あらえびすブログ

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アシンメトリーな脳はそのままで旅をする運動だ 1

  アシンメトリーな脳で生きる事は其のまま運動だ!!                                                 東出  融
 始めに

 前回の愛犬花ちゃんからの視点による、アシンメトリーな脳が創る体の使い方と体が描き始める新しい社会のシステム如何でしたでしょうか?
今回はさらに駒を進めて様々な問題の本質を直接私自身が語って参りたいと思います。
それは本質への気づきによる日常所作運動を解明していく事に繋がる長い旅のようなものになっていくと予感しています。
私自身もよりこの執筆を通じて、「二項対立の図式の弊害とグローバル資本主義が我々の脳に染み付かせた縮減モデルの弊害を所作で取り戻して行けるのではないか」と言う更なる次数を上げた運動所作への気付きとチャレンジになっていくのではないかと期待を感じているのです。

それによって例えば 腹筋運動の時、実は何が欠落しやすいか?
ランニング中に、何が抜け落ちやすいのか?
柔軟体操の時本当は何を創造しながらやらなければ、かえって体が固くなるという逆効果を生みやすいものにになってしまいやすいのか?
果てはこの振り付けを踊る時に描く映像の種類はこのような映像で有るべきなのでなないだろうか?等々を通してもっと具体的に、此れから万人が持たなくてはならないであろうアシンメトリーな脳の育成エクササイズとしての生活での身体表現として、所作運動を積極的に意識して演じてみることで多くの使われなくなった脳に再度スイッチを入れる試みに繋がることを企んでいるのです。
そうして更に一歩進み、実はあまりに全体過ぎて気づく術を持っていなかった事で理解できなかったであろう、相撲の四股が与える脳への「体からの動的図式」が与えてくれていた恩恵やダンスで様々な箇所を独立させて動かすアイソレイションの運動は心の何処にどんな作用を起こす為に行うエクササイズなのか等々を問うことで、もう一度分断されていない脳での運動にリニュウーアルさせてみたいと思うのです。
きっとそれによって躍りの振り付けとは何か?
各種スポーツの基本運動とは何か?
憚りながら生きるとは何か等を解明することに繋がり、結果アシンメトリーな脳が創り出す運動が幅広い可能性を秘めたものになっていくと自ら期待しながら綴って参りたいと思っています。
と同時にそれによって好きなもの、得意なものとして捉えていた躍りでの収入をあえて拒否することによって、いったい自分は代わりに何を手にいれたかったのかと言う、自分の本質への問いの理解にも繋がっていけることと信じております。
そしてこの本の中での意味合いはあくまでも私の動くと言う事への体からの本質による二項対立での理由探しでもあります。
「変わったやつだな〜こんな風にとらえるやつが要るんだ。ふーん」 とそのような俯瞰した目線で捉えていただけることが一番なのではないかとも思っております。
宜しくお願いいたいます。
体はバランスがとれると持続します。
しかしバランスとはシンメトリーな二項対立のバランスではないのです。
あくまでもあなたの個としてのバランスが作用します。
それは華美から寂までの幅広い中での自分が立つ対置です。
どこに立つかで全く違うリスクも現れます。
リスクがない立ち居ちは存在しません。
片足で長くつま先立ちするのも筋力を使いながらも実は筋力ではありません。
筋力と思うだけで二項対立の図式なのです。
料理で良い塩梅はあっても、塩を入れすぎたからと砂糖を足しても落としどころにたどり着けないのと同じなのだと思うのです。
結局リスクを受け入れた時に始めて見える可能性とのバランスと私は感じています。
身体が本当の意味でのバランスの解釈を失ったときに社会もバランスを失い継続しなくなったのだと解釈しています。
だからこのキャベツは本当に旨いだろうかと問いを立てたときにそのキャベツを持って片足でバランス取れたら実は美味しいのかも知れないと言う運動への新しい解釈と適用方法の進化さえも提示したいと思っているのです。

 さあいよいよ旅に出たいと思います。
順番は多少違ってきますがアフリカの大地で人が始めて直立したラファール猿人から人類が辿った道程に沿って旅を続けて行きたいと思っております。
僕はその中から「北」を目指して行きます。
体がその方向に仕向けるからと言う理由からだけです。
直感がそうさせているからだけです。
小さい頃にアメリカ先住民に何故か郷愁を感じてしまったからです。
持っていくもの、あえて置いていくもの此がとても重要なスタートです。
今こそ私たちは引き継ぐものあえてさよならするものをきちんと覚悟して自分で決め(此が立ち居ち)進む旅に転換しなくてはならない時代に入ったと思うからです。
そこでは今までの、自分の生活のなかでの経済基盤を支えていたものは残念ながらそのままの成り立ちでは通用しないことでしょう。
しかしあえてそのリスクの先に見えるリターンにかけたのです。
さあ、あなたが僕だとしたらは何を持ち、何をおいていきますか。
バックパックの大きさには限度がありました。
それなのに我々は持ちすぎてしまった。
僕も持ちすぎてしまっていた。
其が便利だとかカッコヨク思われるとか本当には必要無いものをあるように思い思わされ資本主義を回してきました。
それに間違いなく僕も荷担してきました。
だけれどもあなたのバックパックにはエルメスのハンドバックもフェラーリも残念ながら入りませし、此れからの旅では不必要なものです。
私なら重たいチェンソーも常備したい、けれど残念ながら入りません。
そして此処で置いていった物に後で後悔するのはやめましょう。
時間は戻せません。
反省とはリスクを引き受け前進することです。

 さあ置いていった物への郷愁は捨てて旅を始めたいと思います。


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