あらえびすブログ

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アートテンテクノロジー化された、フルーツが沢山届きました。

アートテンテクノロジーの高橋先生から、キューイやミカンが届きました。

アートテンテクノロジー化された、キューイは始めて。

あのキューイ独特の、痺れ感がゼロ。

あれも有害物質だったのですね。

自然な美味しさに感動でした。



僕の意識から、完全にこの一歩目の伏流水の活動が無意識化に、移行したようです。

此れはこの活動に至ってから始めての作用です。

息子が行っている、シュタイナー学校の教育方は、意識から無意識化への移行プログラム。

例えば、意識してご飯食べると美味しくない。

意識してトイレに行くわけではない。

当たり前に体が受け入れたものが根付くとそれは、無意識でも行うものにレベルが上がる。

意識してが予定調和。

無意識化で出来てしまったが、連鎖調和。


例えば、伊豆の頃は、二千五百本の薪を用意するが、意識化での作業でした。

ここ、東北限界集落に住んで、年間三万本の薪を準備。

いつのまにか、当たり前の春から晩夏までのルーテインに、薪の準備作業が体に染み込み、無意識で淡々とやっていくと、終わっているようになりました。

里山暮らしは、やることが山ほどあり、そのなかで冬の準備の雪がこいや、大工作業等が体になじみ、あまり意識しないのに、必要な造作物は出来上がっていく。

ボトリングの梱包作業台等にしても、天盤のコンパネは購入しても、そういえば裏に古い柱の残りとか、電柱がある事がフット無意識化から意識化に上がって結果オーライで、雨ざらしの廃材をいつのまにか利用して、様々なモノが出来上がって行くのです。

此れは、生業にしていた体の使い方では、大きな怪我を克服してから、いつのまにか身に付いていった事でもありましたが、スイッチがあるようで、教えのモードに入るとそれは点灯され、作動し始めますが未だ此れは、他の無意識化との連携は起きるほど進化できていません。

ですから、里山作業では、年中体を痛めてします。


けれども、後付け別枠この伏流水の活動が、里山暮らしでの様々な無意識化の作業に、リンクし始めるという、僕にとっては始めての、まだまだ浅い部分ではあるけれども、無意識化スイッチ同士がネットワークで繋がる瞬間が現れ始めたのです。

都市部に暮らしていると、春に来季の冬の状態に合わせて作業して、冬の除雪の導線を考慮して春から晩夏の作業をするなど、経験がありませんでした。

 

最近東京の組合員の中戸川くんの住む側のスーパーで、よく山形産の食材を見るとか、来年から羽田〜山形までの飛行機本数が増えるとか、そのような偶然が、この山形から起こしたイノベーションに、実は無意識ではある繋がりを持っているのです。

薪割や、俄大工、俄土木作業とも、飛行機の本数が増える事は、ある繋がりを持っています。

ただ残念ながら意識でそれを紐解くと、西洋的な哲学になってしまいます。

必要なのは、レビーストロースの野生の思考で紐解く事。

此れは、脳のニューロンを繋ぐのとは大違い。

ある意味障害者は、この無意識化のスイッチ(直感)どうしを繋げる経験を、意識化の世界にドップリ使っている我々よりも、多く経験している。

ただし、アイテムが足りない。

ピカソやベートーベン等の芸術家が、このアイテムが足りなかったとしたら、ただの気違い扱いで終った事でしょう。

まさに幼児の遊び方は、このスイッチを繋げている。

ブロック遊び〜ママゴト〜突然家のホウキを持ち出し、意味不明の遊びに移行。

此れは、もしかして、子宮から産道を通って出てくる時の体験を、三次元化で見えるものを駆使して、表現しているのかもしれない。

子供の戦争ごっこも、前世での戦ったカルマ落としかもしれない。

だから、連鎖調和で現実化させるのは、無意識化のネットワークしかない。

そして、此れは意識では出来ない。


会社での作業を迅速に流し、会社社会でのストレスをジムで取るという、意識化ではないのです。

それが予定調和の社会。

だから、自分が自分自身の本心に嘘をついているように、その集団内でも嘘があっての社会。

まさに、今の国家間の緊張です。

という事は、意識のネットワークの時代は、終焉するということ。

所詮、瞑想しても、意識化から凡人は出れないから、都合の良い世界を描く。

だから、ブッタも親鸞さんもサイババも皆さん、僕らからしたら相当な修行をした人が、瞑想や祈りでは無理だと行き着いた。

だから、スピリチュアルを意識化で捉える時代は、とっくに終わっている。

心地よいで終わる。

結果、三次元に戻れない。

しかし室町以降、都市部に三次元化がなくなった。

今の東京は二次元の脳構造をを、僕らにそくす。

点から点への移動。

これを果敢に打破しようと、荒川修作さんや、宮崎駿さんは、チャレンジした。

海外通話で数回お話しさせて貰い、お会い出来る機会前に、なくなられた荒川修作さんは、だからこそ無意識化で、その先を創れと、僕に語りかけて来ます。



農作業中に腰が痛く、フット起き上がったとき時に見る景色に、偶然神を見るとかその時に一つの無意識化のスイッチが点灯された。

このとき、次から次へと他の無意識化のスイッチが点灯され、ネットワークを無意識化に生み出す。

綺麗と空と夕陽そしてトンボを見ていたのに、空と夕陽とトンボという三つの同時のメッセージが、無意識化でスイッチが三つ新たに点灯された時に、ある記憶が甦る。

此れが宮澤憲治なのであろう。

此れがベクトル平衡体の角の点の数分点灯された時に、幾何学が見えてくる。

此れがアートテンテクノロジーだし、如何にこちらがわが、当たり前に自然界はベクトル平衡体の角の数分は、最低でも無意識ネットワークを繋いでお山が稼働している様とリンクするか。

僕はこの無意識化のネットワークを、都市部で創ることは、あまりに困難でこの里山暮らしに入った。

人は、よくその大変な場で、それだけの作業をこなしながら、イノベーションまで手が出せますねと言われるが、この里山での作業全てと、イノベーションの作業全てを無意識化で繋げれる人にしか、本来住めないのが都市部であったのだろう。

結果、凄い芸術家が集まり、更に高度な都市に仕上げていく。

しかし、今は里山暮らしさえもこなせれない身体で、都市部に住んでいる。

此ではドンドン都市は弱体するしかない。


僕は意識化をいよいよ、伏流水からオルタナテイブな保育園、幼稚園、学校、養老院、そしてその総合が企業する、連鎖市場創出の種蒔きに移行します。

此れは伏流水の活動が、自然増殖始まった証しでもあります。

もう当たり前のルーテインの中にに、会員一万人はおります。

後は自然界の摂理が、豊作を作り上げる。

後はお山に任せます。

それに合わせて、僕はこの伏流水の活動ベースを、自然体で広げて行けばよい。

何故なら無意識化の活動に進化したから。


















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