名古屋から帰った朝は、雲海の山形。いよいよ冬本番の兆し。
地球と共鳴するには、神経を研ぎ澄まさなくては、響命等にはほど遠い。
今回名古屋でのZEROか個人レッスンは、神経を完全に把握するワーク。
五感と第六感を、神経に繋ぐ。
その神経が、地球の意識と繋がると、僕らの無意識にスイッチが入り、95%の無意識が先に働く。
その時、5%のウンチクや予定調和しか知らない脳は、スイッチが入っているまま、ポーズモードに入る。
此れが無になるに入れる、唯一の方法であり、それがチベット密教の本格的な瞑想に入っている。
瞑想をしながら、意識でわかる自分の内部の筋肉や骨を、意識から外し血管うを全て感じとれまで見つめる。
最後はその菅も外し、神経のシナプスのみの体の意識まで繋げていく。
此れを日本では所作として、無意識を意識化してきた。
無になるには、無意識を先導させて、意識を休ませる。
その時意識はまるで、経験値の集合体として、百科事典や広辞苑になる。
たまに見ればよいが、あると安心。
この広辞苑や百科事典のままに、命の場をつくってしまった。
その弊害が、教育にも精神疾患にも犯罪にも国や世界の動向にも全てに現れ、さて何処に向かえば良いのとなっている。
今さら、チベット密教に入信しても、自然界が人類変化を待てなくなって気だした。
子供をより、自然に育てたいとか、自然に振る舞いたいとか、自然に癒されてと5%の脳は喋っても、5%の脳が自然ではないのだから、厄介な結末になる。
95%の神経と六個目のの感覚器官第六感を先に繋げば、五感は無意識の中から使えそうな、ツールを見つけ出す。
しかし、僕らの今の構造は、五感と意識が繋がってしまっている。
大病したり、事故にあったり、死ぬほどの経験をしたときに、偶然たどり着ける事があるけれども、それでは開眼待ちで、困窮した状態を自ら打破しようとする自然界のスピードに、僕らは取り残され最後は自分の首を絞めるだけ。
まさに3釻11はそこにあり、いつか必ず来る日本中の待機中の天変地異は、又々僕らの転換できない様々で、僕らが自ら誘発している。
例え陰謀的に人工地震を起こしたとしても、必ずイデオロギーのタシャが必ず存在する。
此れは大平洋戦争の時のように、精神論でも経済論でもスピリチュアル論でも政治論でも、越えれない。
何故なら、始まりが5%の脳を使うところから始まっているから。
95%から生きるを始めるには、神経と第六感を繋ぐ訓練が必要である。
まさに本物の職人についての修行。
先人は決して教えてくれない。
見て覚えろという。
一見関係のない床の拭き掃除、師匠の背中流しなどをやらされるが、この日常の所作で身についたモノしか、専門分野では役にたてられないのである。
何故なら職人的な作業は、専門の知識からでは、基本が身につかないからである。
だから、衣食住を共にしなくては、身に付かない。
この基本は、2バイ4の建築では、決して身に付かないし、5%の脳を更に先に使うように鍛えてしまう。
化学調味料もしかり。
僕が水の活動から入ったのも、ウエシバ先生が仰るように、動きは水が作るからである。
常に流れ続けているが、同じ水は何処にもない。
モノに走ると、変わらない事から思考を始める。
今のぼくの血は殆どが伏流水になってしまったから、停まっていることを、永続的に価値が継承されることが一番、気が食わなくなってしまった。
変化し続ける動きに乗る。
だから、前時代の価値観で暮らすことが出来ない。
まさに結婚は、今そこが問われている。
結婚はお互いの職人から、繋がりを見つける神経の行き届き合いである。
即ち究極の合気道である。
夫婦で、背中を流し合う。
発見し合う。
そこに、愛が生まれる。
それも体内の水で関知して、その情報を神経に伝える。
今急速に世の中は二分化して、左右上下に大きく別れ始めている。
5%の脳はドンドン守る方に必死だ。
95%の神経からの肚脳は、ドンドンオープンになろと、脱ぎ始めた。
結局社会の現象は、自分の脳内意識と無意識の二極化であり、中国、アメリカ、日本という意識の問題ではないのだろう。
正直に95%を出すと、5%の意識での様々は手放すしかないし、そこからしか始まらない。
だから、恋人、友人、家族との別れも起きる。
それはとっても厳しく辛いけれども、神経疎外し続けた我々は、その痛みを受け入れないと、新しい扉を開けない。
食も同じだ。
自分の意識でマクロビを実践しても、それもまた神経を疎外しはじめている。
そして、仕事も同じだ。
会社に満足してないのではない、自分の神経を自分の脳が疎外していることに、体がNO!と言っているだけ。
だから、転職しても、又々同じ問題にぶつかる。
だから、痛みを伴うけれども、一番の近道は自分の意識ではなく、神経で第六感を作動するしかない。
意識に慣れ親しんだ僕らには、余りにも不馴れなパイオニア精神。
けれども、そうやってお山で野生で暮らしていた動物の記憶も、神経なら引き出せるのである。
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