あらえびすブログ

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アシンメトリーな脳はそれだけで旅をする運動だ 第二章 1

   アシンメトリーな脳はそれだけで旅をする運動だ  第二章      
       吉本隆明さんが仰有っていた             
         「自分の拳に託せる以上の政治は語らない」                             についての東出融自身の考察エッセイ      
       内田樹さんと高橋源一郎さんの対談本              
         「ドンドン沈む日本ソレデモ愛せますか?」                             を読みながら身体から思うこと!  
                  その 1  
 
 どんなに美しい思想も自分の身体を担保にするからこそ、届く範囲が実感できると今はつくづく反省している私です。
リアリズムは結局己の汗に関わってくるって思うのです。
だから祭りで汗をかき御輿を担ぎ、又は力の限り踊るのは身体性の復権でしょう。
しかし日常に身体性を失っている者が身体性を知っていた先人が残したツールを利用して身体性を試みても杓子定規に使う以外に方法はなく劣化して当たり前なわけです。

此れは敬愛する内田樹さんと高橋源一郎さんの「ドンドン沈み行く日本 ソレデモ愛せますか」と言う対談本を読み始めて、物凄くリアルにこの何ヵ月間身体性に従い続けて一応僅に窮地から脱し始めた自分がいたからこそ、身体が共鳴して感じるのです。
まだまだ底知れないほどの底は山ほどこの世に在るなかで、自分はどうにか踊り場で気付けて変化した方向に打開策を見いだせたのは、きっと私が身体性を教授することを生業にしていたことがすごく重要だったなと思えるからなのです。
此処まで身体性を訴えながらも本物の身体性に欠落していた自分に出会うしかなかったのは生業にしていたことで決して逃げれない方向に居たからだと思うのです。
しかし生業にしていることで陥りやすい分野への拘束は、躍りから全体身体に向かったと思いきや実はまだまだ全体への扉さえも開けていなかったのです。
今度は全体身体と言う拘束に陥っていたのです。
なんだお前も結局イデオロギーじゃないかって、身体性のなさに気づいたとき恐ろしい程のショックを受けました。
こんなんで踊っていたのかいな?
こんなんで一丁前に振り付けをしていたのかいな?
こんなんで一丁面して身体性を語ってオマンマを食べさせて頂いていたのかいな?
etc...............................................。

だってあれほど身体性の欠落から自給的生活体験を自分に仕向けて自然界からの恩恵を得て生きようとこの十年間歩んだはずだろうって。
だけれどもまだ薪割りして動物解体してカヤックで台風後に荒波に出ている頃はその時の身体性しか持ち合わせていなかった。
なぞっていただけだった。
カヤックを降りたとたん、薪を一年分確保した瞬間、僕は身体の水の動きを停めていたのです。 その時思いました。
二度と身体性の水は停めないと。
けれども自分なりのリアリズムのなさによる身体性の欠落を自分なりの細やかなドン底で感じたとき、本気で山に水に知らない古民家で暮らしたであろう家族に向き合うことが何故かできはじめたのです。
何故かは今はわからないのです。
僕の深い自分がそう仕向けたのかもしれません。
本やエッセイをblog上に投稿したからなのかも知れません。
恐ろしい程の古民家のゴミを整理したからなのかも知れません。
その時に一緒に僕の身体性による心のゴミも一緒に片付けたのかも知れません。
はっきりとは解らないからこそ自分の生業の身体ワークも急速に変化したのだと思うのです。
解る間は身体が掴んでいないのです。

美味しい味噌汁の理由は様々です。
身体は旨いって感じたそこにしか比べる素地はないのだから素地のない人に身体性を伝えることは「先ずは飲んで見て下さい」それのみです。

この対談本の中に出てくる 「自分の身体で債務保証する人がいれば、別に精密なルールなんか作らなくても、法律条項なんか作らなくてもシステムは機能するんだよ。政治に限らず、全てのシステムは、現場にいる人間が自分の身体を賭けて、固有名で債務保証しないと、機能しないんだよ。此れが失敗したら、俺が肚を切りますっていう人間がいないと、ダメなんだよ。責任取るとは自分の身体を差し出すってことなんだけれどもそれができるのがリアリストなんだよ。」 だから服流水をどうにかするぞって決めたのは身体なんです。
自然界の服流水がなくなるって何れは人間枯れるよってことだと身体が気づいたときにやばいっじゃないっかって。
略奪するのも嫌だし略奪されるのも嫌。
ならば今ならわけあえるシステムをギリギリに作れるときだって身体が水に着目して四年かかって本気で反応したのです。
そうしたら自分の中にドンドンと流れがおき始め外側にも時間差で流れが生まれ始めたのです。


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