだかひとつの部落でどん詰まり、中間部、街よりと全部タイプが違う。
同じく都市部で、飼い慣らされた人種も今の僕には、そこにとどまって意識改革の熱弁を奮っている余裕はない。
教育者で出来ない事を、僕などに出来るはずもない。
けれどもね!
これって全部過去の自分が、いた位置なんです。
自然界の懐の深さや、自然界が与えるモノ其をそのまま頂けるワイルドに、自分がどうにかなったのは、本当にズット後でしたから。
綺麗がまるっきり逆でした。
大根やゴボウについてる土を汚いモノにおくか、この土が栄養の原点でこの土こそが美しいモノ
と捉えるかです。
昔は夜の森の闇が怖いと感じていた。
今では、森は夜にこそ、生きている。
まるで映画アバターの主役のように、自分が大きく価値を転換されていった。
だから、そのような方を否定も肯定もしない。
同じく、否定肯定で成り立つ、社会や政治のスタイルにも魅力を感じない。
政治や社会に問題があるのではなく、根本の僕らがネジ曲がっている自分に気づけない。
山を登り、ここから上には人の暮らしがゼロな場に、トクトクと涌き出る水を汚いと飲めない人間は、一体何処に住むのですかと言いたくなるのです。
地球に住みながら、地球を信頼できない。
モットモット地球は太っ腹ですよ。
人知なんて、敵わないほどの懐の深さ。
此れを取り戻したら、一気に社会も政治も経済も変わる。
何も神を語らなくて良いはず。
リンゴが地球だとしたら、僕らはその全体に所属するアミノ酸でしかない。
そのアミノ酸が地球は汚いから、ラ・フランスに居場所を変えようとか、リンゴの一部に人知で作った棺桶のシェルターを用意しようとかはしない。
だから、響命する場を創らないと、本当に危うい。
桝添になってことで、確実に戦争屋は加速する。
そもそも相も変わらず、開票ゼロで当確。
この国
可笑しいよ。
まだタイのように国民が騒ぐ方がましです。
飼い慣らされたこの今を脱出するのは、先ずは羊から。
即ち民が野生に目覚める。
日本が三菱等の旧戦争屋のもとで、戦争に突入しないようにしながら、其は自然界を王に捉え直し、自然界共に生きようと自ら決める人間達の輪です。
此れが響命であり、覚命なのです。
その為に新たなタイプのNPOに変わっていきます。
そのために国家から補助金を貰わず、国家という仕組みを直ぐにはなくせないのだから、其を家畜化から出た野生の民が支える逆に国家に補助金を出せる仕組みです。
其が可能になったときに、認めてもらう並列化での独立ではなく、国から出てしまいながら、国を守る構図の現実化です。
これこそが環境危機管理であり、民間危機管理だと思います。
これも環境危機管理のミーテイングに参加して、よーく見えてきたことです。
棺桶のようなシェルターに入って、一時期核から逃れれたとして、そのようなシェルターエコノミー症候群生活、其が誰に出来るのでしょうか。
民間が戦争を道具に思考をしている以上、其は家畜化のど真ん中にいることになる。
だから皆さんで、柵の外に出る方法をこの三年で何として創らなくてはならないと、動いているのです。
経済が発展する以外に、成長がないとの認識が根底から違う。
そこから出ないと戦争をやめれない。
さあ北陸への道が出来ます。
もういつ東京を壊しても大丈夫という、支配者の計画です。
桝添が直下型地震を取り上げているのは、ひとつの自作自演で富士山噴火も直下型も起こせるから。
もう、自分で決めて自然界に寄り添う生き方を共に始めませんか。
自然界という神は、多くも与えないけれども、十分生きるだけのモノを与えてくれる。
新採取狩猟とは、どのようなモノか創造する力が必要です。
其はひたすら、パイオニアですから、実験あるのみ。
その実験場が、買おうとしているスキー場なのです。
イノベーターになりましょう。
東京の、蝦夷の血を持つ、アテルイの魂を引き継ぐ民が立ち上がるときです。
一千二百万の都市部の人口のうち、十万が立ち上がれば、可能性が出てきます。
実は東京が一番、国から独立できたのです。
けれども見事に首都圏は戦争屋に乗っ取られたのです。
ですから、その真実の先の可能性に、移行しましょう。
もう有権者ではないのですから。
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