さて、大成功した、ニューギニアのお話
よく、一つの例にしますが、富士山柿田川の湧き水の年齢のお話を。
二十年前150年前の湧き水だったものが、今では15年前。
此れが何を意味するか、今涌き出ていても、突然ある日枯れるか、湧き水が年数を経過しないで、殆ど直に大気中の水が地下の水路を通って流れ着くので、死んだ水になり、鰻などの養殖に向かない水になると言う事です。
枯れてから慌てても、人類の永続に関わる水が、完全にほしあがって来ている証拠。
僕らが、本気で目覚め、生きた水を飲むことで守るシステムをつくらないと、日本は山頂から海までの距離が短いので、世界では類を例がない、突然の如く干ばつが起きる実はとても弱い地形であることに、見た目森林が豊かで水が今現在あっても、水面下では、緊急な状況であるのです。
僕のこの活動は、その崩壊と啓蒙活動で気づける人を増やして一つのイノベーションのモデルに出来るかの、競争になり始めています。
来年枯れる場所が顕著に出始めるでしょう。
それは、台風の土砂災害でみえはじめる。
地下にある水路が枯れた証拠。
さてニューギニアの話です。
この会社は、電子メールで環境問題を会社の最優先問題として、月例で全従業員に報告が行くシステムです。
石油採掘と供給の為に大型タンクローリーが通る道を作らずに、現地にはヘリコプターを使用し、舗装道路を作らないのです。
又、本当の意味でのボトムアップ民主化が起きている、ニューギニアでは企業優先に、熱帯雨林に住まわれる住民が目を光らせ、それと真剣に関係を企業が持つことで、良好な相互関係を一番重視してきた。
日本の偽民主国家に依存している、家畜化されていることにも気づかない我々とは、大きく違うのである。
その側にある、インドネシア、サラワチ油田では石油会社の業務態度に対する関心が薄く、期待するものもちいさいが、このシェバロン社のブルタミナ油田でのニューギニアの民主体制と大きく違い、利権大好きの軍事独裁国家で、住民には阻止する自由を持たされていない。
そしてインドネシア政府は最も人口の多いジャワ島出身者で占められており、ニューギニア島を単なる収入源として、又は余剰人口の職の受け入れ先としてしか見ていないのである。
偽民主国家日本の、地方政策も職優先でのビジョンしかもてずに、未だに地方に大きな里山資本主義が実践出来ていない。
その間にジワジワと、日本の一番の国家戦略上の資源にも今後なりうる、地下水が枯渇してきているのである。
水源地の川上に、コンクリートで堰など作った時から、水は枯れ始める。
人が沢山山頂部に入る、世界遺産等愚の骨頂である。
オリンピック同様に、富士山近辺の住人が世界遺産を喜んでいる話など、地元の自然界をある程度知っている方々から聞いた試しがない。
登っては、水を枯らす。
だから、今どうにかギリギリ健在な日本の地下水は、名も知れない山であり険しい岩を山頂部に持ち、そうそう人が安易に入れない山の七合目以上から吹き出す、伏流水しかないのである。
観光地化したときから、山は枯れる。
だから、遠くから眺めるもの。
唯一入れるのはそこで炭焼きや猟をしていた民で、バランスが取れる。
完全な野生林は日本には存在していない。
だから、必要最低人数で、手入れする人だけが入れる事で、永続的にお山の恩恵が永代的に人類にももたらされ、野性動物にももたらされ、共存が実現する。
野生動物にもお山を維持していく重要な仕事がある。
此れを充分マタギは理解していた。
炭焼きも。
それでなくては、永続的に自分の食いぶちを維持できないからである。
此れに企業や国が関わると、効率を最優先する。
なんの効率か?
勿論マネー資本グローバル主義である。
アメリカのように借金のかたに、五大湖の一個分の水を差し出してしまうことなど、国のレベルさえも、行ってはならない。
シェバロン社のクップ油田の事業は、ドンドン厳しくなる政府の環境基準を先取りすることの経済的な意味合いでの効果も例証するものである。
世界の方向として、各国政府は年々、企業に厳しい環境対策を求めるようになってきている。
環境への配慮等期待できない開発途上国でさえ、締め付けが厳しくなってきた。
沖にもう一本油井を掘ろうとしたら、バーレン政府が初めて、作業中の環境監視処置、掘った後の環境アセスメント、鵜の繁殖地やジュゴンへの影響緩和等の、環境保全計画書の提出を求めてきた。
石油会社は、高かくなる一方の政府の基準に合わせて後から設備を改善するよりも、最初から先進的な浄化能力を持った施設をつくるほうが遥かに安上がりであることを学んだ。
シェバロンの環境保護姿勢は、他の契約時に有利に働くようになってもいる。
(僕がまさにサポーターと作ろうとしているのは、このモデルである。その為には自分の水汲み作業に一番目を光らせている。それが一つのモデルを創造して行くからである。)
会社の姿勢に着目しているのは大衆や政府や地主ばかりではない。
従業員も目を光らせている。
シェバロン社の従業は、自分達の労働意欲と環境観は、社の先進的な環境対策の産物であると同時に、そもそもそういう対策を採用するに至らしめた推進力の基軸なっていると、自らを認識しているのである。
僕は此れをサポーター全てと行い、新しい日本人大衆を生み出し、この自然界と共に生きれる大衆観を世界に発信したい。
又此れが、日本の国力になり、大国にも脅かされない、新しい小国の生き方を発信出来ると信じているのです。
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